キャンプをしたいだけなのに 3

4/29

13人が本棚に入れています
本棚に追加
/29ページ
4 「私はまだ、反対ですからね」  美音はしかめ面でハンドルを握っていた。心なしかアクセルを踏む動作も荒い。怒っているのだろう。 「ごめんて」  美音の軽自動車がカーブを曲がり、トランクに積んだ私のキャンプギアたちがガチャリと音を立てた。 「ほんと信じられません。あんな危険な目に合ったのに、またキャンプにいこうだなんて」  美音がフロントガラスごしに外の景色を眺めてこれ見よがしにため息をつく。  私も助手席から周囲の山々に目を向ける。さっき高速を降りたのを境に、一気に景色が変わった。木々にのった雪は遠目にはまるで粉砂糖をまぶしたかのように見えた。 「しかも、今、12月ですよ。冬です。凍死したらどうするんですか」  くわしいな。調べてくれたのだろう。  今回のキャンプ場は美音が選んでくれた。というか、私がはじめに行こうとしていた山奥のキャンプ場は即時却下されてしまった。「またそんな電波が届かない様なところ、絶対にだめです!」とのことだった。  他にもいくつか候補を出したが、「国道から遠いです。いざというときに助けに行けません」「管理人さんがいない? あり得ません」「ここの管理人さんは態度が悪いって口コミで書いてあります」「なんでそんなに人里離れたところばっかりなんですか!」と、美音の安全チェックは恐ろしく厳しかったのだ。  結局、美音が知り合いから教えてもらったという、電波が届いて国道からも比較的に近い「緑の里キャンプ場」に決定した。  しかし、季節も季節だ。積雪もある。美音が心配するのも当然だろう。 「大丈夫だよ。それなりのシュラフ用意したし。もっと寒い日にやったこともある」  私はチラリと肩越しに後ろを見た。大きなビニール袋に包まれた私の新しい相棒が後部座席に鎮座している。 「それに、今回はストーブも用意したしね」  美音もちらりと後部座席を見て、心配そうに言う。 「シート、大丈夫ですか? 灯油、もれてません?」 「平気だよ。一応、防水シートも引いてるし」  私は美音の方を向いて改めて礼を言った。 「ありがとうね美音。こんな所まで送ってくれて」 「それはいいんですけど・・・・・・ ナツさん、車ないんだし」  そう。私は今、車がないのだ。  私の愛車だった黄色いミニクーパは、湖の底に沈められた。あのあと、警察の調査で引き上げられはしたものの、議論の余地なく廃車となった。  保険金はそれなりの額おりたし、貯金がないわけではなかったので、間に合わせで適当な車を買うことは出来なくもなかった。しかし、どうせ買うのなら、と狙っている車種があり、それが手に入るのはまだいくらか先になりそうなのだ。  ということで、今日は美音にキャンプ場までの送迎をお願いしていると言うわけだ。持つべきものは友だな。  ちなみに、美音はキャンプには参加しない。私のソロキャンプだ。  一人で行きたいといったときは、てっきり「いいえ! 私も行きます!」と睨まれるかと思ったのだが、思いのほかすんなり許可が出た。はっきりとは言わないが、美音は前回の騒動が結構精神的にこたえているのだろう。当分自分がキャンプをする気にはなれないようだ。  ということで、美音には送迎だけを頼む運びとなった。高速代やガソリン代はもちろん私もち。プラスアルファの美音への報酬は、美音が行きたがっていたお高いフレンチビュッフェを今度おごらせていただくということで話が付いた。紗奈子の件でも世話になったし、奮発させていただこう。 「ナツさんは、キャンプはもうこりごりだ、やめよう! とは、どうしてならないんですか?」  美音がふと聞いてきた。怒っている様子ではなく、純粋な気持ちの質問のようだった。だから私も一旦黙り、ちゃんと返答しようと自分を鑑みた。  確かに。森林キャンプの一件も、湖畔キャンプの一件もトラウマになるには十分すぎる出来事だった。 「もともと、過去のことは考えない主義なの。『過去のことは過去のこと。いまさら帰ってくることはない』ってね」  適当な格言をでっち上げてみたものの、美音の反応が微妙だったので、続ける。 「喉元過ぎれば・・・・・・ ていう忘れっぽい性格もあるはあると思うんだけど」  そこで、私は言葉を切り、外の景色に目をやった。積雪がどんどん増し、視界が白く染まっていく。 「家に、いたくないんだろうね」  ぽつりと出た自分の言葉を意外に思いながら、続ける。 「昔から、キャンプを始めるずっと前、それこそ小学生の時ぐらいから、家にいたいってタイプじゃなかったのよ」  私はなんとなしに、助手席のドアガラスに額を乗せた。