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16
私の黄色いストーブに火が付く。ボボボと芯に火が広がる様子をじっと見つめながら、大人になった清水奈緒はつぶやいた。
「なつかしいね」
私はチャッカマンを置いて、チェアに座った。入口に背を向けて座っている奈緒から見て右側だ。
「覚えてるんだ」
「覚えてるよ。公務員室のストーブだったね。忘れるわけ、ない」
奈緒はストーブの前にしゃがんだまま、私の顔を見てにっこり笑った。
「でも、忘れっぽいなっちゃんが覚えてくれてたのは意外。すごいうれしい」
ついさっきまで、忘れてたけどね。
改めて奈緒を見る。美人になったなあと言うのが、一番の感想だった。
もともと背が高い子だったが、それが順調に進むと、こうもモデル体型なるのか。私は中高で取り返しても、女性の平均値にしかならなかった。
「髪、切ったんだ」
十数年ぶり再会して聞くのがそれかいと我ながら思ったが、やはり一番印象が変わったところだ。遠目で気づかなかったのも髪型が大きいだろう。小学校の頃はゆるふわロングだったが、今はショートカットだ。よく見ると若干ふんわりしているので、髪質は変わっていないのだろう。
「えへ。似合う? 最近切ってもらったんだ」
奈緒は「ほっ」としゃがんだまま、体を回転させ、私に対し左の横顔を見せた。耳の辺りの髪をさらりとやる。そうすると、黒髪だと思っていたのが、実は内側だけ青く染められていることに気づき、驚く。その表情を見たのだろう。奈緒は笑った。
「知らない? インナーカラーっていうんだよ。」
「知らない」
「なっちゃん、そういうとこは相変わらずだね」
紫のニット帽と、黒いダウンジャケットに、髪の色合いがマッチしている。ダウンジャケットは少しサイズが大きいようだが、これが最近の流行であることは紗奈子から教えてももらった。両手にはうすピンクのやわらかそうな手袋をはめていた。これが唯一記憶の中の奈緒っぽい服かもしれない。
「似合ってるよ。すごく」
奈緒は黙ってはにかんだ。その表情のままテントの中を見回す。
「ごはん、今から?」
「うん。そのつもり」
「ねえ、一緒に食べていい? 私もご飯もってくるから、分けっこしようよ」
突然の提案に驚く。
「そりゃあ・・・・・・ いいけど。でも、レイ・・・・・・彼氏さんは?」
「え?」
「いや、テントで動画撮影している、彼氏さん」
「レイジのこと? 何で知ってるの?」
奈緒が若干警戒したような目をする。私は慌てて説明した。
「昼間、挨拶に行ったの。その時にちょうど動画撮影してて」
奈緒が黙り込んだ。何かまずいことを言ったのだろうか。
しかし、奈緒が私を上目遣いに見たとき、それが不安を抱えている目だということだけ、わかった。
「なにか、言われなかった?」
レイジの低い声を思い出す。結構なことを言われた。
「なにも。彼氏さん、忙しそうだったから、特に何も話してない」
「そっか。よかった」
奈緒は安心したように笑った。
「じゃあ、ごはん、もってくるね」
「え、結局いいの?」
奈緒は困ったように笑った。
「どうせ、動画撮り終わるまでは一切しゃべってくれないし、私も隠れて黙って食べなきゃいけないから。だから、むしろ出て行ってくれた方が彼も楽だと思う」
なんだそりゃ。
「ちょっと待っててね」
そう言って、奈緒はテントを出ていった。
私はなんとも言えない気分になる。今の会話で、奈緒がYtubeで正式に恋人として紹介される予定がないことが確定してしまった。
じゃあ、連れてくんなよ、レイジ。
奈緒は10分ほどでたくさんものを詰め込んだかごを持って帰ってきた。
レイジと言い争ったのだろうか。少し目が赤く、鼻をすすっていたが、私は気づかないふりをした。
