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昭和二〇年八月一五日、私は二等兵から学生になった。
私が学生に戻って半年後、陸軍曹長であった父親も、階級と、軍人という身分を剥奪されて帰ってきた。
父親は、出征した七年前と比べ、別人となっていた。
第一復員省の役員からは、腹と大腿に裂傷と弾痕があると伝えられたが、米軍の捕虜となり治療を受けたらしく、丁寧に処置され膿んでもいなかった。
質実剛健、独断専行と、日本歩兵の粋が染み渡る父親は、魂を南方へ置いてきたように、虚ろな目で、口は真一文字に固く噤んでいた。
母親は、父親の帰りを喜び、また戦争で心を失ったような父親を慰めるように、身の回り全ての世話を焼いていた。
しかし、父親の傷痍年金は出ず、当の父親が一向に働かぬ内では、荷物を余分に抱えたようでたちまち家計は逼迫し、それまでは母親の工場勤労と先細りする軍人手当で何とか二人食っていけたが、終戦直前に、母親の働いていた工場が爆撃を受けて閉鎖され、軍人手当も途絶えてしまった今では、とても父親まで食わす余裕がないらしかった。
母親は、それから募集が掛かる度に日雇いの仕事に行っていたが、一人だけの、不安定な稼ぎでは首が回らず、飯も必需品も満足に買えぬ生活が続いた。
母親はある時から、割の良い仕事が見つかったと厚化粧にハイカラな服を来て毎晩家を空けるようになった。
私の街には、海軍航空隊と、連隊の衛戍地があり、その跡地に豪軍と米軍が駐留していたため、おそらく、娼婦で稼ぐのだろうと思った。
私は、毎晩、玄関で払い下げの汚いハイヒールを履く母親の姿に、気味悪さすら感じていた。
早朝に仕事から帰ると、休む暇なく家事をし、父親の面倒を寝る間を惜しみこなす母親は、どんどん衰弱していくようだった。
私は家事を手伝いながら学生を続ける気でいたが、周りの友人は皆勉強を辞めて奉公し、私の家も、母親の夜職が上手くいっても当然逼迫するだろうから、母親に、「学校を辞めて奉公しようかと思う」というと、少し渋りながら、結局、「それがいいわ」と賛同してくれた。
私の奉公先は松永鮮魚店で、毎日打たれながら、生臭い店内の掃除と生ゴミの処理に明け暮れた。
母親がしきりに往復はがきを出してくれ、私も返事をするうちに、母親も中々困窮しているらしいことを知った。
二二年の盛夏、ようやく奉公にも慣れてきて、魚の捌き方を殴られながらも教えてもらえるようになった頃、私は裏方で、いつものごとく練習がてら食えぬ魚を捌いていたのだが、大将の細君のアキさんに、
「尾川さん、尾川さん」
と呼ばれた。私は、
「はい」
と応じ、声の方に出向くと、短冊のような電報用紙を片手に持ったアキさんが、私の方を見て、
「実家から、電報」
といった。私が内容を聞くと、少し難解そうな顔をするので、電報の内容を見せてもらうと、
〈チチソラヲミズハハ〉とあった。
それを見て、私も理解に苦しんでいると、
「〈父、空を見ず、母〉ですかね」
とアキさん。
「ええ、おそらく、なんて意味でしょう」
と、私。すると、アキさんが、
「分からないけど、そろそろ実家にお帰りになったら? ずいぶん帰ってないでしょう」
「はあ、ありがたいですが、奉公もありますし、電車賃も持ち合わせてなくて」
というと、アキさんは店先の方に大声で、
「父ちゃん、季一郎くん、帰らして良いかしら」
と尋ねた。すると店先から足音がして、こちらにひょこりと大将の顔が出てきた。
「やになったか」
「いえ、実家から電報が」
「なんて? 」
「さて、分かりませんが、電報を寄越すくらいですから、一度返したほうが良いんじゃないですか」
「おう、帰れや」
「それと、季一郎くん、電車賃がないって」
「母ちゃん、出しちゃれ」
