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好きのかけら
「モトくんですか?」
声をかけられて振り向いた、そこにいたのはいわゆる元彼だった。中学のときに好きになって、高校でつきあった。アプリとか、ハッテン場とか、いわゆるそういう出会いじゃなくてつきあったのは、彼だけだ。まさかその彼と、出会い系アプリで七年ぶりに再会するなんて。
びっくりして、ぽかんとくちをあけた俺に、ジョウくんこと丞依は、すこしだけおどろいて、それから「久しぶり」だなんて、久々に会った同級生みたいなあいさつをした。たしかに、久々に会った同級生ではあるんだけれど。
俺たちの最後は、円満とはいえない別れだった。中学で出会って、高校の三年生でつきあって、大学二年で別れた。いわゆる遠距離恋愛の末のすれちがいってやつ。最後の一年なんて、会えたのは片手にも満たない数。丞依のことは好きだったけれど、でも時間と距離は、好きだからこそ埋められなかった。
つまりは、こじらせた未練は、俺のこころの底に澱のように沈んでいる。
それをひとめ見ただけで思い出して、俺はなつかしさと切なさに、ぎゅっと胸が痛んだのに。
「そっかぁ、酛生もアプリとか使ってんだな。まあこれもひとつの出会いだし。気心知れててちょうどいいよな」
そう言って、行こうぜと俺をうながした。いつもだったら、ちょっと酒でも飲んでそれからって流れ。アプリのDMでは、丞依だってそういうつもりの話をしていた。なのにまっすぐに向かったのは、入り組んだうら通りに入口のあるホテル。
ああそう。気心知れているから、知っている仲だから、元彼だなんて感傷にひたるよりも、手っ取り早くセックスがしたいって、そういうこと。
……なんて、イラっとするけれど。結局俺は、いやだと言うこともできず、ただ丞依の後をついていく。ネオンに照らされた後ろ姿は、あのころよりもすこしだけたくましくなって、記憶のなかの丞依が、過去のものなんだと教えていた。
あのころと違うんだから、とそこで拒否できればいいのに、あのころの面影が俺を惹きつけて、引き止める。こころの底にあるよどんだ想いをかき混ぜて、思い出させる。
わざとらしい植木と壁の間、ひっそりと看板の飾られた入口に入るとき、さすがにすこしだけ怯んで足が止まった。
「酛生?」
振りむいた丞依が名前をよんで、ん、と手を差し出した。あのころみたいに。ホテルの入口から部屋まで、家の門から部屋まで、ほんのすこしの距離だけど絡めた指が恥ずかしくて、うれしくて、ドアが締まりきるまえに、キスをねだっていた。
ほんと、元彼なんて……、いやになる。別れたのに。あっという間に、あのころのきもちに引き戻される。それも、俺だけが。
ざら、とした指の感触に、ぞわわと鳥肌がたつ。どきどきする鼓動をかくして、手を引かれる。ほんのすこし、部屋を選んで、廊下をすすんで、ふたりだけの密室に行くまでの、ほんのすこしのあいだ。
801と金プレートのかかげられたドア。その前で立ち止まった。
ほんとうに丞依とするつもりなのか?
あたまのなかで声がして、だってしかたないじゃん、と返事をした。
だって丞依はそのつもりだし。アプリでマッチングしちゃったし。こんなとこまで来ちゃったし。それに、何度もヤッてんじゃん。丞依とするのなんて、いまさらだ。
これからすることは当たり前で、なんでもないんだって、いいわけをならべる。
だからいいんだって言い聞かせて、ドアを押す丞依のあとにつづいた。
──また、好きになっちゃうかもよ?