奈緒が持ってきたかごからは、まさかの土鍋とキムチ鍋の材料が出てきた。
「やっぱり、寒いときはこれでしょ!」
とのことだった。
ストーブの天板を取り外し、五徳に付け替えると、即興のコンロになる。そこに土鍋を置き、奈緒に調理をしてもらう運びになった。
「じゃあ、椅子、座りなよ。私は寝袋の上に座るから」
寝袋はコットという簡易ベッドの上においてある。簡易ベッドと言っても、どちらかというと、救急搬送に使われる担架に形状は近い。あれにたくさん足が付いた感じだ。私のコットはローコットなので足が短く、手頃な長椅子にもなり得るのが気に入っている所だ。
「いや、いいよ。私がそっちに座る」
「いやいや、鍋の調理するんだったら、絶対高さのあるチェアにすわったほうがいいって」
「やだ。寝袋の上がいい」
「なんで」
「……なつかしいじゃん」
「あっそ。好きにしな」
寝袋の上に座った奈緒は大いにはしゃいだ。
「ふかふかだ。いいやつでしょ」
「マイナス18度まで耐えられるよ」
「やば。ガチのやつだ」
私は椅子に座って、奈緒のうれしそうな左の横顔を見つめる。笑った顔は小学生のころと全然変わっていない。
キムチ鍋は奈緒に任せ、私は自分の食材を準備する。クーラーボックスからサーモンの柵を取り出す。
「うわ。大きい。どこで買ったの」
「ふるさと納税」
「返戻品、そんなのあるんだ。なっちゃん、しっかりしてるね」
まあ、私も美音に勧められて、去年から始めたんだけどね。
ミニまな板の上で、サーモンを切り分け、刺身を作る。本来なら大根や大葉を添えるところだが、今回は粋に雪のかたまりを添えてみる。
「へい。お待ち!」
わさび醤油のを入れたシェラカップと一緒に雪の上に置くと、奈緒が拍手する。
「すごい! 雪の床ってすごい映える!」
同感だと思いながら、私は一眼レフで撮影する。その様子を、奈緒がうらやましそうに見ていた。
「? ナオちゃんも撮っていいよ?」
「実は、スマホ、どっかいっちゃって。昼間もずっと探してたんだけど」
現代人でスマホをなくすと、かなりきついな。私もこの前、湖に沈められたから気持ちがすごくわかる。
「色、当ててあげようか。白でしょ」
「え? なんで知ってるの? もしかして、見つけたの?」
ちょっと引くくらい食いついてきてびっくりした。それだけ困っているのだろう。
「残念。見てない。ただ、彼氏さんのスマホが白だったからね。どうせおそろいでしょ」
「…… ご名答。さすがなっちゃん」
そうか。白か。雪に埋もれたらかなりきついな。
「もしかして、あんなに雪かきをしてたのって」
「うん。落ちてないかと思って」
レイジ、動画撮ってないで、手伝ってやれよ。
「明日、いっしょに探してあげるから。ほれ、サーモン食え」
「ありがと。なっちゃん」
二人で同時にサーモンの刺身をパクリとする。雪できっちり冷えているのに、表面はストーブの熱で油が溶け出している。うまい。
「はい。なっちゃん」
奈緒がビール缶を取り出した。
一瞬、躊躇する。キャンプで酒は飲んだことがない。弱いわけではないし、嫌いなわけでもない。ただ、何かあったときに車を運転できなかったり、正常な判断が出来なかったりするのは困るからだ。
「あれ? いっぱい持ってきたんだけど…… もしかしてきらいだった?」
「ううん。ありがと」
私は笑って、缶を受け取った。よく考えれば、今日はそもそも車はないし、奈緒だっている。大丈夫だろう。
それに、子ども時代の、あのあまりにつらい思い出を、大人になってから酒をくみかわすことで、笑い話にできるのではないか。そう思った。
「では、なっちゃんとの再会を祝して」
かんぱい。
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