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その少年は洞穴の中に居て、入口から見える激しい雨が気になるようで、ちらちら入口を見やっては母親の視線を感じ、牽制されているのを理解した。
けれども、遂にこらえきれなくなった少年は、母親の目を盗み駆け出した。外へ出て、雨に打たれぐんぐん冷える体温を感じながら、あたりいっぺん見回していた。
それは草に打ち付ける雨粒で、雨粒を弾く葉の先端で、強風にしなる幹で、雲の蠢く空で溢れていた。
時折、少年のまんまるな瞳を光が刺した。すると今度は聴いたことのない轟音が迸り、全身に震えを与えてどこかへ消えていってしまった。
そんなとき、がしりと肩を何かが掴んだ。振り向けば案の定、そこには母親の姿があり、先程の轟音と似たような、けれど明確に異なる震えが少年を襲った。
翌朝になってみると、空は青々とした果実のような爽やかさを孕んで、雲一つ抱えては居なかった。少年は今度こそ母親の手から離されることなく、肌に触れる太陽の光を見て何かを想起していた。そんな顔を見た母親は少年を心配したのか外へ連れ出し、絨毯のように生い茂る草葉の上を歩いた。
母親の後ろで木漏れ日に触れながら少年は昨日の激動を思い起こしていた。あの震えを体が忘れようとはしなかった。ふと声がかけられた。見上げれば、母親の心から不安げな顔と、打って変わってささやかに揺れる枝葉が視界へ飛び込んだ。
少年は昨日のようにあたりを見回して、幹にもたれ掛かり、ざらついた樹皮を背中の肌に感じながら、必死に心のざわめきを捏ねていた。
バタついた母親の足音、踏まれた土の湿っぽい泥濘み、ゆらゆらと体をすり抜ける風、昨日とは違った幹の震え。
気づけば、喉は震えていた。
言葉ではない、意味を持たない、喃語のような柔っこさでもって、少年はその朝を表していた。それは少年の心の在りようで、少年の感じ取った全てであった。
これは名前のない少年が発明した、記録に残されなかった原初の歌である。
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