ごめんなさい

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鍋の沸騰する音、フライパンで食材が焼ける音、グリルがジリジリと魚を焼く音。全て大好きだ。今回は初めてなめ茸を自分で作ってみようと思い、キノコを大量に買っていた。たまたま見たYouTubeのレシピを参考に、少しアレンジを加えて瓶に詰める。 魚は火を通して身を解し、簡単な鯖で作ったツナマヨのような物にした。これから研究をする上でおにぎりの具材に出来たらいいと思ったからだ。 祖母から教えて貰った梅の実を天日干しし、作った梅干しは自然の健康食品だと思う。そのままは勿論、お茶漬けに入れて食べると塩分が程よく取れて体にもいい。 野菜や肉を麹や味噌などの発酵食品で炒めたり、ニンニクが入っていないラー油で軽く香り付けをしたりと、バリエーション豊かにおかずを作り上げた。付箋に日付を書き、大体の賞味期限の目安にしてタッパーに貼り付ける。 ひとしきりの工程を終わらせ、時刻を見ると十一時が近づいていた。流石に少し緊張するが、料理に夢中になっていた為あまり不安要素を感じる事は無かった。 あとは野菜を入れたら出来上がるという謳い文句のぬか床に、きゅうりやナスを入れようとした所でチャイムが鳴った。 このタイミングは東雲で間違いないだろう。宮野は料理をする際に着ていたエプロンを着けたまま玄関に向かう。昨日は七瀬が一緒だったが今は一人だ。緊張からバクバクと煩い心臓に手を当てるように胸に手を当て、深呼吸をしてから扉を開けた。 「あ、東雲く───」 「宮野さん本当に本当にごめんなさい!!」 扉を開けるなり、土下座をする勢いで東雲が頭を下げた。謝られるとは思っていたがあまりにもストレートかつ、即謝罪だった為少し動揺する。自分よりも背の高い東雲がずっと頭を下げたままで居た為、とりあえず玄関の扉を閉めた。 「東雲くん、頭上げて」 「だめです。俺、宮野さんに最低な事言いました。七瀬さんが怒っていた理由も検索して分かりました」 「う、うん……」 「俺の言った事は言葉の暴力です。だから宮野さん!俺の頭ぶん殴って下さい。じゃなきゃ俺の気が済まないです」 言葉の暴力という表現に、東雲の真面目な一面が垣間見れた。メンヘラ 意味で調べろと言った七瀬の言葉通りに行動したのだろう。 だが、宮野は東雲を責める気も怒る気も増してや殴る気など全く無かった。東雲は気が済まないと言うが無知故の言葉にそこまで傷ついている訳ではない。 本当に殴るまで頭を上げないつもりなのだろう。ずっと頭を下げている東雲の頭を宮野は優しく髪を解すように撫でた。 「殴るなんてこと自分には出来ない」 「宮野さん……」 「まず家に入って?東雲くんに話したかった事があるの」 「わ、分かりました。お邪魔します」 自分の部屋に東雲が困惑しながら足を踏み入れる。そんな東雲とは裏腹に宮野の心は穏やかだった。 申し訳無さそうな東雲の背中をよしよしと擦りながら宮野はソファーに東雲を座るように促すと、東雲は遠慮がちにソファーに浅く腰掛ける。その横に宮野は並ぶように座り、反省した顔で項垂れている東雲の顔を少し覗き込んだ。 「東雲くん、検索したの?」 「はい。調べて初めて差別用語だって知りました。」 「あまり見ていても良い事は書いてなかったでしょ?」 「……はい。なんでこんな事を言う人が居るんだって思いましたし、理解ある人はなんて素晴らしいんだろうと思いました」 「そこを精神科に通う当事者として、東雲くんに話そうと思っていたの」 宮野はテーブルにあったノートを開き、ボールペンで障害者とだけ書く。それを見ると東雲は更に困惑した顔をした。精神科に通う当事者である自分が思う事。 精神科に対して多少知識があり理解をしている第三者が思う事には若干の誤差がある。