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14
いつの間にか眠りに落ちた私は、朝方、異変に気が付いた。
奈緒の体が熱い。
私は慌てて奈緒の額に手を当てる。まるでカイロのようだった。奈緒は目を閉じてているが、息づかいが荒い。苦しんでいる。
私は急いで寝袋から這い出した。本殿の戸の隙間から、うっすらと朝日が差し込み、宙を舞うこまかな埃を幻想的に映し出していた。
寒さにかじかんだ体はうまく動かない。なんとかリュックを引き寄せ、救急キットを出す。中には体温計が入っていた。
奈緒の黄色いジャケットのジッパーを下ろし、重ね着している服の間から脇の下に体温計を差し込む。数分後、体温が表示される。
39度。
どうしよう。奈緒が死んでしまう。
部屋の奥に置かれた御神体を見る。昨夜は見えなかったが、どうやら鏡のようだった。
バチがあたったのだろうか。神様の部屋に入ったから。
私はその御神体の前まで体を引きずり、両手を合わせた。
「ごめんなさい。勝手に入ってごめんなさい。扉を壊してごめんなさい。でも、奈緒は知らなかったんです。私はここが神様の部屋だと知っていて、その上で奈緒をだまして入れたんです。奈緒は悪くありません。奈緒じゃなくて私を罰してください。お願いします。お願いします。お願い・・・・・・」
そこまで言って、私は床に突っ伏した。視界が涙で揺らぐのがわかった。
わかってる。神様のせいじゃない。神様のせいにしちゃいけない。
全部私のせいだ。
本をたくさん読んでいるからって、何でも知っている気になって。少し調べただけで、わかっているつもりになって。出来もしないことを出来るって言って。
私を信じてくれた友達を、人生で初めての友達を、死なせそうになっている。
わかっていた。はじめからわかっていたんだ。今回の旅が、なんの解決にもならないことは。何の意味も無いなんてことは。
メイちゃんに会ったからって何だって言うんだ。頼めばメイちゃんが奈緒と変わってくれるのか。奈緒の父親が、娘を本当の意味で愛してくれるようになるとでも言うのか。
なるはずない。
そんな簡単な話だったら、周りの大人がもっと早くなんとかしてくれていたはずだ。どうしようもないから、どうしようもなかったから、今、こうなっているんじゃないか。
私の涙がお堂の床に染み込んでいく。
私だってそうだ。家出でもすれば、父が私を見てくれるとでも思ったのか。私の世話を全て祖母に任せ、入学式にも、運動会にも、参観日にも来てくれず、家では一瞥もしてくれない父が、クラスメイトと喧嘩をしても学校に電話一本よこさない父が、急に振り向いてくれるとでも思ったのか。私のことを思って叱ってくれるとでも思ったのか。
そんなこと、あるわけ、ないだろう。
私は、ゆっくりと立ち上がった。昨日脱いだ靴を履く。湿気が凍ったのだろう。微かにパリパリと音がした。
この世には、罰も、奇跡も、運命もない。
あるのは行動と、結果と、責任だけだ。
ここで奈緒が死んだら、私の責任だ。
私は奈緒の衣服を整えると、寝袋をきっちりと閉めた。
「ちょっと、待っててね」
本殿を出る。一面真っ白に染まっていた。私たちが昨夜付けた足跡も完全に埋もれており、参道は銀色に光っていた。
その参道をかじかんだ体でぎこちなく歩く。風は完全におさまっていた。朝日が静かに私を照らす。温かな日光が濡れた頬を暖めてくれた。
神社を出ると、昨夜来た道を黙々と引き返す。そして見つける。昨日二人で風を避けるために入った電話ボックス。
私は電話ボックスに入り、かじかむ手で緊急ボタンを押し、119番した。
家出少女が神社で野宿した結果、高熱を出したことと、地域名と神社の名を伝え、電話を切る。
ここで旅は終わりだ。
神社の本殿に戻ると、奈緒が体を起していた。キョロキョロと辺りを見回し、私を見つけると泣きそうな顔で笑った。
「良かった。なっちゃんいた」
「ごめんね。救急車呼んでたの。もうすぐ来ると思う」
私は、奈緒をゆっくり横たわらせた。
「・・・・・・ごめん。私のせいで。計画失敗だね」
「ナオちゃんのせいじゃないよ。私の計画自体が破綻していたんだ。謝るのは私」
「ごめん。ごめんねなっちゃん」
「もういいから寝てな」
奈緒がようやく目をつぶった。
体が小刻みに震えている。寒いのだろう。
私は自分の黄色い上着を脱ぐと、寝袋の上から奈緒にかけた。気休めだが、少しは違うだろう。
他にも足しになる衣服はないかと、自分のリュックを探る。ダメだ。ろくな物がない。
続いて、奈緒のリュックを開ける。みると、底の方に黒い上着のような物が入っていた。なんだ。こんなのあったのか。喜び勇んで引っ張り出す。
その瞬間、奈緒が飛び起きて叫んだ。
「ダメ!」
奈緒の過剰な反応に驚きながらも、取り出した上着を見る。
「どうしたの。急に・・・・・・」
私は黙った。
所々すり切れた、ちょっと大きめの皮のジャケット。
あの日、とられたはずの、私の母のジャケット。
「あ、ああ・・・・・・」
奈緒が絶望の声を漏らす。その声色で、全てわかってしまった。
おかしいとは思っていた。
大抵、嫌がらせやいじめでとられた物は、大体はどこかに隠されたり、捨てられたりするものだ。でも、私のなくなった物は、一度も出てこなかった。
まるで誰かが大事に持っているかのように。
奈緒だったのだ。私の持ち物を盗んでいたのは。
私はゆっくりと母の上着を羽織った。
「なっちゃん。なっちゃん、聞いて」
私は答えなかった。ただ、床を見つめた。さっき私の涙が染み込んだ木目が、凍ってわずかに光っていた。
奈緒は泣いていた。
たいして似合いもしない大きい上着の裾を握り締めて、口をへの字に曲げ、ボロボロと涙をこぼして、時折しゃくりあげながら。
奈緒はずっと私を見ていた。こぼれる涙が寝袋に落ちていく。
私は黙って床を見ていた。何の言葉もかけず、ただじっと。
「・・・・・・だって」
奈緒は震えた声を漏らした。
「だって」
奈緒がぎゅっと目をつぶる。一際大きな涙の粒が床に落ちた。
「だって、私も、なっちゃんみたいに、なりたかったんだもん」
私は黙って、本殿を出た。
奈緒の泣き声が響く。
「なっちゃん! なっちゃん!」
背後から奈緒の悲痛な叫びが聞こえる。
「待って。待ってよお、なっちゃん!」
救急車のサイレンが聞こえてきた。私は自分が付けた足跡をなぞるように参道を進む。
「一緒にいてよおお。なっちゃああん!」
鳥居の前で、背を向けたまま、私は立ち止まった。
「なっちゃああん! ああああああああ!」
朝日が神社全体を照らす。昨夜の吹雪が嘘のような、暖かい日差しだった。
私は泣いた。
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