うたをわすれることり

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「落ち込まなくて楽しく歌えたら売れるのにな」  高いところの窓の向こうの私を見て役員さんが話してその横ではマネージャーが頷いてた。もちろんそんなのは私は知らない。ただあの人にまで見捨てられたんだと俯いてばかりだった。  それから家に帰った私は楽曲制作に使っているパソコンを壁に投げつけて壊した。結構高かった代物だけど、最近は悩みにしかなっていなかったからちょっとはスッとした気分になり「もう辞めるんだし」と呟く。それと一緒に涙が落ちる。  諦めたはずの歌も無くなってしまうと思うと悲しいんだろう。そんな思いばかり浮かんでしまうから、今はこの音楽のために生きている街には居たくない。そう考えたら次の日には故郷への電車に乗っていた。  段々と都会を離れ、暗い思い出の街を遠ざけ、古い楽しい思い出の街を近付ける。生まれ育った街にたどり着くと「田舎だよなー」とつい話してしまう。そのくらいに田舎で辺りに数時間前まで見ていた都会のビル群なんてなくて、木々と山に囲まれてセミの鳴き声だけが響いている。  駅の周りにはタクシーの影もないけどそんなに不便でもない。田舎の集落はそんなに広くない。歩いても直ぐに着くのだから。 「あれ、久しぶりじゃない。元気にしてた? 歌はいつも聞いてるよ!」  こんな田舎町なのでみんな知り合いみたいなもんで、駅前の小さな商店のおばちゃんが私の姿を見て近付く。  一応街での有名人でもあるから落ちこぼれの歌手でもみんなは聞いてくれてるのだろう。だから「ありがとう」なんて答えながらも、辞めるのが心苦しいと挨拶を交わす。  するとおばちゃんは「応援してるからね」と夏みかんを数個渡してくれて私の背中を押すように叩いてくれる。  それからも数人の知り合いに声をかけられると、ちょっとしたお土産を持たされて荷物が増える。これはみんなの期待なんだろうけど「応えられなくてゴメン」と街が眺められる高台から誰にも聞こえないように呟く。 「ちょっとー! 戻るんなら教えてよー!」  元気な声が聞こえ、それはとても慣れ親しんだ声だったのはこれには私も笑顔で振り返る。  そこは保育園で、子供たちが驚いているが保育士が駆け寄る。彼女は私の昔のバンド仲間、と言うか親友だ。キーボード担当でいつだって元気な女の子。  流石にテキトーな挨拶で返せないので「急に思い立ったから」と私は落ち込んでいるのを誤魔化しながら笑顔を作る。 「もー、こんなことなら仕事も休んだのに。みんなで集まろうよ!」 「みんなってバンドの?」 「もちろん。練習場所はあの頃のまんまなんだよ。よし! 連絡しておくから!」  ちょっと話を聞かないのは彼女の悪いところなのかもしれない。だけど、単純に親友と会ったら昔の仲間も含めて話したくなるのは当然なんだろう。彼女が子供たちに囲まれている姿を見ながら「しょうがないか」と独り言ちる。 「あの子、少し元気がないような気がしたから、みんなで楽しませようよ!」  親友が私と別れてから勝手に休憩をとったときに他のバンド仲間に連絡をする。どうやら親友の彼女は私の作り笑顔を見破ったらしい。親友というものには嘘はつけない。  もちろんそんなことに気付いているとは思ってもみない私は、普通を装ってそれからも実家へと向かって歩くが、まだ人々に声を掛けられる。本当に目につく人全員くらいに。  そうしていると高らかなエンジン音を響かせて軽トラックが通り過ぎると急ブレーキで止まる。そこからは今さっきまで田んぼで作業していたという泥まみれの長靴に作業着と麦わら帽子にサングラスという農家さんが現れるが、誰だろうと私はこんな人を知らないと首を捻る。 「本当にうちのボーカリストが返ってた!」  私のことを見つめると帽子とサングラスを外して驚いている。私はその顔を見てやっと正体に気付いた。  彼はさっきの彼女と同じバンド仲間で、ドラム担当。だけど、元々彼はあんまり音楽に興味はなくて単にさっきの彼女目当てに仲間になったのだった。バンドを組む前から親しかったけど、そう言えば親は農家だったのを思い出す。 「へー、跡を継いだんだ。綺麗な保育士のお嫁さんも貰って言うことなしだね」  これもさっきの彼女のこと。彼も自分の夢を叶えた。それは好きな人と結婚すると言うことで、私も当然に結婚式には呼ばれて、その時はまだ諦めてなかった歌を二人に贈っていた。  背も体も大きな彼なのに私が言うと「それを言うなよ」と照れ臭がっている。だけど「それに」と付け足す。 「夢を叶えたのは俺じゃなくて君だろ?」  そう言われて一度お腹がひっくり返るみたいになって「そ、うだね」と言葉を詰まらせるしかなかった。 「だけど、こんな田舎からスターが誕生するなんてな。物産館に君のコーナーが在るの知らないだろ?」  ちょっと集落のみんなが私のことを応援してくれている理由がわかる。街の憩いの場となっているところでどうやら私の宣伝をしているみたい。これには明らかなため息で「私はこの街の名産品か」と冗談を返してみる。  楽しそうに彼が笑うので単純な人だと認識している私は今度も上手く嘘を付けてるという自信があって「じゃあね」と別れようとすると「練習場祖、いつでも入れるからな」と彼もバンド仲間で集まるのを楽しみにしている様子だから「うん。ありがと」って別れる。  私の姿を見送りながら彼は自分の愛する嫁ではなくて、親友に電話をかけ始める。少し声のトーンを落として「本当に悩んでるみたいだから。頼むぞ。好きな彼女を勇気付けろよ」と私も知っている彼の親友に告げていた。嫁である彼女から言われて探った部分もあるみたいで、私だって単純な彼には落ち込んでいることを見破られはしないつもりで、そう思っていた。
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