その事を東雲に伝えようと宮野は障害者という言葉を選んで説明を始めた。 「差別用語って言ってもね、受け取る側の人によって全然違ってくるの。障害者って文字は見た事あると思うけど、この三文字ですら人の考えって違うんだよね」 「ごめんなさい宮野さん。俺何が何だか分からないので、取り敢えず最後まで聞きます」 「うん。この障害者って言葉も最近になって差別用語だって言われるようになったんだよ」 「え?」 障害者。精神科だけでなく身体的な意味でも当たり前に使われる言葉だ。それが何故差別用語になるのか、東雲は恐らく理解していないだろう。 少し難しい話になるが真剣な顔をしている東雲ならば聞いてくれるだろうと、宮野は障害者という文字の下に『障碍者』という単語と『障がい者』という単語を書いた。 「本当に昔はこっちの漢字が使われてたけど、今は害って漢字に変わったの。昔の人は残酷だからね。世界史とかの授業でもあったでしょ?人種差別とか。この障碍者っていう字はそれに近い意味合いになる。だから障害者って漢字に改変されたの」 「えっと、漢字の意味が酷いって事ですか?」 「簡単に言えばそう。でも今はこの害っていう字が差別用語って言う人が増えたの。SNSの普及が発達してから害悪って漢字を使うのは失礼だ。だから障がい者と表記した方が良いって」 「それは……ごめんなさい。調べても出てこなかったです」 項垂れる東雲に対して宮野は笑う。帰宅してからの東雲の行動までは流石に分からないが、七瀬が言った通りメンヘラの意味について詳しくは調べたのであろう。 だがネットではこういった核心に突くような事にたどり着くのは難しいよなと宮野は笑う。何故笑っているのかと聞きたげな東雲に宮野は障がい者ではなく、障害者という文字に丸をつけた。 「世間は障がい者と表記を変えようって言う。けど、実際に障がいを持っている人に届く、自分は何かしらの物を抱えていますって証明に使われる国から届く障害者手帳にはこっちの害って漢字が入った物なんだよね」 「え?害悪って意味じゃないんですか?」 東雲の知識が全くもって無い為、逆に話しやすい。自分は病気で障害者ではないが、実際に病院に通っているからこそ知っている事がある。 ネットで今は簡単に鬱に当てはまるかどうか、その他精神科に掛かる病気に自分は当てはまるのかと調べられるような時代だからこそ世間の裏目に出るような優しさが目立つようになった。 世間一般的な東雲からしてみると障がい者と表記した方がいいのではと思うだろう。そう思うように説明をしたのだが、表情を曇らせている東雲に宮野は優しく笑いながら説明をする。 「なんで障がい者と表記しようと世間は言うのに、障害者なのか?って思うよね?」 「はい。だって差別用語に入るんじゃないんですか?」 「確かに世間は差別用語って言う。でもね、当事者である自分達は全く差別用語だって思わないの」 目を見開いた東雲に、宮野は言葉を続ける。害悪だという意味ならば使わないに越したことはないのだが、自分達精神科に通う当事者は国から届く障害者手帳に何ら不満を持っていないのだ。 全ての患者に当てはまるかどうかはまた別の話だが、少なくとも自分が関わってきた患者や医学部で学んだ当事者の声に障害者という単語に反発する声は無かった。 「当事者もそうだけど、世間も大して思ってないんだよ。障がい者と表記を帰るべきだって言った次のツイートが、リツイートしたら抽選で何万人にコンビニの商品が当たるみたいものだったりする。言葉を選ばないで言うと綺麗事なんだよ」 「俺が言ってしまった言葉はめちゃくちゃ使われてました」 「うん。でも当事者も使うこともある。自分メンヘラなんでって紹介する人もいる。