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 じっとりと水分の含んだ空気が皮膚に張り付いているようだった。  ちぎれた雲の隙間から、冷ややかな三日月が顔を見せている。  窓は開け放たれたままだったが、気分はまるで晴れやかだった。皮膚に張り付いた水分が蒸発する時に体温を持ち去っていっているのだろう。湿り気があるというのに妙に心地良い。  薄っぺらな現実が次第に厚みを増してくる。それは、やがて来る真の現実に意味を見出すべきものだと――私は思った。 「うーん。書きたかった話と違うな」  私が書きたいものは、異世界グルメモノだったはずで、どうしてこんなにもホラー寄りになっちゃったんだか。  さっきまでのことが現実なのか夢なのか、それさえの記憶も曖昧になっちゃってる。お気に入りのカフェで店員の態度がおかしかったことだけははっきり覚えているんだけど……。  ――さああぁあああ。  外では雨が降り始めたようだ。私は急いで窓を閉じた。さっきまで月が見えるくらいに晴れていたはずなのに、急に降るとは思わない。雲も空に浮かんでいたけれど、雨が降るようなものとは思わなかった。  しばらく窓際で考えていたけれど、何も浮かばない。  私の想像で創造される世界であったとしても、私がわからないことは多い。ううん。私のわからないことはないと思えば良いんだ! 「――それなら、死についてさえもわかるってことになる」 「ぎゃっ!」  声のほうを向くと、床にぽっかり穴が開いていた。  ひゅーひゅーと底で風が吹いているような音が聞こえる。それから妙に懐かしいさわやかなにおいがしてきた。湿気でじめじめしているはずなのに、さわやかだ。  私は穴に近付き、覗き込む。穴は底が見えないほどに暗い闇に覆われていた。スマホのライトで照らしてみても、底を見ることはできない。穴に光のすべてを吸い取られているかのようだった。それはまるで宇宙に存在すると言われるブラックホールのようなものだった。 「ククッ、ブラックホールとはよく言えたものやね」 「何処から声が……?」  その声は、高くもなく、かと言って低いわけでもない。ちょうど耳当たりの良い声だった。優しい子守歌でも歌おうものなら、誰もが眠りに落ちてしまうような、そういう声だった。  穴から水音が聞こえてくる。眠りを誘うような一定のリズムで水が流れている。遠いようで近いような、確実に穴から聞こえているというのに、距離がまったくわからない。そのうえ、声の主の姿も見えなければ、私の部屋に突然穴が開いた理由もわからない。  私は気が狂ってしまったのだろうか。否、気が狂っていては、冷静に思考することはできないと思う。それすなわち、不定の狂気と呼ばれるものでは? そういった種類のボードゲームが存在していることも私は知っていた。実際に一時的に狂気状態になっているとするならば、納得がいくものになる。 「あなたは次から次へと言い訳をよく思いつくものやね。ま……、良いか。話を始めよう。あなたがもう手遅れだと伝えておかなくてはならない」 「手遅れ、と言うとどういう意味ですか?」 「あなたの想像することで世界は創造されていく。それはこの世の理に背くことであり、円環から外れることを指す。つまり、あなたには未来が無い。そして過去も消えていく。あなた自身があなたの過去を消した」 「どういう意味ですか……?」 「そのままの意味。あなたはすべて失う。しかし、代わりに得られるものもある。等価交換として、失ったものが得られる。……それがあなたにとって良いものか悪いものかはわからないけれど、あなたは手遅れ」  暗闇が私を取り囲む。  声が直接脳に語りかけているかのようだった。いっぺんに足から力が抜けて床にへたりこむ。  ああ、先程も同じような目に遭った。これだと流れが同じになってしまう。 「あなたは物語を創造していると同時に、物語のキャラクターでもあることを忘れないで。俺の姿を描けないのも、あなたの想像力が足りないせい」  ふわっ、と闇は霧のように消え失せた。  黒い沈黙だけが、部屋に残った。
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