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ーーーそれを知ったのは、藤次さんに自宅の合鍵を渡された時だった。
「…初めに言うとくな。ワシ、肉類全般、嫌いやねん。」
「へっ?!」
キョトンとする私に、藤次さんは一冊のノートを示してきたから、何だろと捲ってみたら、びっしり書かれた食材や食品の名前。
「な、何これ…あ!ひょっとして好物リスト?!」
「逆。」
「はい?!」
思わず出てしまった裏声に動揺を悟られたのか、藤次さんは……まるで駄々っ子のように不貞腐れる。
「しゃあないやん。嫌いなんやから。上司や先輩に、付き合い言うて行ってた居酒屋も焼肉屋も、死ぬ程辛かったんやで?どんなに処理してるてわこてても、血生臭い肉の匂いにただただ嫌悪しかあらへんねん。」
「はぁ…」
「そやから、面倒思うたらおばんざいや店屋物で構へんからな。絢音の手ぇで研がれた米なら、幾らでも平らげたるから!!さ、荷物届いとるから、早よ整理しよ!楽しみやわぁ〜。絢音との生活!!」
「と、藤次さん……」
*
ーーーそれからと言うもの、藤次さんの極端な偏食生活に、私は正直、深く考えないで同棲をOKした事を、密かに悔やんでいた。
だって、デートの時はノートに書かれてた食材を涼しい顔して食べてたし、隠してたなら隠してたで、相当巧妙だなって。
そうしたら、そんな隠し事の上手い人と付き合ってて良いのかなって、段々グルグル悩むようになって、藤次さんの気持ちを疑うようになって、そんな自分が嫌で嫌で、一番好きだった料理や食材探しが憂鬱になってた時だった。
「なんね。見ぃへんお顔やけど、エライ別嬪さんやなぁ〜。良かったらウチの豆腐、買うて行かへん?」
「へっ?」
ーーーな、なに?
慌てて声のした方を見ると、背中に赤ちゃんを背負った、法被にエプロン姿の、お兄さん。
看板を見上げると……
「お、お豆腐屋さん?」
きっと老舗なんだろう。
古びた木製の板に彫られた『豆腐処きむら』と言う看板とお兄さんを交互に見ていたら、お兄さんは白い歯をニカッと出して笑う。
「ごめんなぁ〜急に声掛けてもうて。そやし、何やえろう悩んだ顔してはったから、放っておけんでなぁ〜」
「あ……」
お節介堪忍とお兄さんは謝ってたけど、私はそれより、出会って間もない人にまで悟られる程、気持ちが顔に出てた事に焦った。
藤次さんは、職業柄と言うか何というか、恋愛では鈍いクセにそれ以外だと妙に勘がいいから、もしかして…気づかれた?
私が、藤次さんの偏食に引いたように、藤次さんも、私の事料理も満足に作れない、暗い冴えない女だって、引いてる……?
そう思うとポロポロと涙が溢れてきて、お兄さんはギョッとする。
「ああ!堪忍!!堪忍やで!!そやし、なんか悩みあるなら、話聞くで?」
「ご、ごめ…なさい。あなたのせいじゃないんです。私が、上手くやりくりできないから、藤次さんに嫌われて…だけど…」
「ん?『藤次さん』て、あの…京都地検に勤めてはる、棗はんか?」
「え?!あ、は、は、い…」
…な、なに?
まるで知ってるかのようなお兄さんの口振りに瞬いてると、お兄さんはホーと言いながら、私の周りをぐるりと一周して、また笑う。
「なんやー!早よ言うてぇや!おーい!善吉さーん!!みんなー!!『噂の絢音ちゃん』、ようやっと拝めるでー!!」
「えっ?!」
……な、何?
オロオロしていると、商店街の人達がワラワラと集まってきて、私を見てくる。
「へぇー、これが噂の!」
「確かに、こんだけ別嬪さんなら、自慢しとうなるわー!!そやし、あのクソガキには高嶺の花やろ〜」
「せや!いっそ花屋の拓実と並べてみよ!!わしの勘なら絶対あの山猿より似合う!」
「や、山猿?!!」
まるで藤次さんを自分家の子のように言う人々に押されて現れたのは、白のエプロンがよく似合う、アイドルみたいな顔立ちの男の子。
「ホラ!なあ!こっちが正解や!!正にお内裏はんとお雛はん!お嬢ちゃん!!悪い事は言わんよし、今すぐあの三枚目の甲斐性無しと別れて若いイケメンのこっちにし!!」
「えっ?!!ええっ?!!!」
や、やだ!
