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 自室に入って呼吸を整える。  私の想像したことが確実に創造される。素晴らしい世界だと思うと同時に、私は恐怖した。  この能力があれば、なんでも思い通りになるということなら、余計なことは何も考えられない。タブレットで文章を打ち込まずにも私の想像がそのまま反映されてしまうのだとしたら――……。  ――ドンドンドンッ!  ドアを叩く音に体が震える。総身から汗が噴き出しているかのように、衣類が湿っぽくなる。  奇妙な悪寒が背中を落ちていくと同時に、私はカフェでのことを思いだした。  ストーカー、粘着、……恐ろしい。売れっ子作家なら、そういう危険もあると想像してしまったことが愚かだった。 「ドアを開けてくれないので、窓からお邪魔したのですよ」 「ひっ!」  ドアに背をつけていた私の前に現れたのは、後光の射す女だった。  ちょうど彼女の背後に窓がある。カギをかけていたはずだけれど、壊されてしまったのだろうか。私には判別ができない。ここからだと何も見えないのだ。  逆光だというのに、彼女の鮮やかな赤い――韓紅(からくれない)色の瞳だけは影に浮かんで見えた。にんまりと裂けた口から覗く白い歯は尖っているようにも見える。私には、おおよそ彼女が人間とは別の存在であることが判別できた。というのも、ここがマンションの5階だからだ。人間が窓から侵入するには難しい高さだと思う。 「勝手に(わたくし)の設定を増やそうとしても無駄でございますよ。物語の登場人物には、ある程度の基準がございます。そこから逸脱することはできないのです。仮に、あなたが神として動くとしても、神の意に反する者は現れるものでございます。故に、私はあなたに会いにきました。神の御心のままに動くのもつまらないでしょうから」  そう話す彼女は私の手を掴み、光溢れる奥の部屋へ(いざな)う。所作のひとつひとつに気品が感じられ、燃えるような瞳は視線を交えるだけで、別世界が見えるような錯覚を抱くものだった。彼女は明らかに人間ではなかった。それを決定的にしたのは、軽く宙に浮かんだ体だ。  夕日の射し込む部屋は暖かな光で溢れ、心を浄化してくれるような感覚に陥る。ここにいるだけで、すべての罪が許されるような、優しい気持ちにさせてくれる、そういう種類の暖かさだ。  私は無意識の内に彼女の足元に(ひざまず)いていた。忠誠を誓う騎士のように、気高きものを護る者のように。  私の態度を気に入ったのだろう。彼女はその高潔な韓紅の瞳を私に向けてくれる。窓から入る風が彼女の長い髪を揺らした。夕焼けを切り取って貼り付けたかのような紅葉色(もみじいろ)とも銀朱色(ぎんしゅいろ)ともいえる髪は夕日を浴びるほどに輝いて見えた。  まるで彼女自身が、夕焼けのようだ。 「オヤ? わかりましたか? 私は夕焼けの精霊でございます。まさしく、化身とも言うべきものでございますね。そして、神殺しでもあるのです。という設定をここで付け加えておけば、きっと私は神殺しの設定を今の物語で得ることができるのでしょう。ところで、どうして跪いているのでございますか?」  彼女が私と視線を合わせるために屈んでくださる。  見れば見るほど美しいヒトだと思った。美術館で飾られている西洋画から抜け出してきたかのような容貌をしている。だが同時にその美しさが恐ろしく感じた。  彼女が人間ではないという事実を、決定づけるかのようにも思えるからだ。  事実、彼女は人間ではなく、夕焼けの精霊であり、化身だと言った。そして神殺しだとも言った。ならば、どうして彼女は私に会いに来たのか。それがわからなかった。私が得たこの能力が神のチカラだというならば、私が神と同等であるならば、私は殺――……。 「殺されたいのでございますか? その思考は止めたほうが良いのですよ」  キラッと光ったのは刃だ。立ち上がり私から離れた彼女の手には、身の丈以上ある大きな鎌が握られていた。  それが今私の首を刎ねんばかりに近くにある。いいや、私が想像をやめたから、彼女は止めてくれた……?  それなら、彼女は私の心が読める……? 「私は心が読めるわけではないのです。ですが、私は原稿を読むことはできるのでございます。あなたの人生を記した原稿がこの瞬間も綴られているのでございますよ。それは台本となり、あなたの死んだ未来も生きた過去も現在も運命を定めているのでございます。それはそれとして、私は物語の修正をしたく参上したのでございます。私は想像を超える稀有な存在を見たいものでございます。名乗っておきましょう。私の名は、でございます。以後お見知りおきを」  こやけは大鎌を床に落とし、スカートの裾を摘まみ、ぺこりと頭を下げた。
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