冷たい。  子どもの頃も、こうやって額を冷たいガラスにくっつけて、景色を見ていた。  一瞬、ほんの一瞬、意識が小学生の頃に飛んだ。あの日も、電車の外はこんな風に雪が積もっていた。  電車の冷たい窓に、車内の暖房で火照った額を肩越しに付けて、駅を過ぎるにつれてどんどん雪が多くなっていくのをじっと見つめていた。 「なに見てるの? なっちゃん」そう隣の少女に聞かれる。私はなんと答えたのだったか。 「ナツさん? 寝ちゃいました?」  美音の声で我に返る。「起きてるよ」と答えて、ドアガラスから額を放した。 「そういえば、小学校の頃、プチ家出したことがあってね」 「小学生で? すごい」 「そんなたいした物じゃなかったけど」  霧がかかった様な曖昧な記憶の中、少女に向かって私が言った言葉が思い出される。 『遠くに行く。限界まで、遠くに行くの』 「遠くに、行きたかったんだよ。それで、今でも、無意識にそれを繰り返してるんだろうなあ。きっと」  先日見たゾンビ映画を思い出した。死してなお、生前の動きをトレースする元人間たち。人は死んでも変わらない。  そう一旦乱暴に結論づけた私に、美音は「なるほど」となんとも歯切れの悪い調子で返した。よくわからないが、ニュアンスだけは微妙に伝わったという感じなのだろう。 「紗奈子は、あのあと元気?」 「ええ。大丈夫そうですよ。やっぱり気晴らしは大事ですね」 「動画の方はどんな感じ?」  あの後、泣き止んだ紗奈子は私たちに二人におだてられ、得意げにYtubeの仕組みについて説明してくれた。  必要ないのに、「なっちゃんもキャンプで場でやってみなよ」と私にライブ配信の仕方まで教えてくれた。想像以上に手軽に出来、ワンタッチでライブ配信が始まることに驚いたが、間違いなく一生使う予定のない技術だ。 「紗奈子、また新しい動画つくってるの?」  そう聞くと、美音はふふっと笑った。 「コラボしました」 「コラボ?」  気になった私はスマホで「さっちゃんチャンネル」を開いて面食らった。 最新のサムネに、紗奈子と一緒にマスクをした美音が映っていた。タイトルは「私の美容師みっちゃん」。 「あんたまでなにやってんのよ」  美音は得意げにちらりと私を見た。 「私、今はお店でカットとかカラーも任せられるようになったんです。」  成長したではないか。美容学校時代から見ているお姉ちゃんとしては感慨深いな。 「でも、まだ駆け出しだから指名してくれるのは紗奈子ちゃんぐらいなんです。でも、私、そこで気がついたんです」 「ほう」 「それはつまり、私は新ママの紗奈子ちゃんの専用美容師ではあるってことじゃないですか。だから、店長に頼み込んでなんとか許可もらって、紗奈子ちゃんのチャンネルで、新ママ専門美容師ってキャラで紹介してもらったんです。もともと紗奈子ちゃんのために授乳しやすい髪型だとか、産後で敏感になった頭皮におすすめのカラー剤とかも勉強していたんで、それを軽く紹介したら、思ったよりコメント欄で反響があって」  美音は微笑んだ。 「この前なんか、お店に『動画見ました!』て、私を指名してくれる若いお母さんが来てくれたんです。しかも、その日のカットが気に入ってくれたみたいで、後日にカラーにも来てくれたんですよ。それまでは半信半疑だった店長も『客層が広がった』って大喜びで」  嬉しそうに話す美音を見ていて、ふと気が付いてしまった。 「・・・・・・ごめん。私、まだ美音に切ってもらったことないね」 「ほんとですよ。カット任せられるようになりましたーって、結構前に報告してたのに」 「そうだっけ?」 「相変わらず、そういうとこは忘れっぽいですね。また今度指名してください」 「約束するよ」  全く、人への無関心と忘れっぽさには我ながらあきれてしまう。   「もうすぐですよ。うわ。すごい雪の積もり方。北海道みたいですね」  美音の言葉に私も改めて外を見て「おお」と声を出した。走っている国道の外側は除雪された雪が積み重なって壁の様になっている。  目指しているキャンプ場は、県下で最も標高が高い山の麓にあったはずだ。そのせいで局所的に積雪がすさまじい地域だとは聞いていたが、ここまでとは。 「え? ここですかね?」  美音がウィンカーを鳴らしながらも、ナビが示す小道に入るのを逡巡している。 美音が入ろうとしている横道の脇には、大きな木の看板が半分雪に埋もれて立っていた。 『緑の里キャンプ場』 「うん。ここだね」 「え、この道入るんですか」  美音が躊躇するのもわかる。