大将とアキさんの短い問答で、私の帰省が決まった。大将はそのまま店先の方へ戻り、アキさんは私の為に電車の時間を調べ、身支度をしてくれた。
アキさんと大将が早く帰ったほうが良いと言ってくれ、電報のあった翌日に早速帰ることになった。
帰りの電車で、重苦しい雲の流れる車窓を眺めながら、あの電報はもしや父親の訃報じゃないかしら、とも考えたが、どうにも判然とせず、しかしやっと帰れるので、少し浮ついた気持ちのまま実家への帰路を急いだ。
夕方に故郷の駅に着いて、表通りを歩いた。
私が奉公に出た短い期間で、農地や空き地がほとんどバラック建ての簡易的な工場に変わっていた。
それらの建物はすべて騒がしい雰囲気を出していたが、日曜の黄昏時も相まってか、存外に静かだった。
表通りから裏道に進み、角を曲がると実家が見える。
実家の玄関先を見ると、私が奉公へ出るときと何も変わらず、少し安心して戸を開けた。
「ただいま」
と言うと、奥からタッタと静かに床を蹴る音が聞こえてきた。心無しか、少し疲れたような母親が物音を立てぬように来た。
「どうしたの」
と、私が聞くと、
「戸はゆっくり開けてよ」
と、再会一番にたしなめられた。声は囁くようで、小さかった。
一年ぶりに母親の顔を見たが、やはり、顔がひどくやつれて、白髪も増え、目も少し虚ろ気味になっていた。
「なんでえ、何があったの」
「そう、大変、お父さんが、疲れちゃったのかしらね」
と、母親は力なく笑った。
「父さんが? 」
私が追及すると、
「とにかく、上がりんさい、きいちゃんも疲れたじゃろ」
と、母親がはぐらかした。私はうんと頷いて玄関の引き戸を閉めようとすると、
「きいちゃん、うるさいじゃろ、もっと静かに閉めね」
と、母親が囁きながら怒鳴った。
私は、母親の言う通りに、引き戸を極力静かに閉めた。
「別にうるさくないじゃろう、そんな、大変なの」
式台に座って、靴を脱ぎながら聞くと、この声さえもうるさいらしく、口元に人差し指を当てながら、
「襖の閉まる音あるじゃろ、お父さん、あれで飛び起きるんじゃ、ほんで、耳塞げぇ、口開けぇ、塹壕飛び込め言うて暴れるんじゃ」
と、また囁くような声で説明してくれた。
今度は、私も少し囁くようにしながら、
「なんでそがんことになったんよ、帰ったときはなんもならんかったじゃん」
「母さんも分からんわ」
「父さんは、今何しとるの? 」
「今日曇りじゃろ、縁側で空見とる」
「なんでえ? 」
「知らんよ、これが晴れじゃったら、ひどいんよ、今日帰ってきて、えかったね」
私はなにも腑に落ちなかったが、とにかく、父親と会ってみようと思い式台に上がった。
「電報、あれなんな」
「いつまでおるん? 」
「分からん。長うて三日じゃ」
「ほんなら、そのうちに分かるわ」
と、また母親ははぐらかした。
「父さんと会うてみる。さすがに俺の顔を忘れてはないじゃろ」
私は冗談混じりに言ったが、母親は笑わなかった。
襖は全て開け放たれていたので、足音だけを気を付けて縁側の方に向かった。
母親の言う通り、父親は縁側で足を投げ出して空を見ていた。
「父さん」
と呼ぶと、父親は急に飛び上がり、私の方に首をめぐらした。
復員時よりも、さらに痩せていた。
父親と目があった。
その目は、悲しいまで黒く、焦点が定まっていなかった。私の方に体を向けると、
「なんじゃ、季一郎か、帰ったんか」
と、聞いていたよりも平静な声を出した。
「うん、暇をもろうた。父さん、大丈夫なん」
「うん、ワシは、大丈夫じゃ。なんな、おかしいように見えるか」
「いや、見えん」
「ほうじゃろ、大丈夫じゃ」
父親は、骨と筋しかない腕で頭を掻きながら、再び体を前へ戻して縁側に座った。
私はそれから、何と言葉をかけて良いか分からず、結局、足を忍ばせて母親の元へ向かった。
母親は、音に気を使いながら私の持ってきた行李から荷物を出して整理していた。
