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06.明告鳥
風が、吹いた。
優しく心地いい。
そんな風が。
「……ここは」
目が覚めた。
視界に入った大きな窓の帷が揺れている。
どうやら、そこから風が入ってきているようだ。
体を起こす。
(あれ、起きられない?)
何かに阻まれ無理だった。
そういえば、先ほどから背中に温もりを感じる。
カイだと思っていたから気にならなかったが、明らかに彼とは異なった。
(モ、モフモフしていないわ!?)
パウラの腰に回されていた手。
それは柔らかな金の毛に覆われた、狼の手ではない。
大きく長い指の、美しい『男性』の手だった。
自分の置かれている状況が理解できない。
(これは、夢……?)
でもそれにしては、感じる温もりも、耳にかかる寝息も、現実に思えた。
恐る恐る、ゆっくりと振り帰る。
「……ッ」
驚き過ぎて、息をするのを忘れた。
そこにいたのは、絵画の中から出てきたかのように美しい男性だった。
長い髪は黄金に輝いている。
目を閉じていてもわかる目鼻立ちのよさに、男性に免疫のないパウラはただただ固まった。
緊張が伝わったのか、男性が身じろぎする。
そして、その孔雀石のような美しい緑色の瞳がパウラを捉えた。
「おはよう、パウラ」
微笑み、パウラの頬に口づけした。
その動きは、カイが朝起きたときにするのと同じだ。
パウラの中で、目の前の男性と黄金の狼が重なった。
「……カイ」
無意識に、口からこぼれる。
それを聞き、彼の笑みはさらに深くなった。
「あぁ、そうだよ。わかってくれてありがとう」
抱き寄せられ、彼の腕の中に閉じ込められた。
自分とは異なる香りに包まれる。
獣の臭いはしないが、カイと同じだと、心が感じた。
優しく、温かな、陽だまりのような香りだ。
「あの……カイ!
さすがに恥ずかしいから、もう少し離れて欲しいな……」
真っ赤な顔で、なんとかそう伝えた。
彼が今までともに過ごしたカイだとしても、この状態は許容できない。
寝台で、男性と、抱き合っている。
それを実感すると、パウラは泣きそうなほど恥ずかしかった。
「あ、ごめんね。つい、いつものくせで……。
嫌だったかい?」
パウラから手が離れる。
それにホッとするが、同時に少しだけ寂しさを感じた。
「違うのよ!嫌ではないの。
ただ本当に恥ずかしくて……。
こんなに近いと、あなたの顔を見られなくなってしまうわ」
目線を外し、寝台から起き上がった。
後ろでは、カイが静かに笑っている気がする。
「カイ、ここは一体どこなの?
私たち、古びた神殿のようなところにいたと思うのだけど……」
それに答えるかのように、カイはパウラの手を引いた。
気品あふれる装飾の調度品、豪奢な、でも派手過ぎない造りの内装。
それらを通り越し、バルコニーへと出た。
「……これは、一体」
そこから見える景色は、想像を絶した。
森がない。
森だけじゃない。
木々がない。
あるのは、生きているそれは大きな街だった。
活気づく人々、町の喧騒、飛び立つ白い鳥の群れ。
青い空の下、その美しい町はそこにあった。
「ここは、エメルド魔法王国。その王都だよ」
聞いたことのない国だった。
首をかしげる。
「君が知らないのも無理はない。
はるか昔、もう何百年も前に消えたとされる幻の王国さ」
カイはゆっくりと分かりやすく、事情を話してくれた。
エメルド魔法王国はすべての人が魔法を使える大国で、とても栄えた平和な国だった。
しかし、悲劇は突然訪れる。
強力な闇の力を操る魔族の王が、エメルド魔法王国を襲ったのだ。
国一番の魔法の使い手だったカイは、死闘の末、魔王を追い詰めた。
でも完全に倒すことは叶わず。
苦肉の策で、魔王を結晶化したのだった。
今後、国の中にいる聖魔法の使い手に浄化を願えばいい。
そう思っていた。
しかし、魔王は封印される直前、この国に呪いをかけた。
ともに異界からやってきた、多くの眷属の命と引き換えに。
それは“国にいる人間はみな眠りにつき、起きなくなってしまう”というものだった。
この呪いを解くには、魔王が封じられた結晶を浄化するしかない。
でも聖魔法の使えないカイには、どうすることもできなかった。
人々が眠っても、時は止まらない。
このままでは、民の命を危険に晒してしまう。
そこで、カイは賭けにでた。
それは“変化の腕輪”という王家の秘宝で、エメルド魔法王国そのものを別のものに変えてしまうという方法だ。
カイは魔王をも凌ぐ、魔力を持つ。
その膨大な魔力で、国を森へと変えた。
人や建物は初めから何もなかったかのように消え、広大な森が広がっていく。
そして、自らも寿命を伸ばすため、魔物へと変化した。
魔物の寿命は己の魔力で決まる。
カイほどの魔力を持っているなら、何百年も生きられるはずだ。
だから、待った。
いつかきっと、魔王の結晶を浄化し、国を戻せる日が来ると。
どんな孤独にも耐えた。
自分が諦めたら、国が、民が滅ぶ。
だから、絶対に希望を捨てなかった。
数え切れないほどの夜が巡り、朝が訪れたある日。
深い眠りについていたカイは、聖なる気配に気づいた。
春の日差しのような、優しく清らかな力。
カイは目を覚ますと、その力のもとへ突き進んだ。
そして、ようやく見つけた。
自分が待ち望んでいた。
……いや、それ以上の存在を。
すべてを話し終えると、カイはパウラの両手を取った。
決意のこもった眼で、見つめている。
彼の心は、パウラへの様々な気持ちでいっぱいだった。
感謝だけではない。
ただの、恋慕でもない。
心の中に溢れるのは、彼女への愛だ。
「僕の名は、ミカイル。ミカイル・エメルド。
この国の王子だ。
初めは、君の聖魔力がどうしても必要で、連れてきた。
でも途中から、それだけじゃなくなったんだ。
君はどんなときも、前を向いていた。
生まれや環境に恵まれなくても、まっすぐに生き
言葉も通じない狼を信じ、ついてきてくれた。
心優しく、素晴らしい女性だよ。
……そして、この国に朝を告げてくれた、かけがえのない人だ」
カイは自然な動作で、片方の膝をつく。
まるで、何かを請うようだ。
パウラはその様子を、驚いた顔で見つめた。
「僕の愛しの明告鳥、どうかこの先何度も訪れる朝を、君の声で教えてほしい」
そう言って、パウラの手にやさしく口づけた。
時が止まる。
パウラの心は恥ずかしさと嬉しさがせめぎ合って、煩いほどだった。
目を閉じ、深呼吸する。
「カイ……」
呼びかけに答えるように、カイが立ち上がった。
その眼は少し不安そうだ。
そんな顔をして欲しくなくて、とびっきりの笑顔を送った。
「私、あなたの明告鳥になら、喜んでなりたいわ」
「本当かい?本当に、僕と結婚してくれるのかい??」
嬉しすぎて信じることができないのか、カイに何度もそう聞かれる。
でも、パウラがそれに呆れることはない。
ただ柔らかな笑みを浮かべ、何度も頷いた。
それはまるで、可愛らしいニワトリのようだ。
そう、カイが思ったとパウラが知るのは、もう少し先のことだった。
国を救った二人の話は、皆の知るところとなる。
美しく強き王と、その王の愛を一身に受ける朗らかな王妃。
いつしかその愛の物語はおとぎ話となり、世界中の人が語るのだった。
完
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