で、でも…た、確かにちょっと、タイプ、だけど…
柄にもなくモジモジしてたら、男の子はピンクのコスモスのミニブーケを示して微笑みかける。
「初めまして。お噂は藤次さんからかねがね。花屋の明凛でアルバイトしてる、大橋拓実です。宜しゅう。」
「あ、は、はい…」
「ワシは八百屋の善吉や!棗の坊とはよう食う食わんで一戦交えたわ!!そやから買い物大変にゃろ?何でも相談し!!」
「せや!木村の兄ちゃん、絢音ちゃんにアレ教えてやったらどないや?絶対あの山猿飛びつくえ?」
「ああ!せやな!!ウチの豆腐で作るなら間違いなしや!!待っててや!絢音ちゃん!!」
「えっ!?ええっ!?」
訳がわからず立ち尽くすこと15分。
木村の兄ちゃんと、八百屋の善吉さんが、揃って私にある食材とメモを渡す。
「あの…えっと…」
戸惑う私に、木村の兄ちゃんさんは笑いかける。
「それでガシーッと胃袋掴んだり!!応援してるで!!」
…胃袋ってことは、このメモはレシピ?
開いて中を見た瞬間、この手があったかと、目から鱗の私の表情に、木村の兄ちゃんさんはニコリと笑う。
「自己紹介まだやったな!俺は木村幸助や!あんじょう上手くいったら、デートでもしてや!絢音ちゃん♡」
*
「ただーいまー」
…夜。
定時で帰って来た藤次さんを出迎え、会話もそこそこ、私は幸助さんに習った料理を食卓に上げる。
「なんねこれ…ハンバーグやん…」
肉料理の代表とも言えるそれをみた瞬間、藤次さんはあからさまに嫌そうな顔をするから、私は慌てて補足する。
「だ、大丈夫!これ、お豆腐と野菜だから!!」
「ええ。これがかぁ〜。…まあ、確かに肉特有の臭みはないし…そやし、ちょっとでも肉使ってたら、食べんからなワシ。」
そう言って訝しむように一切れ口に運んだ藤次さん。
やや待って、驚いたように目を見開く。
「美味い…なにこれ!!めちゃくちゃ美味いやん!!」
堰を切ったように、ガツガツと食べ始めたので、ほっと胸を撫で下ろして、私もそれを口にする。
「ホント…とっても美味しい。さすがお豆腐屋さん。豆腐の良さがしっかり出ててご飯が進むわね。」
「ああなる程、キム兄んとこの豆腐かぁ〜、なら納得の味やな。ワシ、夏は冷奴、冬は湯豆腐で摘むくらい、ここの豆腐好きやねん。しかし、こんな食べ方あったんやなぁ〜」
新発見やわと、満足そうに腹を撫でる藤次さんに、私はあるタウン誌を見せる。
「なんね。タウン誌なんて…まさか働くつもりか?そんなんせんでもワシが」
「違う。」
「うん?」
瞬く藤次さんに、私はちょっと照れながら、今回の事で学んだ事、考えていたことを口にする。
「私、料理教室…通おうと思ってるの。ほらコレ、舟橋料理教室。ここからバスで簡単に通えるし、月謝も私の障害年金から賄えそうだし、何より…」
「何より?」
問う藤次さんに、私はニコッと笑って、一番伝えたい想いを伝える。
「疲れて帰ってくる大切な人が喜ぶ食卓を、私作りたいの。だって私たち、同じ屋根の下で暮らしてるのよ?もう家族同然じゃない。だから、お願い。」
「絢音……」
「ダメ?藤次さん。」
おねだりするように手のひらを合わせて懇願していると、藤次さんが近くにやってきて、優しく抱きしめられる。
「そない真剣にワシの事考えてくれて、めちゃくちゃ嬉しい。幸せや。そやし、覚悟しや。ワシの偏食、一筋縄じゃいかんで?」
そう言ってピンと私のおでこを指で弾いて笑う藤次さんにつられて笑って、その月の末から料理教室に通い始め、肉嫌いの藤次さんを虜にする秘伝の唐揚げレシピと出会うんだけど、それはまた、別の話。
京都の片隅、花藤の、小さな小さな、だけど人情溢れる、商店街。
八百屋の善吉さん。
お豆腐屋の幸助さん。
花屋の拓実さん。
みんなみーんな、ありがとう…
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