遠く聞こえる声は聞かないふりをした。
最後はくるしいばかりの恋だったけど、丞依を好きだったときの記憶は、俺のなかではきらきら煌めいている。
あんなふうに夢中で、俺のぜんぶで恋がしたい、もう一度。そう思って探した恋人も、結局だれひとり丞依ほどには俺を夢中にさせなくて。
……わかっているんだけどね。あれは、あのときの思春期の初恋が見せた夢だなんてことは。わかってる。
けれどももう一度、もしかしたら。きらきらの残骸の、かけらくらいは感じてみたい。
部屋の中はいかにもなラブホ仕様だった。こういうことするときには、それがもえるといえばもえるけれど。かべにはあからさますぎないように、ところどころ柱みたいに鏡がうめこまれている。
ベッドの枕元には、ルームライトの調整リモコン。なんかポップな音楽が絞った音量で流れている。たぶん外の見える窓はぴっちりカーテンがしめられて、なのにベッドからまっすぐ見える部分に、大きなガラス。その向こうにはひろいバスルーム。
……いや、ほんと、典型的なラブホ仕様。
いつものシャワーを浴びるとか浴びないとか、いきなりベッドに引っ張られるとか、押し倒すとか、部屋に入ったとたんにスイッチ入れてキスするとか。そういう前戯みたいな盛り上げるための駆け引きの、そのぜんぶが恥ずかしくて、ぎこちなくなる。どれひとつとして、丞依するなんてむりだって思う。
ただ部屋のなかに立ち尽くした俺を、なれたしぐさでベッドに引きたおす。そうしてくるりとからだを変えて、抑え込むみたいに喰い付かれそうなキス。
「……ぁ、…はぁっ」
息があがって、キスの合間に必死に息つぎをする。じわじわとからだの熱が上がる。腹が立つけど、からだは勝手に期待していた。
ぐりと押し付けるみたいに、丞依のひざが太ももをわる。その刺激でおもわずうめいた。
「感じやすいの、変わらないな」
「感じてなんかっ……」
「じゃあこれは、期待勃ち? むかしから、おとなしそうなのに、やらしいこと好きだったよな」
「……やらしいこと、するからだろ……」
「よろこんでたじゃん?」
「よろこんでなんて、ない」
「フーン、そっか。……じゃあそういうのぜんぶ、俺の思い込みだった?」
いきなり気弱なトーンになられて、調子がくるう。
「……そういうわけじゃ、ないけど」
だって、好きだったから。
好きだったからふれられるのも、求められるのもうれしくて。きもちいいっていうとうれしそうにするから、もっときもちよくなりたくて。いつだってほんとうは、丞依が望む俺になりたかった。
「確認、しーようっと」
ちゅ、とくちびるにキスをして、丞依の手がシャツのうえからからだをなでた。反射でぴくりとからだが固まる。
「ここ、やさしくさわられるの、弱かったよな。それから、ここ……。細っそ。あーでも、あいかわらずきれーな鎖骨。俺、やっばり酛生の骨格、好きだわ。おまえほどむしゃぶりつきたい鎖骨、ほかにないもん」
べろり、と首筋を舐められて、それから舌が鎖骨をたどる。びくびくとふるえながら、俺はそれに抗議する。
「……っ、シャツ、ひっぱんな。くび、痛」
「ん、わりぃ」
そう言いながらも、丞依は引っ張ることをやめずに、皮の上から骨をかんだ。
「いっ…て……! かむなよっ」
「鎖骨、最高なんだもん」
「最高なんだもん、じゃねーよっ!」
「言われない? 鎖骨がきれいだって」
「んなマニアックなの、丞依くらいだっ……、ぁ」
ゆびが首すじをやさしくなぞってぞわぞわする。ずくり、と腹のおくがうずく。その瞬間を丞依は見逃さない。ちゅ、ちゅ、ちゅ、となんども首にキスをして、のどぼとけをに触れて、そのかたちを確認する。
すこしだけ息苦しくなって、空気がうすくなって、は、は、と息が浅くなる。こうなってしまうと、自分をコントロールするのは、もう難しい。
「酛生、えっちな顔になった……」
自覚あることをつぶやかれて、羞恥心がました。ぐずぐずと崩れていく、からだと、こころ。
むかしだったら、かわいいとか、すきだとか、たたみ掛けるみたいに、俺を逃さないことばを言ってくれたのに、丞依のくちからそのことばを聞くことはなく、いまはただ、はー、はー、とえものを前にしたけものみたいに荒い息をくりかえす。
この、ほんの少しのなれ合いの間に、俺のこころはすっかりあの頃に戻ってしまっていた。
目の前のおとこが俺に欲情している。その優越感と、単純にきもちよくなりたいのと、それだけでいたずらにからだを重ねてきた。リップサービスに過ぎない『すき』に期待することもないし、うっすら笑って受け流すことに罪悪感もない。それがいつものセックスなのに。
