第5章 腐乱

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第5章 腐乱

 何の話って。   「そのTシャツだよ。…And Justice For All」    俺が力を込めて話すと風花はさらに困惑した。    無理もないか、話したこともない男子からいきなり下駄箱の前で大きな声をあげられたのだから。   「このTシャツ? これはXOXOタウンで買ったんだよ」      巷でロックTシャツがファッションとして流行っているというのは耳にしたことがある。    そんな薄っぺらい動機でバンTを着ているやつが目の前にいるとは。    俺は落胆した。   「いいや、忘れて」    立ち去ろうとした俺を風花が引き留める。   「ロゴを見てセンスがいいと思ったから買ったの。何か知ってるなら詳しく教えてくれない?」    俺の勇気と風花の誠実さがマッチし、その日から俺たちは急接近した。    ワイヤレスイヤホンの左側を俺、右側を風花に渡し、隣り合って座る。俺は慎重に選びながら曲を聴かせた。    やはり「どれを聴いても同じに聴こえる」と言っていた。「一般人」にとってはそんなものだ。      一回ふざけてCarcassを聴かせたことがある。デスボにどんな反応を見せるだろうか。     「なんというか……犬が吠えてるみたい」    これには二人とも爆笑した。    デスボが苦手な人もいるけれど、犬の鳴き声だと思えばイケるかもしれない。        高校では表向きはバイトも自由だったが、先生方の本音としては勉強に専念してほしかっただろう。    だが、風花は花屋でバイトをしていた。いかにも女子という感じだ。   「そんな可愛らしいものじゃないよ。閉店後の片付けは重くて大変。それにやっぱり手荒れが気になるな」    風花は自分の両手をマジマジと見つめた。    俺は風花の手を見る度胸もなかったので話をそらす。   「風花さんはなんでバイトしてるの?」    すると風花は目をキラキラさせながら答えた。   「将来の夢のために資金を貯めてるの。動画配信者になるのよ!」    風花には悪いが、それはかなり微妙だ。今から参入したところで金を稼ぐのは難しいだろう。ショート動画の方がバズりやすいのでは。   「違うよ。そういう野望みたいなものじゃなくてさ、夢なの。子どもの頃から憧れていた動画配信者とコラボしたい」    その先はどうするつもりか聞きたかったが、風花が俺に話を向ける。   「りくくんは将来何になりたいとかあるの?」    この時点ではまだ迷っていたものの、俺は素直に打ち明けることにした。   「俺はバンドを組みたいなあ。売れなくてもいい。自分の好きな音楽を作りたい」   「えーっ! 売れるバンドになりなよ!」    風花の言葉はなぜか、俺の話より現実的に聞こえた。    やはり彼女はきちんと将来を見据えて、今のうちからバイトをしているからだろうか。      やがて俺もバイトを始めようと考えるようになる。    家に帰った俺は早速両親にその話をした。   「せっかく進学校に入ったのだから大学を目指した方がいい」    父が珍しく厳しい顔をしながら言う。    親が子どもに平和な人生を送って欲しいと考えるのは当たり前だろう。   「大学に入ってからでもいいんじゃない? 家庭教師や塾講師のほうが時給いいわよ」    母が続ける。    後回しにすることは簡単だ。だが俺は風花みたいに歩き出したかった。   「わかった。受験はするし、そのために勉強も頑張る。でも今からバイトして、お金を貯めてどうしてもギターを買いたいんだ」    俺の情熱に負けたのか、いつもの「理解ある両親」に戻ったのか、俺の提案は受け入れられた。        俺は部屋に戻るとすぐにスマホを手にした。風花に一歩近づいたことを伝えたかったのだが、その日、既読がつくことはなかった。      翌日高校に行くと風花の姿がない。次の日もその次の日も。      先生に聞いても答えてくれないまま日は過ぎ、やがて俺は風花が高校を中退したことを知った。
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