ここまで走ってきた国道はここ数年で整備された道らしく、劣化もなくかなり走りやすかったが、今入ろうとしている小道は昔ながらの道なのだろう。かなり幅が狭い。しかも、両側に雪が積まれており、雪の壁で作られた迷路の入り口の様になっていた。除雪車が何度もかき分けているのだろう。 「大丈夫。大丈夫。美音の運転スキルなら問題ないよ。タイヤもスタッドレスなんでしょ」 「・・・・・・フレンチビュッフェ、絶対ですよ」  美音の軽自動車がゆっくりと雪の迷路を進んでいく。  5分ほど進んだだろうか。急に雪壁が低くなり、視界が開けた。  左手の西側は真っ白な林とそれに続く巨大な雪山がそびえている。そして、右手の東側は、真っ白な平原がどこまでも広がっていた。恐らく、雪がなければ田園地帯なのだろう。今は雪が一面を覆い、白い巨大な絨毯が敷かれたようだ。日光に照らされてきらきらと光っている。 「きれい・・・・・・」と美音が吐息をもらす。全くの同意見だ。  そこから更に10分ほど車を進めただろうか。山を背景にするような位置に建てられた木造の大きなロッジに到着した。周りはまた雪が積み重ねられており、まるで雪の中に埋もれているようだった。  ロッジの前には駐車場があった。きっと元々は大きな駐車場だったのだろうが、今は半分以上が雪に埋もれているようだった。全部雪かきするのは難しいのだろう。ぎりぎり車数台分のスペースが確保されている。そこに大きなアウトドア車が一台と、チェーンを巻いた軽トラが一台。軽トラが管理人の物だとして、アウトドア車は先客だろうか。  美音はこれまた慎重に時間をかけて、空いているスペースに車を駐車させた。  美音に礼を言って車を降りる。  一眼レフを構えて、まずはロッジを一枚。屋根に出来た氷柱がいい感じだ。そして振り返って、東に大きく広がる白い平野を一枚。圧巻である。 「すごくいいところだね」 「はい。私も知り合いに教えてもらったんですけど。またお礼しないと」 そう言って美音もうれしそうにスマホでパシャパシャやっている。  その間に、荷物を下ろす。あらかじめ大体カゴに分けて積んでおいたので、すぐに全ての荷物をアスファルトの上に並べることが出来た。一通り写真を撮り終えた美音がそれを見て言う。 「じゃあ、私はもう行きますね」  美音は車に乗り込んだ。車が動き出す。  手を振ろうとした瞬間に、車が止まり、運転席のドアガラスが降りた。怖い顔をした美音が顔を出す。おお。どうした。 「携帯、電波とおっていますか」  私はスマホを取り出し、確認する。 「大丈夫。アンテナ全部たってるよ」 「キャンプ場、間違っていませんか」 「合ってるよ。一緒に確認したでしょ」 「何かあったら、すぐ連絡してくださいよ」 「はいしますします」 「管理人さんは信用しちゃだめですよ。無害なおじいちゃんらしいですけど」 「それは管理人さんに失礼」 「私の電話番号は・・・・・・」 「登録してるって」  そこまで言って、美音は「はあ」とため息をついた。諦めたように私を見る。 「明日は、はやめに迎えに来ますね。何時頃がいいですか。」 「午前中であれば何時でも」  美音はちょっと考えてから「じゃあ、いっそのこと、早朝にしますね」と言った。 「ここ、絶対朝日、綺麗じゃないですか」 「おきれる? 多分日の出は7時頃だよ」 「高速使ってここまで一時間ちょっとですよね。休みの日でも6時にはだいたい起きてるので・・・・・・」  やたら朝の早い田舎のおばあちゃんのようだな。  行きに通った高速道路も、ここ数年で出来たものだが、その交通網の発達のおかげで、美音の家からこんな山奥にも一時間足らずで着く。便利な時代だ。「無理しないでね」とだけ言っておく。 「はい。べつに日の出の瞬間に間に合わなくても、朝日が見れたらいいなぐらいなので。ある程度明るくなってから来ます」 「じゃあ、朝食ふるまうよ。一緒にコーヒーでも飲もう」 「やった。楽しみです」  美音はようやく笑い、もう一度「気を付けてくださいね」と念を押して何度も振り返りながら車を発進させた。手を振って見送りながら、「はじめてのおつかい」のお母さんようだなと苦笑する。となると私は子ども役か。美音から見ると私はそれだけ危なっかしいのだろう。  美音の車が完全に見えなくなったところで、大きく伸びをして、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。  さあ、今日は待ちに待った雪中キャンプだ。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加