丞依をあいてにしたらそれだけで、ひとつ、ひとつの行動に意味がでる。期待してしまう。からだだけじゃなくて、こころまでゆさぶられる。
求められている。
それがからだだけだと、どこかでわかっていても甘美な蜜の味にあらがえない──。
抱きつく勇気はなくて、自分を見下ろす丞依のシャツをつかんだ。てざわりのよい布は、ほどよくからだに沿って、俺と対象的に厚みのある筋肉をつつんでいる。
ゆっくりと顔が近づいて、くちびるがふれる。温かな手が、シャツの間からしのびこんで素肌にふれる。たがいにふれたいと、きもちよくなりたいと合意する。
あたたかな手が肌をなぞるたび、やわらかなくちびるがふれるたび、びくびくとからだがふるえた。そこにあるのはもう、愛情じゃなくて欲情なのに、俺の記憶が、愛があるんだと錯覚させる。
愛がある。それだけでいつも以上にからだはとろけて、快感におぼれてゆく。
服をすべて脱がされ、それでもすこしだけ怖気づいて、シャワーとつぶやいた俺のことばは黙殺される。それどころか脇に鼻をさしこんで、すんすんとにおいをかいで、酛生のにおいだとつぶやく。
はずかしくて逃げ出したくなる。けれどもがっしりとからだは押さえつけられて、えものを捕らえるよろこびを与えただけ。
そうしているうちに、あつい指が腰をたどって尻をもんだ。薄く肉のすくないからだなのに、なぜか尻だけはふっくらとまるく、それも丞依のお気に入りだった。指が肉にめりこむ感触が、じわじわとその中まで侵食していく。たまらなくなる。
「いれてほしい? もう、ひくついてる」
羞恥をあおる言葉。むかしは何も言わずに、たまらないという感じで入れてくれたのに。いれて。その言葉が言えなくて、腰をゆらして自分から丞依のゆびを誘導した。
「えっちなんだから」
おこったみたいに言って、ゆびが穴をさぐる。望み通りにふれられて、からだがふるえ、ちからが抜ける。どうにでもしてほしい。丞依のすきなように、貪ってほしい。
だらしなく足をひらいて、もっと、とねだる。おねだりに応えたゆびが、くるくるといりぐちをたどって、つぷ、と先端をさしこんだ。
ぬくり、とからだにはいってくる異物。入口をなぞるだけのそれがもどかしくて、自分から動いて中までさそいこむ。
アプリでのやりとりで、今日はするって思っていたから、軽く洗浄ついでにほぐしてあって。その時につかったローション残りが、さしこまれたゆびをすべらせている。
「……なんか、仕込んであるんだけど」
「し…こんでるわけじゃ……なっ…、あ、んっ」
ぐいぐいとさしこまれたゆびを、ぐにぐにと動かして、きもちいい場所をさぐる。むしろ、探さなくても覚えているくらいの的確さで。あまりのきもちよさに声が止まらなくなる。
「どんだけ入れられんの好きなんだよ」
「あぅ、ちがっ……、あ、あ、」
「好きだろ? むかしからえろいこと大好きだもんな。ほら、ここ……こうすると……」
「あ゙……!! あんっ、それっ」
「ほら、もうイキそーになって、なかうねってるし……」
怒ったようなこえに泣きたくなった。えろいことが好きなだけじゃなかった。丞依とするのが好きだった。相手が丞依だったから乱れもしたし、誘いもしたのに。
そういうのは伝わってなくて、ただ俺がやらしくて誘っていたと思っていたんだろうか。だからあのときも、簡単にほかの男を誘ってると言ったんだろうか。
だから。だから一緒にいられなくて……、
ふいに抱えたせつなさを押し流すように、つぎから次へ快感がやってくる。あ、あ、とあえいでもだえながら、あたまのなかがまっしろくなる。きもちいいことしかわからなくなる。
そんなのいいじゃん。いまだけきもちよければ。あのころみたいにきもちよくイキたいだろ? すがって、ねだって、こころのなかまでぜんぶさらけだして、ゆだねて。
すこしの間だけ、忘れればいい。別れたことも、好きでいられないと言われたことも。少しの間忘れて、丞依が大好きだったあのときに戻れば。
抱きしめられたくて手を伸ばす。だけど丞依の背には届かなくて、たくましいうでにふれた。なめらかな筋肉のうごきをゆびで感じる。
「あ、あ、丞依ぃ……」
「ん?」
かえってくる声は、思いのほかやさしい。あのころみたいに。
「もっとしてほしい? ゆびでイカせてやろうか? 好きだったよな、ゆびでとろとろにされてから入れられんの」
そんなこと覚えているのかよ、とか、反論する余裕さえあたえず、ゆびがそこを出入りのする。きもちのいい場所をとらえて、でも掠るていどに。
