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 私はしばらくの間なにもせずにそこにいた。否、をしていたのだ。  こやけは私の前に分厚い本を置く。私に読ませようと置いた、と思う。これは私の勝手な想像であり、事実である。 「この本は、あなた以外の人物の物語であり、台本と言えるものでございます。これの主人公と言える人物は既に他界しているので、どういう幕引きだったかを読むことができるのでございます」 「そう、なんですね……」 「ついでに言うと、あなたの物語は今も原稿用紙に書き綴られている途中でございます。こういうことはあまり口外してはいけないものではありますが、(わたくし)普段(いつも)のように物語を終わらせることに()きてきたのでございます。つまり、嫌になってきたというのです。トイウワケデ、此度(こたび)は、趣向を凝らしてみようと思った次第でございます。私の登場はあなたの人生の物語の中で言うと、ストーカーに位置づけるのです。ほら、さっさと私をストーカーにするのです」  こやけは私のストーカーだった。  私に作品を続けさせるために現れた様子で、大きな瞳の瞳孔を小さくさせながら語り聞かせてくれた。  彼女は今までの物語に厭き厭きしている様子で、私にもっと新しいものを求めるように話した。  私はカフェで異界のグルメモノを書きたいと思っていたが、それも変更せざるをえないのかもしれない。どうしようもないほどに、彼女の熱量は高かった。それは、創作論を長々と語る意識が高い人々よりも高い。故に、本気であることが伝わってきた。  だとしても、ストーカーの一声で、私の創作路線は変更しない。私には、私の書きたい物語があるから。  異界グルメツアーを成功させるために、逆にストーカーである彼女を利用しようと思った。彼女が人間ではない。つまり、異界の住民のはずだ。それならば、食生活も変わってくる。リアルの声を聞いて、作品にリアリティを出してこそ、私の作品はこれまでのファンに、これからできるファンに響くはず。すでに、人気作家となっているならば、何を出しても売れるかもしれない。いいや、売れる。売れるに決まってる。私が想像するなら、はず。 「こやけさんの住む世界には、どんな食べ物があるか教えてもらえますか? 私、異界グルメツアーというファンタジー作品を書きたいんです」 「私は抹茶プリンが好きなのです」 「人間が食べるようなものではなく、貴女のような精霊様が食べるようなものを教えてほしいのですが……」  そう言うと、彼女は細い指を唇に当てて考えている様子だった。その所作のひとつひとつに見惚れるような、惹きつけるような、妙に目を奪われる。これが精霊としての在り方なのだと私は思った。  私の脳内で思い描いたままの文章がそのまま文字になっていくと仮定する。  きっと、この想像もタブレット端末に入力されていっているはずだ。今までも、これからも、私は記録されていく。  思考が終わり、こやけは唇を開いた。赤く濡れた舌がちらりと尖った歯の隙間から覗く。 「それならば、素晴らしい料理があるのです。教えてさしあげましょう。召し上がってみますか?」 「私でも食べられるものですか?」 「エエ、エエ。材料はありふれたものでございます。ですが、私は調理が得意ではありません。調理方法を知ってはいますが、それを再現することは禁止されているのです。故に、あなたには調理過程をお見せすることはできないのです。完成品をここにお持ちすることはできるのです。いかがでしょうか? 食べてみますか? 召し上がってみますか? 喰らってみますか?」 「できるならば」 「それならば、また今度持ってきてさしあげましょう。私は優しいので。エエ、とてもとても優しい精霊でございますから! さようなら」  別れの言葉を述べるとすぐに彼女は姿を消していた。私がまばたきをしている間に消えたと言っても過言ではないくらいだった。  私の手元には本が残されている。これからじっくり読む必要がありそうだ。それが、料理を持って来る代わりに私に与えられた義務なのだろう。  分厚い本だ。表紙は妙にしっとりしている。羊皮紙だろうか。  ふと、思い浮かんだものは、好奇心で読んだ連続猟奇殺人犯の話だ。殺した人間の皮を鞣して、洋服やソファ、ブックカバーを作っていたという――……。  ――ドサッ。  身震いがして、本を床に落としてしまった。  これは、もしかすると、人の皮ではないか? そして、その皮はこの本の主人公である人物のもので――だとすると、最期はどう締めくくられている……?  本を拾い、最期を見る。  そこにはこう書いてあった。  この物語を読んでいるあなたへ。  もう手遅れだ。
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