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清水奈緒は、ロッジに着く寸前、気が付いた。足跡に注意しながら雪の通路を10分は歩き続けた後のことだった。
おかしい。
足跡が見当たらないのは、通路の上を通ったからだと思っていた。しかし、ナツは斧で耳を切り裂かれていたはずだ。大きな動脈を切ったわけではないので、そこまでの出血ではないにせよ、この短時間で完全に止血できるものでもないだろう。どこかに血の跡が残るはずだ。ナツはここを通っていない。
そこで、奈緒は見落としていた可能性にようやく気づき、斧を手に雪の通路を駆け戻った。森の横を抜け、トイレを横切り、キャンプサイトに戻ってくる。
太陽がようやく顔を出していた。雪に白く染まった田園地帯をまぶしく照らし、朝の訪れを告げている。キャンプサイトは一面、金色に光り輝いていた。
奈緒は片手で朝日を遮りながら、レイジのテントに近づく。テントは完全に崩れ落ち、わずかに残った炎がゆらゆらと揺れている。その手前に、大きな雪山が一つ。
「なっちゃん。出てきなよ」
レイジが作り、奈緒が雪を重ね続けていた、あのかまくらから、ナツが、ゆっくりと出てきた。
「みーつけた」
奈緒は白い息を吐きながら、笑った。
ナツは太陽を背に、奈緒の前に立った。血まみれの耳には、右手で雪の塊を押しつけている。もう片方の手であの小さなナイフを握り、奈緒に向けているが、今はもう二人の間に灯油はない。
朝日の逆光で、ナツの表情は奈緒からはよく見えない。だが、奈緒を睨み付けているのだけはわかった。
「清水奈緒。もう一度だけ聞くわ」
「なに? なっちゃん」
ナツの息も白くなる。
「あんたが、レイジを、殺したのね」
何をいまさら。奈緒は笑った。
「そうだよ。テントの裏から、カッターで生地に穴をあけて、撮影に夢中のレイジの首を絞めた。あ、そっか」
奈緒は思わずまた斧の柄を叩いて拍手した。
「なっちゃん、あの穴から脱出したんだ。そうだよね。テープで塞いでただけだったし。機転が利くってすごいなあ」
大げさに褒めたが、ナツの表情は緩まないようだ。そりゃそうか。
「そんな風に、テントに侵入したってことは、レイジの恋人っていうのも始めから嘘だったんだね」
もうわかってるくせに。
「うんそうだね。ふられちゃった。でも、結局、あたしはレイジになれたわけだから、別にどっちでもよくない?」
「じゃあ、レイジのライブ配信に入り込んだのも」
「よく知ってるね。うん。あたしだよ。ファンの子達への牽制にもなるかなって思ったんだけど、あそこまで炎上するとは。みんな、ほんとはレイジのこと好きじゃなかったのかな」
奈緒は笑った。
なっちゃん、時間稼ぎしてるのかな。美容師ちゃんが来るのを待っているのかも。どうせその子も殺しちゃうのに。
「じゃあ、レイジは、ストーカー女につけ回されて、完全に濡れ衣で炎上させられたって訳だ」
くどいなあ。もう殺しちゃうか。
奈緒が間合いに入ろうと一歩踏み出した時、ナツが大声で叫んだ。
「清水奈緒! あんたは人殺しだ!」
ひどい言い草だな。まあ、間違ってはいないんだけど。
「あんたは、無実のレイジを罠にはめて、あげくに殺したんだ! ねえ、聞こえてる!?」
うるさいなあ。聞こえてるに決まって・・・・・・
「お前に言ってねーよバーカ」
ナツは急に後ろに振り返った。背後に向かって呼び掛ける。
「ねえ! 聞こえてる!?」
誰かいるのか? 奈緒はあわててナツの視線を追う。
ナツの背後、まだわずかにくすぶるテントのさらに先。
雪だるまがあった。レイジが作った雪だるま。
その上に、立てかけてあった。ナツのピンクの急速充電器につながれた、超防水性能の高級スマートフォン。レイジの白いスマホ。
カメラがこっちを向いている。
ナツが叫んだ。
「世界中のキャンプ仲間のみんな! 聞こえてるー!?」
数秒後、奈緒は事態に気がついた。
奈緒は叫び声を上げながら、雪だるまに突進した。ナツには見向きもしなかった。
くすぶっているテントの残骸を飛び越え、雪だるまの頭を斧で吹き飛ばす。
レイジのスマホが宙を舞い、雪に落ちる。
奈緒は斧を放り出してそのスマホに飛びついた。画面を見る。一目でわかった。
ライブ配信。
この早朝の時間帯にもかかわらず、すさまじい数の視聴者がいた。しかも、今も次々とカウンターが跳ね上がっていく。
「あ、ああ・・・・・・」
コメント数がおびただしい。
『え、なに? 殺人事件?』『やばいやばい』『歴史的瞬間』『殺人犯シミズナオ』『あれ、斉藤ナツだよね』『レイジえん罪じゃん』『え、レイジさん、死んじゃったの? うそ!』
配信を止めようとする。しかし、ふかふかの手袋に画面が反応しない。奈緒は金切り声をあげてスマホを放り投げた。ピンクのコードに繋がったスマホは回転しながら、遠くの雪にぼすっと落ちた。
終わった。全部終わりだ。
なっちゃんのせいで、全部終わっちゃった。
許さない。
奈緒は足下の斧をひっつかんで振り返った。
「なっちゃああああああん!」
そこで、奈緒は予想外の光景に動きを止めた。てっきり、ナツは今の隙に逃げだしたものと思っていたのだ。
しかし、ナツは立っていた。奈緒の数メートル前に。奈緒が振り向くのを待っていたように。
その手には、スキレットが握られていた。
「じゃあ、ナオちゃん」
斉藤ナツは静かなまなざしで、奈緒を見つめた。正面から、まっすぐに。
「ケンカ、しよっか」
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