キャンプをしたいだけなのに 3

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 5  一旦荷物は駐車場の脇に集めて、先に受付を済ますことにする。ロッジを改めて見上げると、屋根に煙突が立っていることに気が付いた。かすかに煙が上っている。薪ストーブでもあるのだろうか。  木製の大きなドアに近づくと、側の壁に突き出し看板が取り付けられていた。コーヒーカップのマークが描かれている。どうやらカフェも併設しているらしい。  木製のドアを押す。カランカランと鐘の音とともに扉が開き、暖かい空気に髪がなびいた。店内は外に比べて薄暗かったが、天井の暖色の照明と、窓から入る陽の光でどこか安心感を覚えた。  入って目の前にカウンターがあり、その奥には食器や茶葉の缶が無造作に並べられていた。右手を見ると客席の空間が広がっており、二人用ぐらいの木製のテーブルが並べられている。その奥の壁にはテレビが設置してあった。休日の昼間らしいバラエティー番組が流れていた。  全体的に年季が入った佇まいだった。流行のカフェというよりかは、昔ながらの純喫茶に近い。  そこで私の目は、客席の奥の壁に釘付けになった。  すごい。本物の暖炉だ。  私は受付のベルを鳴らすのも忘れて、嬉々として暖炉に歩み寄った。 これまでも小洒落たカフェなどで薪ストーブは目にしたことはあったが、暖炉は初めてだった。  柵のぎりぎりまで近づいて、しゃがみこんで柵の隙間からのぞき込む。大きい。サンタクロースが通れそうだ。中では薪が赤々燃えており、遠赤外線にのぞき込む顔の頬がやけどしそうだ。  一眼レフを構えて写真を撮る。いい。いいぞ。最新の暖房器具も悪くないが、単純な構造であるが故に、長く使われてきた物には言い知れない魅力がある。 「そんなに珍しいか。それが」  背後から唐突に声をかけられ、私は飛び上がった。瞬時に体ごと後ろに向き、反射的に身構える。  老人が立っていた。  頭にくたびれたタオルを巻き、口には立派な白髭を蓄えていた。背丈は高くないが、肩幅が広い。見た目の年齢の割に背筋が伸びており、立ち振る舞いからは老いを感じられなかった。そこまで観察し、視線を落とした私は息をのんだ。  斧を持っている。  小さな手斧などではない。柄が一メートルはあろうかという大斧だった。  瞬時に目で老人との距離を計る。完全に斧の間合いに入ってしまっている。ストーブの柵を背にしている私は下がれない。老人が一振りすれば確実に直撃する。  ばっと、横目で暖炉の脇に置かれた火かき棒とシャベルを見る。だめだ。柵が邪魔でとすぐには取れそうもない。体を後ろに向けた時点で背中に振り落とされ終わりだ。  老人を睨み付ける。仕方ない。腕を一本くれてやる覚悟で初撃をかわすしかない。あの大斧を腕で受けたら骨は軽く粉砕する。だが、一発目さえ耐えれば、あるいは。 「ああ、すまんな」  老人は私の視線の動きで私が斧を恐れていることに気が付いたのだろう。右手に持っていた斧を左手にあるテーブルにゆっくりと立てかけた。 「刃こぼれしとったんでな」  その一言だけだった。  数秒を要して、私は老人が刃の手入れをするために斧を室内に持ち込んだだけだということを理解した。ふっと全身の力が抜ける。  田舎のおじいちゃんめ。凶器を持って背後から近づくんじゃない。 「んで、どっちだ?」 「はい?」  老人の言葉の意味がわからず、困惑する。 「キャンプか、コーヒーか、どっちの客だ」  そういえば、ここはカフェでもあるんだったな。 「あ、キャンプで予約させていただいた、サトウです」 「ん」  老人は息づかいで返事をすると、ゆっくりと背を向け、歩き出した。カウンターで手続きをするからついてこいと言うことなのだろう。言葉が少なすぎないかこのおじいちゃん。  今まで気が付かなかったが、床には厚手の絨毯が引いてあり、足音を吸収していた。どおりでいとも簡単に背後をとられた訳だ。いやはや、前回のようにいきなり殴りつけなくて良かった。チェックインする前に事件になるところだ。  カウンターの内側に入った老人は予約表らしきものを取り出し、私にも見えるようにカウンターに置いた。今日の日付の所を節くれ立った指で差す。 「サトウさま」 「そうです」  もちろん、私の名字は斉藤だ。サトウではない。だが、老人がぼけているわけではなく、私が偽名で申し込んだのだ。一応の用心というやつだ。キャンプ場で身分証の提示を求められることは滅多にないし、電話番号は本物を伝えているからそう問題はあるまい。 「一名で、一泊」 「はい。お願いします」  返事をしながら、予約表の他の欄に目をやる。 盛況とは言いづらいが、ちょくちょく客は入っているらしい。2週間前に「ヤマモト」が一名、「モリタ」が一名でそれぞれ一泊している。そして昨日から明日にかけて、「モリサキ」が2名で2泊となっている。ということは、駐車場のアウトドア車は「モリサキ」さんたちのか。 「一泊、3000円」  そう言われて財布を取り出す。  そうだ。薪も買っておかなければ。ストーブがあるので、必ずたき火をしなければならないわけではないが、紗奈子からもらった新しいギアを使いたい。 「薪はいくらですか」 「いらん」 「はい?」  老人は顎で外をさした。 「屋根の下に腐るほど置いてある。好きに使っていい」  無料で使い放題ということか。最高じゃないか。キャンプ場によっては一束千円以上するというのに。  私は礼を言って料金を払う。