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その象徴とする意味合いは神話ごとに少しずつ違ったりするが、大まかな意味合いはきっと変わらないだろう。
それは欧州だろうが、中東だろうが、この極東の日本だろうが大して変わらないと。太陽と月が存在するなら、どの世界もきっと変わらんだろうと、ゆう兄は言っていた。
神様や信仰される存在は、畏怖される存在か、敬愛される存在かに振り分けられる。大まかに分けて結局この二種だ。
月はどちらに意味をあてはめられたのか。そこが気になって無理にゆう兄に聞いた記憶がある。
(あの時、ゆう兄はなんて言ってたっけ。確か――)
記憶を巡らせ、言いそうなことを思い浮かべる。
「どっちでもいい」
そう言っていた気がする。
「所詮、人が考えることだ。もう西暦も二千年を過ぎていて、それだけの時代の人が考えてきたんだから、今更気にしても仕方がない」
と言われた気がする。
答えになっていなくて、納得できていなかった俺に続けてこうも言っていた。
「お前が見て、感じることが大事だろうよ。物事は見るタイミングによって大きく変わってくる。月なんざ特にそうだろう。まだ日の光が届く明るい時間に低く登った巨大な満月に対して恐怖を感じてもいい。尖った三日月に儚(はかな)さを、新円の満月に秀麗さを感じてもいい。そこは人それぞれだ。見えるタイミング、形が変わっていく美しさに昔の人々は思いをはせた。……そういうのをお前んとこの宗教で、諸行無常って言うんじゃねえの」
(……今思うと、本当になんの答えにもなってへんな)
そのあとにいくつかゆう兄が知っていた神話やら魔術やら錬金術、魔法での月の意味合いを教えてもらった。
が、それらの意味をネットで調べても大半はヒットしなかった。
(本当に使えない知識ばっかり教わってんなあ)
その中で特別覚えているものがある。それは「潔白」である。
ゆう兄が言うには、日本の月は影が薄く、夜には物事を隠しやすいらしい。証拠も何もかもを隠しきれてしまい、誰もがその偽りの潔白さを証明できてしまったからだそうだ。
なんとも皮肉的な話だ。続きがあったような気もするが今は思い出せない。そのことを手元のスマホで調べても、なに一つ検索結果にヒットしない。また変な話を聞いていたのだろう。
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