もどかしくて、もどかしくて、もっと感じたいとなかが敏感になる。じぶんから腰を反らせて、さわってほしい場所を当てる。
「ここ、だろ?」
ぐちゅん。
突然、その場所をとらえられて、びくん、と腰が跳ねた。がくがくと足がけいれんする。
「だ…め……っ!」
「だめって反応、してない」
「あっ、あ、ちがっ……! だめ、だめっ! でっ…ちゃ……!」
「出していーよ」
「やっ…、…あっ、ちがっ……、ちがうぅ」
「いいから、出しちゃえって。イキたいだろ?」
ぐちゅぐちゅおとをたてながら、太いゆびが出入りする。それは性器とも俺のゆびとも違っていて、確実にほしい場所に当ててくる。だけど……
丞依を止めさせたくて手をのばす。なのにそれは、目的をはたす前に軽くあしらわれてしまった。
「やっ……、やらっ、でぅ、でちゃうから……!」
「なんでそんなにやなんだよ」
「ち…がうの、ちがうの、でうかっ…らぁ…、やぁ……、も、やめ……」
すぐそこまで、それはせり上がっていて、今にもせきを切ってあふれそうになっている。必死にこらえようとちからを入れてみても、次の瞬間には感じさせられて、ぐずぐずとからだをとろかされてしまう。
「なに?」
「ぬぇ…ちゃう…、びしょ…、びしょに、なう……。なっちゃう……、やめ…てぇ……!」
「は、なに言ってんの? 潮でも……」
丞依がそう言うのと同時に、ぷしゃ、と小さな水音がした。
あ、と思ったときにはもうそれはあふれでて、俺の腹の上をあたたかくぬらしていた。「え……」とおどろいた丞依の声。
とんでもない開放感に包まれながら、恥ずかしさにふるえた。いますぐかくれたい。
「……だから、」
やめてって言ったのに、とは言わせてもらえなかった。ぎらりとした視線で俺をとらえて、なんだよこれ、と丞依がつぶやく。
そしてまた、ぬちゅ、と音をたてて丞依がうごきだす。
「なんだよこれ、どういうこと? 潮なんて吹いたことなかったじゃん」
「あっ……、やめ、あ、あ」
だめ。それされたら、またでちゃう……!
がくん、とからだがのけ反って、あたまのなかが出したいでいっぱいになる。ぎりぎりの理性が引き止めて、けれども弱々しくあたまをふって、だめ、だめ、とくり返すことしかできなかった。
「あ、だめっ……、だめぇっ!」
また、ぷしゃ、と体液が飛び出る。ふぅ、ふぅ、と丞依の興奮した息の音が聞こえた。はらの上にあふれた体液が足の間を伝って流れ、ぐちゃりと俺のなかに入っている丞依のゆびをぬらしていく。
くちゅくちゅと音をたてて、丞依のゆびはそのまま止まることなく、俺をあおってゆく。
「あ、あ、あ……、あぅ……、やっ、……やだぁ、あ、ぁんっ」
あられもないあえぎ声と一緒に、奥をさぐられるたびに、ぷしゅぷしゅと体液があふれる。へそのあなはたまった潮でびしょびしょであたたかく、からだがゆれるたびに、しずくが流れ落ちた。
空いている丞依のゆびが、はらのうえの水たまりをかきまぜながらなぞり、毛の生えぎわをぐっと押す。
「……っあ! あっ!」
軽く叫んで、がくがくとふるえる。あたまが真っ白になって、息ができない。
がくん、とおおきくからだが跳ねて、ふわり、と宙にういたような感覚がおとずれる。
「イった?」
遠くで丞依のこえが聞こえている。ぼんやりとした聴覚は、確かに音をとらえているのに、それを理解するのはむずかしい。
ちいさく痙攣をくりかえす俺からゆびを抜いて、ぬれたはらをなでる。それだけの動きにも俺は感じて、びくん、びくん、とからだをふるわせた。
──だから、だから止めてって言ったのに。
丞依とつきあっているときには、潮なんて吹いたことはない。あのころはいまよりもっと性欲も強くて、それで丞依のことも大好きだから、いつでもふれあっていたかった。互いに若くて、欲を満たすことに精一杯で、不器用で夢中だった。
それなりにセックスを楽しみもしたけれど、性技や好奇心よりも、ただつながっていたくて、つながっていればしあわせで。なんども、なんども不器用なセックスをくり返した。キスして、ふれて、挿入して、イって。それだけの単純なセックスでも、なによりも満たされていた。
ぼんやりと明確になっていくあたまで考える。
だから、飽きられちゃったのかな。俺は好きだったから、それだけで満たされていたけれど、もっといろいろしたかった? だから浮気なんてしたんだろうか。
『好きだからやりたい』それだけじゃなくて、もっと気軽にきもちいいことをしたいのもわかる。会えなければさみしいし、人恋しくなるときもあるし、自慰じゃものたりないだってわかる。