老人はまた顎で外を指した。 「出て右手に行くと、広場ににつく。好きなとこを使ってくれたらいい。ただし、森には入るな」 「森? 危険なんですか」 「すぐに迷う。俺でも冬場は入らん。絶対入るな」  よくわからないが危険な森があるらしい。まあ、今日はせっかくの雪を楽しむ予定だから、森には興味がない。私には関係のない話だ。 「広場にトイレはある。シャベルと一輪車は好きに使っていい」  一輪車は荷物を運ぶのに使うのだろう。しかし、シャベルは何に使うのだろうか。 「ここは夕方には閉めて、次の日の昼までわしもおらん。何かあったら電話しろ」  それだけ言うと、老人は説明は終わったとばかりに背を向けて、棚の整理を始めた。  棚にはコーヒー豆が数種類と、抽出に使うのだろうフラスコが置いてあった。サイフォン式か。気になるな。それに暖炉をもっと見ておきたい。 「すみません。コーヒーを一杯いただいてもいいですか」  老人は背を向けたまま息づかいで返事をした。どうやら「好きにしろ」ということらしい。  私は「お世話になります」と一応声をかけて、奥の客席に目を向いた。暖炉の近くに陣取ろう。  そこで私は目を見張った。  少女がいた。  暖炉の斜め向かいの席、先ほどの老人の斧が立てかけてあるテーブルに、赤いセーターを着た少女がこちらに背を向けて座っていた。小学校低学年ぐらいだろうか。椅子にちょこんと座り、床に届かない足をぶらぶらさせている。こちらから顔は見えないが、上を向いている。テレビを見ているのだろう。  さっきまではいなかった。いつのまに?  老人と話している間に背後を通ったのだろうか。確かに絨毯で足音は聞こえづらい。でも、いくら何でも気が付かないか?  私はしばらく、少女と老人に交互に視線を送った。しかし、二人とも、一切こちらに振り向こうとしない。  私は釈然としない気持ちで歩みを進め、少女が座っているテーブルと通路を挟んで隣のテーブルに座った。少女をちらりと盗み見る。おさげ頭の可愛い子だった。私には気づいているはずだが、全くこちらを見ようとしない。じっと壁のテレビを見ている。ぶらつかせている足が立てかけてある斧にあたらないかと見ていてハラハラする。  おそるそる声をかけてみた。 「こんにちは」  無視だ。 「えっと、管理人さんのお孫さん?」  無視。  幼い子どもにこんな風にシカトされると結構くるものがある。まあ、私も子どもの頃はよく大人を無視するタイプだったから、人のことは言えないが。 「それともお客さん? 私、今日、キャンプしにきたんだけど・・・・・・」  そこで突然、少女はこちらを向いた。 「ありがとう」 「え?」  突然のお礼に戸惑う私に、少女は続けた。 「ありがとう。来てくれて」  それだけ言うと、彼女はまたテレビに目を戻した。  私は意味がわからず、困惑して少女を見つめたが、少女が再びこちらに顔を向けることはなかった。  不意に目の前にコーヒーカップが置かれ、びくりと肩をすくめる。見ると、老人がお盆を持って立っていた。無言で現れるなよ。心臓に悪い。 「あ、どうも」  老人はにこりともせず、今度は少女の方を向いた。また無言でもう一つのカップをかちゃりと少女の前に置いた。わずかに立ち上る白い湯気と甘い香り。ココアかな。  そうだ。老人に少女のことを聞こう。恥ずかしがってるだけかもしれないしな。うん。 「あの・・・・・・」 「あんたには関係ない」  老人は振り返りもせずにそう吐き捨てて戻っていった。私はぽかんと口を開けてそれを見送る。  少女もまったく老人の方を見なかった。ただ無言でココアのカップを両手で包む。そしてゆっくりと顔の方を、置いてあるカップに近づけた。カップのすぐ手前に顔を置き、顎をテーブルにのせる。ふーふーするのかと思ったが、ただ湯気を眺めているだけのようだ。  もういいや。  私は自分のコーヒーに向き直った。香りが良い。時折パチリと爆ぜる暖炉を見ながら一口啜る。若干濃いめで苦みの強い、私の好みの味だった。  少女が黙っているので、私もしゃべらない。よく考えれば、本来、私は店で人に話しかけるタイプではないのだ。しゃべる必要がないなら、沈黙を楽しませてもらおう。  少女はココアの湯気越しにテレビを見つめ、私はコーヒーを飲みながら暖炉を見つめた。  ふと、今日の美音との会話を思い出した。少女を横目で見る。あの子ぐらいの歳だっただろうか。私に初めての友達が出来、一緒に家出をしたのは。いや、もっと大きくなってからだ。確か、そう。6年生の冬。  友達の名前が思い出せない。  物思いにふけっていると、いつの間にか飲み干してしまい、カップが空になっていた。  カウンターに行き、老人に声をかける。 「美味しかったです。お会計を・・・・・・」 「いらん」 「はい?」 「キャンプの客だろう」  老人はこちらを一瞥もせずに言った。どうやら、キャンプ場の利用者は無料らしい。普通に嬉しいサービスだが、言い方がぶっきらぼうすぎてまるで怒られたかのように感じてしまい、損した気分だ。斬新なサービスだな。  一言礼を言い、出口に向かう。ちらりと暖炉の方を見ると、少女はまだじっとココアのカップ越しにテレビを見つめていた。  ドアを開けた。外の冷たい空気が顔をなでる。後ろ手でドアを閉めながら、私は息を吐く。  寡黙な老人、大きな斧、謎の少女、危険な森。    美音。このキャンプ場、ほんとに大丈夫か。
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