第9章 刻印

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第9章 刻印

「りくさん。本当にごめん」    南さんが真剣に語りかけてきたので、俺はイヤホンを外した。   「そんなに驚くとは思わなかったよ、なんとなくわかってるだろうと。もう19だし、大人の遊びを知っといたほうがいいかなーって」   「19なんてまだガキですよ」    俺にはそう言い返すことが精一杯だった。      南さんはまたタクシーを呼び、来るまでの間俺たちは無言だった。    タクシーの中で南さんが沈黙を破る。   「社会人になったんだから、大人の付き合いというか。男の遊びだよなー、それを知らないと」    南さんの言葉は、俺にとってはただの雑音だ。  「これからいろいろな人と出会い、少しずつ学んでいかないとさ」    無意味な言葉の羅列が続く。      南さんはわざと大きなため息をつく。   「これだから童貞くんはなー!」   「だから、童貞とは言ってないじゃないですか」    俺が冷静を装って答えると、南さんは無情な質問をぶつけてきた。   「じゃあ、初体験はいつだったわけ?」   「うーん」   「彼女いたことある?」   「まぁそれっぽいことは」    このやりとりで南さんは察したようだ。      タクシーがマンションに着いたあと、翌々朝まで俺たちが会話を交わすことはなかった。     「おはよー。ねー、りくくんの高校ってセーラー服だった? それともブレザー?」    俺がレンジで牛乳を温めていると、南さんが唐突に聞いてくる。   「高校は制服なかったんです」   「じゃあ毎日バンT? アズアイとか」    温まったカップを取り出しながらめんどくさいなと俺は感じた。   「いや、あの頃はメタルコア聴いてなかったんで」    大げさに驚く南さんに背を向け、牛乳の入ったカップにココアパウダーを入れ、軽く混ぜる。      南さんはダイニングテーブルに腕を投げ出しながら、ある提案をしてきた。   「カレカノ気分を味わってみない? セーラー服がコンセプトのヘルスがあってさ」      またか。    俺は黙ってココアを飲んでいたが南さんは止まらない。   「ねー、ずっと童貞でいるつもり?」   「まだ慌てる必要がないなんて思ってると、魔法使いになっちゃうよー」    俺はつい声を荒げてしまう。   「なぜ女なんかに金を払わなきゃいけないんですか!」    この言葉に俺は嫌悪感を込めたつもりだったが、南さんには通じなかったようだ。      無意味な押し問答を続けたものの、結局根負けしてしまい、再び「大人の社交場」に行くことになった。    しかも、前よりハードルが高い。        ファッションヘルスは細かい決まりが多く、一度では覚えきれない。   「女の子に任せとけば大丈夫だよ。むしろ余計なことはしないほうがいい」      受付を済ませて待機室に入ると、サラリーマン風の男性たちが談笑していた。これから何をするか、お互いにわかっていながらと俺はいらついた。      南さんに励まされて個室に入る。    セーラー服姿で現れた女性はどう見ても30を越えて見えたが、俺はただ早く終わって欲しかった。    初めて? と聞かれてうなづくと、嬢は「えー! かわいい」とはしゃぐ。    シャワーを浴びるよう言われたものの、やはり俺は気が進まない。   「ほら、脱ぎ脱ぎしましょ」    女性が俺のベルトを外そうとした時、急に殺意が目覚めた。   「やっぱり嫌なものは嫌なんだよ!」    俺の叫び声が大きすぎたからか、店のスタッフが飛んできた。   「お騒がせしてすみませんでした。今日は帰ります」    足早に去る俺を、もう誰も追いかけてこなかった。
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