だってそれは、いまの俺のすがただ。恋人はいないけれど、単純な性欲解消に知らないひととでも関係をもつ。
だけどあのとき、まだ恋人だったときの俺の存在は、丞依がそれをふみとどまる理由にならなかったんだろうか。途中で俺のことを思い出して、悲しむかもしれないと思わなかったんだろうか。
進学して遠距離恋愛になって、あまり会えなくなって、あたらしい出会いもあって、あのころは一気に世界がひろがった。俺も丞依もそれまでのままではいられなかった。
──きっと、そういうことなんだと思う。
俺は丞依の広がってゆく世界に嫉妬して不安になって。でもきっと丞依もそうだったんだと、いまならわかる。
不安でさみしくて。丞依と一緒にいられないすきまを埋めるみたいに、新しい世界がきらきらして見えた。こんなふうに、軽く、誰とでも交われるなら、さみしくないんじゃないかなんて考えて。
結局俺はあのとき、丞依のかおがチラついて浮気はできなかった。ぐうぜんにも同じタイミングで、丞依は浮気した。
自分だって浮気しそうになっておいて、丞依が悪いなんて責められない。けれど、それでもふみとどまった自分がばかみたいで、やっとけばよかったなんて啖呵をきった。
だけどほんとうは、浮気をしようとしたそのときの罪悪感と、まぶたに浮かべてしまった丞依のかおを思い出しては、丞依はおなじに想ってはくれなかったんだと悲しかった。
そのままひどい言葉を応酬していきおいで別れた。それからは、あんな苦しい思いはしたくなくて、楽しい関係ばかりを求めた。友だちとだって寝るし、ゆきずりだって関係ない。
気持ちをしばらない関係は、気持ちもからだも軽くて楽しい。苦しいことなんてなくて、だけど丞依と一緒にいたときみたいな、満たされた気持ちになることなんてなくて。
息をととのえながら閉じていた瞳をひらく。丞依は浴室から持ってきたバスタオルを、二つ折りにしてベッドに敷いた。それからまくらもとに用意されているコンドームと、ポケットから取り出したちいさなパウチのローションをそこに放った。
ほんとうにする気なんだ。わかっているのに、聞いた。
「やるの?」
「……逆に、ここまでやっといて、やらないとかある?」
「それもそうだけど……」
わずらわしそうな表情で返されて、つきんと胸が痛む。そうだ、ここまでやっといていまさら。だけど、──だめだ。忘れていたはずの未練まで、思い出している。
たぶんきっと、今日が終わったら俺は泣く。あのころの気持ちに引っ張られているのがわかる。わかるのに……、
「ほら、こっち移動しな」
シャツを脱ぎながら丞依がバスタオルを指した。ぐずぐずと往生際悪くぶつぶつ言いながら、俺はそれに逆らえない──、なんていうのはずるいか。逆らいたくないんだ、期待なんてないはずなのに、期待している。
もっと、丞依にふれたい。
「つか、酛生どんだけあそんでんだよ? もともと敏感だったけどさぁ、開発されすぎじゃね?」
「……丞依に言われたくない。それにそんなにあそんでないし、開発もされてない」
「あんなにびしょびしょにしといて? 俺、中だけで潮吹くのなんて初めて見た」
「あ…れは、……俺はそういう体質なの!」
「体質ぅ? そんなことある? 俺としてたときに吹いたことないじゃん」
「ないけど! あー、もう、うるさい! やるの、やんねーの!?」
つっこまれるのが嫌でこえが荒くなる。
ほんとうは、もともと丞依としてるときにもその感覚はあったのだ。なんていうか、おしっこしたくなる、みたいな。でもそれは射精の前にも似ていて、まさか潮だなんて思っていなかっただけ。
そこにたまたま、別れたあとに潮吹かせるのが得意というひとと関係を持った。おれはそれでそのむずむずした感覚が、射精じゃなくて潮だと知ったのだ。
それからだって別に、いつでもそうなるわけじゃなくて、相性なのかなんなのか、妙にそうなってしまう相手がいる。指でもちんぽでも。だから、たまたま丞依もそういう相性が良かったってだけなんだ、けど……。
浮かれたような、でもいじわるのような、丞依の態度にこころは振り回される。
セックスへの期待はひしひしと感じていた。
けれど──
引かれただろうか。あそびすぎて開発されすぎだって。こんなやつとつきあってたなんて、と思っただろうか。もっと気軽にセックスだけ愉しめばよかったと思っただろうか。
──もしこれで、セックスが良かったら……。
したくない、ばかな期待。セックスだけ良くたって、本気になったら捨てられる。捨てられなくたって、都合よくキープされてあそばれて。
