キャンプをしたいだけなのに 3

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17 「あのときの中田、ちょろかったー!」 「いや、あれはナオちゃんがすごすぎ。先生をあそこまで転がす小学生いる?」 「いや、だってちょっとおだてたら勝手に語り出すんだもん。いらねえよその薄い教育観!」 「あはははは! そのあと、あんた、鍵とったでしょ。理科準備室の」 「そうだ! あのときだ! とったとった」 「あんとき、あんためちゃくちゃ悪い顔してたからね!」 「そうだった? あはははははは!」  二人でめちゃくちゃ酔った。  何時間しゃべったかもわからない。何回、乾杯したかもわからない。雪の床の上には二人で飲み干した空き缶がいくつも転がっていた。あれだけあった刺身はとっくになくなり、つつき尽したキムチ鍋は具が全くなく、どろどろのマグマのようになって、ひたすら煮込まれていた。 「いやー。楽しいね」  笑いつかれた奈緒がつぶやいた。 「うん。楽しい」  私は笑いすぎて目尻にたまった涙を指でこすった。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。 「あたしね、あの時が一番幸せだった」 「あの時?」 「二人でさ、神社で一つの寝袋にくるまって震えながら寝たでしょ。あの時」  私は笑うのをやめた。奈緒の顔を見つめる。 「あの時? めっちゃ寒かったじゃん」 「うん。死ぬかと思った」 「いや、ナオちゃん、実際に死にかけてたからね」  奈緒は「そうだね」と言って笑った。 「あの時も、こんな風にストーブと、キムチ鍋があればよかったのに。それからビールも」  その冗談に、私はまた笑ってしまった。 「いや、小学生なんだから、そこはコーラとかでしょ」 「いいね。ジュースと鍋で子ども宴会」  奈緒も調子に乗る。 「神様の部屋で?」 「そう。いっそのこと、神様も一緒に」  二人で一緒に笑う。   そこでふと、気になったので奈緒に質問する。 「そういえばさ、神社の候補ってたくさんあったじゃん」 「うん。あったね」 「なんで、私たち、最後の神社にいったんだっけ。もっと近い神社いくつもあったのに、入らなかったよね」  奈緒がきょとんとする。 「なっちゃん、覚えてないの」  覚えていない。入口を見て、ダメだ、と判断したことしか記憶にない。 「なっちゃんは、幽霊がいるかどうか、見てくれてたんだよ」  私は、面食らった。 「どういうこと」 「そのまんま。なっちゃん、幽霊が見えたからさ、あの日も、神社を入口から見て、ここはいるからダメ。ここもたくさんいるって。で、最後の神社にはなにも見えないっていうから、あそこに泊まったんだよ」  そんな霊能者みたいなことをしていたのか私は。全く記憶にない。そんな私の様子を見て、奈緒はため息をつく。 「その様子じゃ、夏休みのことも覚えてないね」 「……ごめん。なんかあった?」 「別に。たいしたことじゃないよ」  奈緒はそう言うと、自分の長い足を寝袋の上で抱え込んだ。 「なっちゃん」 「なに?」 「なっちゃんの大事なもの、いっぱい盗んでごめんね」  私は、手に持っていたほとんど空になったビール缶を、ゆっくりと雪の上に置いた。ザックからウェットティッシュを取り出し、手をふく。 「いいよ。ナオちゃんも、いっぱいいっぱいだったんでしょ」  奈緒の声が震えた。 「うん。ごめんね」 「いいって」  しばらく、奈緒は自分の膝に顔をうずめて震えていた。  テントに沈黙が下りてくる。ストーブのわずかな稼働音だけが聞こえた。  奈緒が、ふーと息を吐いた。顔を上げる。 「ありがとう。なっちゃん。ずっと、謝りたかったんだ」 「うん」 「雪が降るたびにね、あの日のことを思い出してたの。ずっと思ってた。なっちゃんにもう一度会いたい。もう一度会って話がしたいって」 「うん」 「だから、今日、こんな雪の中でなっちゃんに会えたのは、奇跡だよ。運命だよ」  私は何も言わなかった。  奈緒は、自分が座っている私の分厚い寝袋を撫でた。 「……あの日の寝袋、すごく薄かったね」 「安物だったからね」 「うん。そうだった。でも、何度も言うけど、本当に幸せだった。すごく寒かったけど、本当に死にそうになったけど、人生で一番幸せだった」  奈緒は寝袋を見ながら小さくつぶやいた。 「あの時、あのまま死んでたら、一番幸せだったのかも」  私は奈緒を見つめた。 「今は、幸せじゃないの?」  奈緒ははっと私を見た。 「そ、そんなことはないよ。今では。なんたってイケメンの彼氏がいるしね。会ったならわかるでしょ。すごくかっこいいの。実はYtuberやっててね。結構有名なんだよ。キャンプインストラクターの資格も持ってて……」  ……彼氏、か。 「ねえ、ナオちゃん。そっち、行ってていい?」 「へ?」  私はゆっくり立ち上がった。酔いが回っているのか、少しだけふらつく。 「そっち、行っていい?」 「あ、う、うん」  奈緒は急いでベッド上でずれ、自分の左側をあけた。  私はあえてストーブを回り込み、奈緒の右側に無理やり座り込んだ。左に来ると思い込んでいた奈緒はとっさに体をずらせず、私と密着する形になる。 「え、なっちゃん、なんでこっち……」  奈緒が反射的に左にずれようとするのを、肩をつかんで阻止する。  奈緒は慌てて、私を真っ正面から見つめた。  さっきまで、お互いにストーブや鍋を見ながら、横顔同士で喋っていたのに、急にまっすぐ見つめ合う形になる。 「えっと、なっちゃん……?」  私はささやいた。 「ナオちゃん、メイクもすごく上手ね。きれいな肌」 「あ、ありがとう、これ、デパコスのパウダー使っててね、とっても……ひゃっ」  私は右手で、奈緒の顎に指を添え、軽く持ち上げた。 「ねえ。ナオちゃん」 「な、なんでしょうか……」 「一つ、聞いていい?」 「……うん」  私は、彼女の顔をじっと見つめ、言った。 「さっきから、なんで右頬を隠しているの」  酔いで上気していた奈緒の顔が、さあっと蒼白になる。    一回目は、私にインナーカラーの染まった髪を見せた時だった。私は右側にいたのに、奈緒はわざわざ態勢を変えてまで、左側の顔を私に向けて髪を払った。  二回目は、椅子に座らなかった時。鍋を作るなら、絶対に椅子に座ったほうが効率がいいのに、奈緒はなぜかベッドの上にこだわった。それはきっと、奈緒が椅子に座ると、自分の右側にベッドが位置する形になってしまうからだ。寝袋に座りたかったわけじゃない。自分の右側に、私が来るのを避けたかったのだ。  そして今が三回目。私があまりに不自然に距離を詰めてきたのに、奈緒は顔をそらさず、まっすぐ私を見つめている。  顔を背けたら、至近距離で右頬が見えてしまうからだ。    私は、左手に隠し持っていたウェットティシュで、ゆっくりと奈緒の右頬をぬぐった。できるかぎり優しくふれたつもりだったが、奈緒は「いたっ」と声を上げる。それもそのはずだ。化粧がぬぐい取られた右頬には、大きな青黒いあざがあった。  この前の事件で嫌ほど経験した私には、一目でわかった。  これは、殴られた跡だ。
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