「母さん、父さん、ちょっとおかしいで」
母親は、手を止めず、
「そうじゃろ」
と、短く答えた。
「いつからああなん」
「去年の夏からじゃ」
「わけもなしに? 」
「うん」
「困ったなあ」
「うん」
母親は、続けて、
「夏以外は、これほどひどくないんじゃけどね」
と、言った。
「なんで夏だけ? 」
「さあ? 」
母親は始終曖昧であった。
私は、母親が整理する荷物から、奉公先から借りてきた一冊の本をすくい上げると、二階にある自室に行った。
本を読んで時間を潰していると、母親が音を忍ばせて来、
「夕飯食べに降りてきい」
といった。
食卓には、父親は顔を見せず、私と母親でちゃぶ台を囲んで食べた。
薄暗かった。上を見上げると、未だに灯火管制用電球と、電球笠をつけていた。
「なんでまだこれを付けとん、せっかくの白飯がよう見えんわ」
「いいんよ、このままで」
「なんでえ」
「いいけえ、はよう食べんさい」
結局、その晩は、母親に音を立てるなと再三注意を受けながら風呂に入って、そのまま寝入った。
翌日、窓から射す陽で目を覚ますと、一階から怒号が聞こえてきた。
何事かと思い急いで一階へ降りると、父親は服をはだけさせながら、
「砲撃、伏せ、伏せ、頭飛ぶど、はよう伏せ」
と叫んでいた。
母親はその横で、疲れ切った表情で畳の上に伏せていた。
父親が、私を見た。その目は、血走っていた。
「季一郎、なんでこがな所へおるんな、逃げろ、いや伏せろ、死ぬるど」
と言ってずかずか歩き、私の頭を掴み下へ押した。痩せ細った身からとは思えぬ怪力であった。
私は崩れながら、
「父さん、どうしたん、なんなら」
と聞くが、
「いよいよここまで来よった、軍旗は奉焼したど、炭谷閣下は斬込みじゃ、佐々木中隊長も突撃じゃ、残るんはワシらじゃ」
と、私の言葉も無視して叫び続けていた。
遠くで、工場から発せられる、間延びした金属音が聞こえた。
「頭伏せ! 耳塞げぇ口開けぇ、目玉飛び出るど」
と、父はしきりに叫んでいた。
私は、頭を押さえられながら、横目で、縁側に開けた蒼穹を見た。
一羽のトンビが太陽に反射し、どす黒く飛翔した。
独特な鳴き声が、街に響いた。
父親の私を押さえる力が一層強くなった。
父親の顔を見ると、開き切った瞳孔で、トンビをツンと見つめ、口をパクパク動かしていた。
「もう無理じゃ」
と、父親が囁やいたような気がした。
父親は、晴れ渡る蒼穹と、真っ白な雲を南方でも見ていたことだろう。その空から、湯水の如く降り注ぐ砲弾と爆弾も見たはずである。
そして、トンビの鳴き声。
父親にとって、日常のすべてが、藍色にあてられ恐怖の権化となっていたらしかった。
頭がふっと軽くなったような気がした。
父親の手が私の頭から離れていた。
父親は、家を震わすような足音を立てながら走った。隣の部屋でゴソゴソと音が聞こえてきた。
父親がこちらへ戻ってくると、手に黒鉄に光る物が見えた。
私はそれを鮮明に覚えていた。
十年ほど前、父親が大枚を叩いて買ったブローニングであった。
父親は、かんなくずに埋められたブローニングを手に取りながら、
「官品の南部拳銃は高えし重えし取り回しが駄目じゃ、大隊長も持ちよったし、やっぱり闘うんならこれよ」
と、幼い私に見せてくれた、電球の光でギラリと光る光沢の黒、それを持っていた。
私が喋るより先に母親が、
「きんちゃん! やめえ、隠したじゃろう、やめてえ! 」
と、甲高く叫んだ。
父親は、悲しいまで見開いた瞳でトンビを見つめながら、
「四一連隊に生者はおらん! 」
と声を張り上げ、自身のこめかみに銃口を突き付けた。
私は、それを見ることしか出来なかった。
既に撃鉄は降りていた。指が引き金に吸い込まれ、ゆっくりと押さえていく。
私は、父親を止める考えも出ず、無意識に、耳を塞ぐため両手を顔の方に持っていっていた。