そういうの、たくさん見てきただろ? 期待なんて、したらだめだ。だめ、なのに……
やらねーの、と煽られて、眼光を強くした丞依が、やるに決まってんだろ、とバスタオルの上に引き上げられる。
視界にうつる、興奮した丞依のちんぽに、からだが疼く。
「舐める?」
「してくれんの?」
はっ、とわらって丞依がからだをずらした。顔の横に差し出された久しぶりのそれを、舌先だけでさぐって、ちろりと舐める。むかしとかわらず張り出した、かりの段差に舌を巻いて絡めた。
頭だけをうごかして、竿の血管をたどり、根元まで確認してから亀頭へともどる。先端の敏感な穴に舌先をさしこむと、じわりと苦い味がする。そうして亀頭を舌で押さえながら、くちの中へとみちびいた。
「はぁっ……」
気持ちの良さそうな吐息に、満足する。もっと気持ちよくしてやりたくて、歯を当てないように気をつけながら、深くまで丞依を迎え入れてゆく。ずくん、とくちのなかのそれが堆積を増して、うぐ、とのどが鳴った。
「あんま、やるなよ……。酛生にされんの久々だから、でる」
「んーよ、らす?」
「もったいねーだろ」
そう言われて、ぢゅ、と吸い付いた。丞依は強く吸われながらされるストロークに弱い。
「あっ! ばかやめろって!」
ぐい、とひたいを押されて、ちんぽがくちから飛びだした。それは、俺の唾液が絡んで、舐めるまえよりもずっとえろい。
ぷるんとふるえているそれを、丞依の男らしい手が支えて、器用に半透明のゴムをかぶせていく。そのようすをじっと見ながら、がまんできずに、ゴム越しの亀頭を舐める。
「……おっまえ、待てねえのかよ」
「らって……」
こんなんなってるの、目の前で見せられたら無理だろ。そうしながら、自分のうしろにも手をのばす。
性器でないはずのそこは、丞依の太いゆびにとろかされたまま、ふっくらとゆるんでいた。いちどイったあとの胎内は、おどろくほど熱く、そしてやわらかい。
「すぐ、入れるからな」
「ん、とろとろ……」
「じぶんであそんでんじゃねーよ」
話しながら、丞依がぬめるゆびで苦労してちいさなパウチをあける。そうしてホテルにあるものよりもねばりのあるローションをゆびにとって、俺の指と一緒に入口にぬりつけた。自分のからだを移動させてから、俺のからだをくるりと反転させる。
ああ、バック、好きだったもんな……。
なんだか懐かしくなりながら、丞依がちんぽにローションをかけて、するすると尻の間をなぞるのを、期待して待った。敏感なそこをくちびるのように弾力のある亀頭がなんどかなでて、それからぐぐ、と一ヶ所にちからを込める。
そうするとさして抵抗することもなく、その穴は、するりと丞依の幕におおわれたちんぽを飲み込んだ。
「……っ」
ちからを入れて、抜いて、ぬるぬるとそいつを飲み込ませていく。あたまがしろくなって、俺もだんだんと快感に飲み込まれてゆく。
「きもちいい?」
ゆすゆす、と腰をゆすりながら丞依が聞いた。俺のくちからは、いつの間にか絶えまなく声があふれていて、自分の意志で息つぎをすることすらむずかしい。
あ、あ、とあえぎながら、こくこくとうなずく。高く抱え上げられた腰の、その奥からとんとんと快感がひろがって、あたまの中はぐちゃぐちゃだ。
ばちん、と腰を打ち付けて、丞依が俺のからだを抱く。そうして胸の突起をかりとひっかいた。
「あっ……!」
ひときわ高い声をあげて、びくびくと腰がふるえる。ゆびはそのままこりこりと凝った乳首をこねまわし、腰の動きはねっとりと、深い場所を刺激し続けている。
「ゔぅ…、な、だめ、それ……」
はらの奥に、にぶく快感がたまってゆく。いちど出してスイッチが入ってしまったら、次からのそれは容易で。
「だ…め、だっ…てぇ!」
こえと同時に、ぷしっ、とすこしだけあふれる。それからは、とん、と突かれるたびに、ぷしゅ、ぷしゅと。腰をつかんでいた手がすべり、前に伸びてあふれるそれを確認する。
「うわ、すっげぇ。突かれるたびに出てる」
ふといゆびが竿をにぎり、ひとさしゆびの腹で体液をあふれさせる鈴口にふたをする。
「ゔっ…、ぁっ……!」
ぐぐと、尿道にたまったあふれでるはずの潮がちんぽを圧迫して苦しくなった。あふれるはずのそれがからだのなかにたまって、出したくてしかたがない。
「~~っ……やっ! とめなっ…、ゔっ、ゔ……、だひた……っ、だ、ひた…いぃ……」
「だしたい?」
「う…、んっ、だひた……! ん゙、あ゙っ! あ゙ぁ゙っ!!」
