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第二章・恋の発芽は時期外れ 5ー②
匠は、沙里奈が設立した個人事務所『T.K.プロダクション』に所属していた。
主に匠の活動のみ支援する事務所ではあったので、『STARGAZER』の活動なども管理する。
この度のライブの反応が良好であった為に、そのマネージメントも兼ね、年に何度かのライブも行う事になった。
事務所は決して広くはなかったが、防音設備の整った部屋に、一通りの楽器やアンプなどが置かれていた。
『STARGAZER』のメンバーも週末になれば、ここでリハーサルも兼ねた軽い打ち合わせや練習に訪れる。
正実も来いと言われて訪れると、あの兄の部屋に集まっていた時代を思い出して、懐かしく思った。
ただ、大介の仕事が不規則ではあるので、今のように忙しい時は週末ですら練習に参加出来ない。
大介の不在には、正実も若干の寂しさを覚えていた。
その日も夕方の匠の仕事まで、『STARGAZER』のメンバーで音合わせをしていると、事務所に来客があった。
沙里奈が扉を開けると、中学生位の小柄な少年と、その母親らしき人物が立っていた。
二人はよく似た面差しだったが、母親の方が大きな瞳の目尻が吊り上がっていて、勝ち気そうな顔立ちをしている。
長く黒いストレートの髪の毛を、全てピッチリと結い上げている姿に、正実はドキリとした。
この女性には見覚えがある。
すぐに直感して、記憶の糸を手繰り寄せると、それは昔、大介の携帯の待ち受け画面になっている女性だと思い至った。
その引きつめた髪の毛が特徴的だったので、深く印象に残っていた。
かなり成長していたが、あの写真の中で彼女に抱かれていた少年が、この子かと推察する。
正実は、突然、激しい焦燥感に襲われた。
「こちらは、久保田匠さんの事務所でいらっしゃいますか?」
「はい。そうですが」
「すいませんが、時任大介はおりますでしょうか?」
「大介さんですか?大介さんは、今日はお仕事で来られてませんけど……。申し訳ありませんが、どちら様でいらっしゃいますか?」
「申し遅れましたが、私、時任大介の婚約者で、萬田志保理と申します。これは息子の翼です」
正実の焦燥感は、現実を突き付けられて、絶望感へと変わった。
昔から大介の携帯の待ち受け画面になっている母子。
婚約者だという、志保理。
その息子は、もしや大介の子供ではないかとすら疑念を抱いた。
「ここで、パパがベース弾いてるんだ!聴きたいなぁ。久しぶりにパパのベース!」
翼の邪気のない言葉が、正実の心臓を抉った。
その母子の訪れに、その場の全員が言葉を失っていた。
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