引き金を引く刹那、父親は後ろに倒れた。
父親の上に母親が覆いかぶさっていた。
直後、発砲音が鳴り響き、街中にこだました。私は父親の腕を辿り、拳銃の、銃口の先を見た。襖だった。照準はこめかみから外れていた。
「きんちゃん、ごめんね、うちがもっと頑張るけえ」
母親の震える声が、耳鳴りの奥から微かに聞こえてきた。
父親は、もう何も喋らず、大きく見開いた目は天井を見つめたまま、母親の頭に手を乗せていた。
この騒ぎで近所は騒然となった。野次馬が家を取り囲み、その中を警官が割って入ってきた。
父親の持っていた拳銃は、復員時の接収対象らしく、どうにか隠して持って帰ってきたらしかった。
実包は、先程の発射が最後の一発だった。
警官は、拳銃を没収し、虚ろな父親に細々注意して帰ると、野次馬も、興味を無くしたようにゾロゾロといなくなった。
私はそれから、近所の旗本さんの家で電話を借り、奉公先へ電話を掛け、事情を話して一週間の暇をもらった。
父親は、それからも度々大きな音や晴れの日の度に発狂をしたが、母親が根気よく慰めていた。娼婦の仕事は辞めたらしかった。
私の帰る日、母親は、
「ごめんね」
としきりに謝っていた。
私は、このように息子にすら頭を下げなければならない母親の悲哀も、白昼に発狂する父親の姿も見たくなかった。
その心持から、私は、
「これから、掛け合って給料貰えるように言ってみる。でたら、仕送りする。母さんは、父さんのそばにおっちゃって」
と言って玄関の戸をゆっくりと開けた。
私の母親は、外に出てまで私を見送った。家から離れ、角を曲がる時、横目で実家の方を見ると、母親は、まだ私に頭を下げていた。
奉公先へ帰ると、大将は開口一番に、
「給料をやるようにする」
と言った。私から言おうと思っていた話題が、大将から先に出たことに目を見開いた。
私は、
「ありがたいですが、ほんとうにいいんですか?」
と言ったが、大将はそれきり、店の奥に繋がる居室へ消えた。すると入れ替わりにアキさんが私の方へよってきて、
「そろそろ、ご両親にも孝行したほうがいいわ」
と、私に茶封筒を手渡した。
私は、二人の甚大な厚意に震えた。
受け取った茶封筒の所々には、水分が滲んで出来た斑点が浮かび上がっていた。
私はそれから、その九割を実家に収め、残り一割で活動写真を見に行き、本一冊を毎月買うようになった。
母親に毎月、郵便為替でお金を送ると、お礼と謝罪の手紙が来るようになった。
私はそれに一々返事せず、たまに、往復はがきが来ると、「気にしなくていいから」という旨の返事を出していた。
アキさんと大将はあれから、しきりに帰省を進めてくれるが、活動写真と本読みを辞められぬ私は中々お金が貯まらず、耐えかねた大将が、
「母ちゃんには内緒」
と言って、電車賃を渡してくれた。
私は少し早すぎると思いながら、一年振りに実家へ帰った。実家の瓦は太陽の光がギラリと反射し、空は冴え渡っていた。
玄関の戸を静かに開け、足音を立てぬように家に上がり、縁側の方を見ると、母親が父親の肩に顔を預け、二人で空を見つめる後ろ姿があった。
突き抜けるまでの空は、正に、銃後の空であった。
二人は、背中でさえも穏やかであり、蒼穹にあてられ暗く見える室内には、二人の清らかな、儚いまでの叙情さえ、見出だせたような気がした。
私がゆっくり、静かに近付くと、母親の手元に金平糖を見つけた。父親は、それを摘みながら、ポリポリと感触の良い音を立てていた。
金平糖を手に取る父親の腕は、昨年と比べ、幾らかふくよかになっているように見えた。
思い出した。私の幼い頃、父親は、金平糖が好きだった。やっと、戦争から、好物を取り戻したのである。
再び、縁側から空を見た。昨年のように、トンビが鳴き声を出しながらゆらりと飛んでいた。
「ぴーひょろ、海が近いけえかね、よう飛びょうる」