とん、とん、と奥を突かれて、押さえたゆびのすきまから、ぴゅ、ぴゅ、とあふれる。けれどもそれだけでは、出したい欲求が高まるだけで、解放には至らない。
「じゃあ、おもいっきし、奥、突いてやるから、それでイけよ」
「ゔ……んっっ、は…やく、はっ……! あっ、あ゙っ! はや、くぅ……っ!」
「俺も、いっしょに……」
「んっ……、ゔぅ……! っ……」
激しく、深くなる動きに、呼吸ができなくなる。せき止められた快感が、からだのなかでうずまいて、出してくれと叫んでいた。
「イ…く、よ……!」
荒い息といっしょに、丞依が合図する。ずんずん、と奥を突かれて、それからぐっと腰を押し付けられた。びくん、と動けないまま背中が反った。
ぱしゃり、とゆびを外された鈴口から、水分が飛び散った。
「っ~~……、あぁ、ぁ……」
あまりの快感にあたまのなかが真っ白になって、からだのちからが抜ける。勢いよくはじけたあとは、蛇口のこわれた水道みたいに、だらだらとたれ流した。
その間にも、どくんとからだのなかの丞依がおおきくなって、それから絞り出すように痙攣していた。なんどかそれをくりかえされるたびに、おれのからだのなかからも、せき止められていた快感があふれでる。
「っ……ぁ……」
声とはいえない丞依の吐息が、おおいかぶされた耳元で聞こえて、かってにからだが感じる。耳から脳にその音がひびいて、がくがくと小さくからだがふるえた。
「あ……ぁ……ぁぁ……」
くたりとからだのちからが抜けて、丞依におしつぶされた。ぬれたバスタオルのうえにぺたと落ちる。まだ体温の残る水分が、肌にふれて気持ち悪い。
だけどそのすこしを動くのもおっくうで。
丞依が、はぁーとおおきく胸で息をした。厚いむねが重くてここちいい。はぁ、はぁ、と呼吸を整える丞依にあわせて、だんだんと呼吸がおちついてゆく。
悪い、重かったな。と言いながら丞依が背中からからだをどかした。ふ、と軽くなる呼吸。だけど、あっという間に冷えていく背中のさむさがさみしい。
目を閉じたまま、息を整えて、処理のために引き抜かれるティッシュの音を聞く。ぱちん、と音がして、わ……、と丞依がつぶやいた。
「すげー、でた……」
「……なに」
「みる?」
はずしたばかりのコンドームをぶらさげて、なかにたまった精液を俺に見せる。
「……たまってたの?」
あたりまえだけど、まえより手慣れてるし、なんかすごかったし、相手に困っている感じではなかったけど。
「たまってねーし……」
あきれたように言って、丞依はおおきなため息をついた。
「だよなぁ……。すごいうまくなってた」
「……それがわかる程度には、酛生もあそんでるってことだろ」
そう突っ込まれて、ははは、と笑ってごまかす。たしかにそう言われればそうなのだ。俺だって恋もふれあいも初めてで何にも知らなかったのに。いまでは恋愛の経験人数はちっとも増えていないけれど、からだの経験人数だけがやたらと増えてしまっている。
「いっぱいでた自慢?」
「ばか……。そんなの、おまえが相手だったからに決まってんだろ」
すねたような、昔とおなじ物言いに、どきりとする。一瞬期待して、でも期待したくない。丞依のきまぐれにふりまわされたくない。
「……どういうこと?」
「ははっ、どういうことだろな?」
そう笑ってはぐらかして、その精子がたまったコンドームをくるりと結んで、ティッシュにくるむと、なんの未練もなくぽいと放りだした。
さっきまで、あんなにおかしくなっちゃうくらい気持ちよくて、夢中で、ふたりひとつにつながっていたのに、はなれてしまえばそんなに呆気なく。なんだかさみしくて顔を伏せる。
と、からだの下のバスタオルを引っ張られて、くるりと転がされた。そうしてぬれたバスタオルを丸めて雑に俺のからだをぬぐうとぽいと捨てて、代わりに丞依が転がる。
ぽかんとそのすがたをみていた俺は、寄りそったたくましいからだに恥ずかしくなって、また顔を伏せた。
「……なんだよ」
「風呂、あとでいいよな」
「いいけど……」
「うん。じゃあちょっとだけ」
そう言って背中を抱いて引き寄せる。
……いや? いやいやいや、ちょっとまって。なんだこのあまい雰囲気は。
丞依って、寝た相手にこんなにやさしくすんの? 恋人だったときは、まあそれなりに……だったけれど、それは恋人だったからであって。セフレにもならない、一晩かぎりの相手でも? って、たしかに俺とは旧知なんだけど、でも恋人だったときだって、事後はちょっとほっといてくれってタイプで。
あ、そうか。
セフレにしときたいからやさしくしてるみたいな、そういうこと?
