三人のパニック

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三人のパニック

     驚きのあまり広美は一瞬パニックになるが、あくまでも一瞬に過ぎなかった。  顔には笑みを浮かべて、落ち着いた言葉を返す。 「本当に私でいいの……?」  休み時間、いつも席で本を読んでいるのが広美だ。クラスには友人と呼べる存在はおらず、用事がなければ誰も彼女に話しかけてこない。  それでも、近くで騒ぐ女子たちの噂話が耳に入ってくることはあったし、そもそもクラスが同じなので、結城力也については何となく知っていた。  勉強の成績は中くらいだが、スポーツは得意で、ルックスも悪くない。恋人がいても不思議ではないのに、そんな噂は聞かないという。  広美が心の中で「彼みたいな人が恋人だったら、人付き合いが苦手な私のことも、うまくリードしてくれるんじゃないかな?」と勝手に想像している男の子の一人だった。  その結城力也が、まさか自分に惚れていたなんて!  力也の心情としては、広美以上のパニックだった。  一世一代の告白をした相手が、クラスの地味な女の子にすり替わっていたのだ。まさに青天の霹靂ではないか。後ろ姿は確かに、自分が惚れた青田姫子のものだったのに!  しかし、改めて考えてみると……。  それだけ『後ろ姿』なんてありふれている、という意味かもしれない。ならば、いったい自分は何を追いかけていたのだろうか。青田姫子に対する想いも、幻想だったのではないだろうか。 「五島さん……」  目の前に立っている女の子は、五島広美。同じクラスだが、教室の隅で目立たない生徒なので、言葉を交わしたことは一度もないはず。正面からジーッと眺めたこともなかったが……。  初めてきちんと見た五島広美は、美しい少女だった。  いや顔の造作そのものは平均的なのだが、そこに浮かんでいる表情が際立っていたのだ。幸せいっぱいの笑顔であり、暗くなっていく夕方の中で、神々しいまでに輝いていた。  彼は心の中で思った。まるで魅了(チャーム)の魔法だ、と。  それくらい一瞬のうちに、彼の心は、彼女の(とりこ)になっていた。  だから、動揺も完全に(おさ)まって……。 「ごめん、少し間違っていた。『ずっと前から』じゃないから、言い直させてくれ」  そう宣言して、大きく深呼吸する。  先ほど、微妙に嘘をついているようで落ち着かなかったのを、反省したのだった。早速そこから学んで、今度は、自分の心に正直になる。 「今この瞬間、僕は君に惚れた。好きだ、五島さん! 僕と付き合ってくれ!」  五島広美の笑顔が、さらにニンマリと深くなる。  もう返事を聞くまでもないくらいだ。  しかし、この時。 「ちょっと待って!」  姫子の内心は、激しくパニックに陥っていた。広美や力也とは比較にならないほどだった。  詳しい事情は不明だが、なぜか結城力也が、どこの馬の骨ともわからぬ地味な女に告白しているのだ。しかも彼は、いかにも誠実そうな顔で何やら言い直して、相手の方も受け入れるつもり満々の態度。  これ以上二人の間に言葉は要らぬ、という空気が流れ始めていた。 「冗談じゃないわ!」  空間ごと雰囲気を引き裂くくらいの勢いで、姫子は大きく叫ぶ。  自分が結城力也とカップル成立になるはずだったのに、そのポジションを、こんな女に取られてたまるものか! 「結城君は、私に告白してきたのよ! あなたなんかに渡さないわ!」  姫子はガバッと抱きついて、 「行きましょう、結城君!」  彼の右腕を引っ張り、二人で立ち去ろうとするが……。 「あら、勝手なこと言わないで」  広美の声は、自信に満ち溢れていた。今までとは全く違う響きであり、一度男子に告白されただけでこうも変わるのかと、彼女自身が驚くほどだった。 「どこのどなたか存じませんが、あなたは過去の女でしょう? いつ告白されたにせよ、私よりも昔のはずですわ。だって私は、たった今、結城君に告白されたんですもの!」  慇懃無礼にも聞こえる口調で、理路整然と主張する。今現在、彼の心を占めているのは自分の方だ、と。  そして結城力也の左腕をギュッと抱きかかえたが、反対側の姫子も、彼を離そうとはしなかった。 「あら、それって一時(いっとき)の気の迷い、ってやつだわ。結城君が本当に好きなのは私だもの! ラブレターをもらったのも、ここに呼び出されたのも、この青田姫子なのよ!」 「まあまあ。ラブレターとか呼び出しとか、過去の思い出にしがみつくなんて、みっともない話じゃないですか。もっと現在に目を向けてみてはいかが?」 「過去じゃないわよ! 今朝の話よ!」 「今朝って何時間くらい前かしら。あなた『過去』って言葉の定義、ご存知?」  力也を取り合う二人の少女の間で、彼は、何も言葉を挟めなかった。  二人とも精一杯の力を込めて彼を引っ張っているようだが、しょせん女の細腕。たいして痛くも苦しくもないし、体が引き裂かれる心配もなかった。  それよりも……。  どちらも美しい黒髪の持ち主だ。右の青田姫子は、ふわっと良い香りで、左の五島広美は、笑顔が素敵。  これはこれで悪くない、と思ってしまう。  しかし、そう言っていられるのも今のうちだけ。どれほど前途多難な状況なのか、力也は全く理解していなかった。  本当のパニックが彼に訪れるのは、これからだろう。 (「恋の生まれるゴミ捨て場」完)    
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