「ほうじゃね」
母親が応じた。
喧しいほどの蝉の鳴き声が鼓膜にへばりついていた。近所の水打ちがぱしゃりと聞こえる。遠くから、幼子の喧騒。
母親がふと、後ろを向いた。
私の姿にビクリと驚き、その顔に微笑を讃えた。
「父さん、きいちゃんが帰ってきんさったよ」
すると父親も後ろを向き、
「帰りょったんか」
といった。昔の記憶で散々見た、穏やかな父親の目であった。
父親は、ついに、その穏やかな目で、蒼穹を見られるようになったのか、と思った。
母親はすくと立ち上がり、
「お茶、出すわ、座っときんさい」
と言って、返事も待たず、私を横切って台所へ行った。
私は、立ったまま、父親を見下ろした。
父親は、私の方に首をめぐらし、そのまま、体もこちらに向けた。
「今まで、申し訳なかった」
あぐらをかいた父親が、申し訳無さそうに頭を掻いていた。
父親の顔を見る。やはり、肉付きが良くなっていた。
こけた頬が目立たくなっているのを見た時、私は、父親と母親の、一年間の苦労を垣間見れた気になった。
「しょうがなかろう、もう良うなったん」
「うん」
「ほうなん」
「やっぱり、拳銃は預けておくべきじゃったな」
「そうじゃね」
私と父親で、短い問答が繰り返された。
「季一郎、心配掛けて、金まで工面して、ありがとう」
私は、父親から、無垢の感謝を賜った。
「ええって、俺は戦争に行っとらんけ、父さんは、休んどき」
「いや、ワシ、働くで」
「そう? 」
私はそこまで言って、本当に働けるか? という言葉を、喉に引っ込めた。
「うん、ここら、工場ができ出したろ、マレーの時、工兵に混じって工作しとった。たぶん、それが活きるじゃろ」
「ほうなん、父さん、働くんか」
「うん、じゃけ、もう、金は送ってくんな」
「うん」
母親が、盆の上にお茶を乗せて戻ってきた
「なんしょん、座りんさいや」
私は頷いて、目の前にあったちゃぶ台の前に、座った。父親も、体をちゃぶ台に寄せ、また、母親も、盆を下ろし、父親と、私に挟まれるように座った。
一家三人で机を囲むのは久し振りであった。
私は、不意に、
「父さん、拳銃は、いけんか、それとも、空がいけんか」
父親は、下を向いた。
「きいちゃん、辞めね」
母親がたしなめたが、父親が口を開き、
「あの銃で、仲間を五人撃った」
その言葉が、鐘の音のように、重く部屋に響いた。
続けて、
「ワシの小隊の生き残りじゃ。内地から、中国から、レイテまで一緒じゃった。そいつらの、呻き声を聞くのは辛かった。ワシが楽にしてやった時も、そん時も、やな空が見下しょうた」
と、一息に言った。
盆に乗せられたお茶を手に取って啜ってから、再び、
「銃を持ったら、人は小心者になるんじゃ、日照りの中で、彫りの深い欧米人の顔に影が出来とる。そこに、血が滴っとる」
父親の顔は、いつの間には私の方を真っ直ぐ見据えていた。
「怖かったなあ。おんなじような顔をしとる国民軍の死体も、怖かった。ほんで、怖いと思う時、空は決まって晴れとった。ワシは、怖さを紛らわすために、拳銃を、拳銃嚢にも仕舞わず、ずっと握り締めとった」
父親は、私から少し視線をそらし、
「でも、もう、今ごろに銃やこら、いらんじゃろうが。ほんで、戦争中は、ワシのそばに母さんはおらんかったし、季一郎もおらんかったしなあ」
言い終えると、父親は再び、私の方をじっと見つめた。
その目から熱いものが溢れるのを、父親の威厳が制していた。
その姿を見た母親の頰に、キラリと雫が滴った。
私は、こめかみに刺すような痛みを感じ、父親から視線を外し、目頭を指で抑えた。
私の知らぬ戦争、近く、遠い戦争。
狂う空の下過ごした父親の、銃後での戦争は、今、私の眼の前で終わりを告げた。
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