だけどメンヘラは差別用語って認識が凄く強いし言われて嬉しい人は居ないよねって話。ただそれだけなの」 障害者でありながら障がい者だと変更しろとまでは思わない。だがはっきり目の前に居る人間に障害者だと言われると傷ついてしまう。 メンヘラに関しても同じだ。悪気のある言葉ではないと分かっていても、仲良くなった相手にお前メンヘラだよななんて言われたら誰だって傷つく。 要は言い方やその場の状況なのだ。自分は東雲に対して怒りを覚えなかった。驚きはしたが今現在も傷ついている訳ではない。 「ええっと……じゃあネットで出てきた差別用語っていうのは…」 「人それぞれの価値観かな。悪意を持って言うのはさっき東雲くんが言っていた言葉の暴力だよね。でも、東雲くんは知らなかった。七瀬が怒ったのは七瀬の価値観というより性格的な物が大きいかな。七瀬は昔からずっと自分を守ってくれてたの。色々なことから。」 本気で七瀬に怒られたからこそ、東雲は納得のいったようだ。当事者では無いが自分の友人としてずっと傍に居てくれた七瀬には七瀬なりの考え方があるからと補足すると、東雲は悲しそうな顔で宮野を見る。 「宮野さんは正直どう思ったんですか?」 そこが今回の事で本来一番問題になる所だ。メンヘラと言ってしまった東雲。 差別用語を言ったと怒った七瀬。 実際に精神科に通っている宮野。 三者三様の立場や考え方があるのだろうが、ここで一番重要視されるのは当事者である自分の考えだろう。宮野は東雲の大きな手を握り、優しい笑顔を見せた。 「びっくりした。それにやっぱりちょっと傷ついた。でも寝て起きたら何ともおもってなかったけど、まあ……七瀬には心配かけるような泣き方をしちゃったかな」 固く大きな手で作られた握りこぶしを、自分の小さな手のひらで包み込みながら東雲の目を見て言った。すると東雲は今日何度目か分からないが驚いた顔をする。 「なんで俺なんかとまた会ってくれたんですか?」 「東雲くんが、自分のやってる事を全部肯定してくれたから」 「全部……ですか?」 「自分はメンヘラって言われるより、医学の事に関して理解されない事の方が辛いの。だけど東雲くんが自分に言った言葉、全部嬉しくて堪らなかった。だからこそちゃんと自分の考えを話したかったの」 長々と難しい話をし、ちょっと説教臭くなってしまった為宮野はごめんねと言うと、東雲は首をブンブンと横に振った。 「宮野さんがまた会いたいって言ってくれたのは素直に嬉しいです。ただごめんなさい。俺本当に馬鹿で、宮野さんの言ってること全てを理解し切れてないです」 「全然いいよ。すぐに分かりました!って言われた方が、何とも思ってないんだって思うから。だから東雲くんの今日の反応は、自分にとって凄く理想だった。だから!」 説明していた障害者について書いていたノートのページを宮野は破りゴミ箱に丸めて捨てた。もうこんな説明や話をする必要はないだろう。そう思いながら隣に居る東雲に向き合う形で座り目を見て口を開く。 「今回の話しはもうこれで終わりにしたい。東雲くんとはもっと楽しい話しをしたい。バスケの事も応援したい。それに自分の学んでる事も知って欲しい。生まれて初めて初対面の人にそう思ったの」 長々と難しい話をしてしまった。七瀬にも迷惑をかけた。東雲を困惑させてしまった。それでも東雲と話したいと思ったのは、東雲が真っ直ぐに自分を受け入れてくれたからだ。こんなに自分が人と関わりたいと他人に思ったのは七瀬以外だと初めてだ。 固まっている東雲にダメかな?と聞く。身長差的に上目遣いで聞くような形になってしまった。だが東雲は頷いた後、自分が無意識の内に作っていた握りこぶしを解き、大きな手の平で自分の手を握った。
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