なんだよ、そういうことならそう言ってくれればそれでOKするのに。こんなサービスなんてしなくたって……。
そう思うのに、きもちが追いついているとはいいがたくて、ついあたたかな胸に身を寄せてしまう。だって、しかたないよな。こんなに心地よくて、別れたといえ気心も知れていて。
好きになるなも何も、ひどい扱いをされても、きらいにだってなれなかったのに。
なんか、どうせ好きな人も恋人もできないのなら、俺だけが好きなままのセフレでもいっか、とか。離れて忘れられなかったんだから、近くでちゃんと嫌いになれた方がいいんじゃないの、とか。矛盾しているのかどうかもわからない、丞依にとって都合のいい思考ばかりが浮かぶ。
──いや、俺にとっても、都合がいいのか。
「俺たちさ、相性良いよな」
抱き寄せた腕で髪をなでながら、丞依がそう言った。きた、と思いながら、なんでもないふりをよそおって、そうだなー、と気のない返事をする。
「なに、その返事。酛生、ほかの人ともいつもあんなんなの?」
「……んなわけあるかっ!」
セフレがいいなら「そうだよ」と言えばいいものを、恥ずかしさに思わず反論した。
たしかに、潮吹いちゃうのとかそういうのはあるけど、あれはあれで気持ちいいけど。そんなの見たら、俺が気持ちいいの大好きですげえ開発されてるって思うのかも知れないけど。
でもそれはイってるのとはちょっとちがうっていうか、単純な性欲の発散、射精と変わらなくて、でも今日は。丞依とするのは、それとは次元がちがっていた。
思い出のなかの、好きのかけらがあるだけで、あんなに──。
「……おれだけ?」
「え?」
「あんなふうに感じるの、俺だけ?」
「……」
そうなんだけど、そうだと言いたくない。俺だけが好きだって、言いたくない。
「なあ、俺だけって言って? なあ」
ゆすゆすとからだを揺さぶって、丞依が甘える。なんなんだ、この茶番みたいなやりとりは。俺はもう恋人じゃないだろ? 好きじゃいられないからって、別れたのはおまえだろ?
イラとして言い返すまえに、抱きすくめられて丞依が首もとに顔をうずめた。そうして、はー、とながいため息をつく。
「……俺は、酛生だから気持ちよかった。酛生とすんのは、ほかの誰とするのともちがう。……なあ、酛生は?」
「それ、どういう……?」
「言葉どおり、そのまんまの意味だよ」
そんなこと言われたら期待してしまう。けど、そんなに都合のいいことはないってわかっているから、答えをはぐらかす。
「相性がいいってこと……?」
「相性は……、すげえいいと思うけど! でも俺はそれだけじゃなくて……」
「懐かしかったから?」
「それもあるけど! そうじゃなくてさ……」
ぎゅ、と抱きしめる腕にちからが入る。耳元で深呼吸して丞依が言った。
「俺、やっぱり酛生が特別みたい」
「……え?」
信じられない言葉に思考が止まる。
「ずっと好きだったとかじゃないよ。別れた時は、……悪いけど酛生とはやってけないんだって思った。好きだから離れてるのが苦しくて、さみしさを慰めてくれる存在が癒しになって、どっちが好きかわからなくなってた。
それに俺、酛生しか知らなかったから……、酛生だけがこんなに特別だなんて、別れてからしか気付けなくて……」
ごめん、と耳元に湿った息がかかる。こころなしか、声がふるえている気がした。
都合のいい夢を信じていいのかもしれない。丞依も、俺とおなじだったのかもしれない。そう思ったら強がることもできなかった。
「……俺も」
素直な言葉が飛びだす。
「俺も、あのころみたいに戻れたらいいって、そう思って──」
「そっか……」
よかった、とちいさく丞依がつぶやいた。
「やり直す?」
うずうずと聞いた言葉に、いいの? と丞依が聞き返す。
「これでバイバイだって言ったら、丞依は納得できる? 俺はできないけど……」
だって、何年もずっと未練を残して、好きのかけらを追いかけていたっていうのに。
「やり直したい。俺と、やり直してくれる?」
そう聞いて、ちゅ、と髪にキスをする。芝居がかって格好つけた行動に笑っちゃいそうなのに、どきどきしている。
まけじと俺も、首を曲げて丞依の頬にキスをする。それから「よろしくおねがいします」ってつぶやいた。
はー、とほっとしたため息をついて、ぎゅっと丞依が俺を抱きしめる。密着したしんぞうが、飛び出そうな勢いでなっている。
丞依の緊張がうれしくて、俺からもぎゅっと抱きついた。
いつかまた、傷つくかも知れないけれど。
やっぱりうまくいかないかも知れないけれど。
だけどもう、好きのかけらを追いかけなくたっていいんだ。
そうして俺たちは、ふたりでいっぽ、歩き出したのだった。
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