存在しない欲

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診察室を出ると見知った顔の看護師が基本表のバーコードを読み取る。領収書を発行する為の紙と薬の処方箋、そして次回の予約日が書かれた紙をファイルに入れて自分に渡した。 「乃愛くん今日も本当に可愛いね」 「うん。ありがとう」 「お大事にね」 可愛いという言葉に表情が無かった宮野の顔がほんの少しだけ和らいだ。自分は男性でありならがら乃愛という名前通りの顔をしていて、その顔が唯一の自信に繋がる武器だからだ。 身長は百六十センチと男性にしては小柄で骨格も華奢だ。それに相まって少女めいた顔をしている為、女性に間違われる事はもう慣れっ子だ。 実際この可愛い顔で苦楽どちらの経験もしてきた。だが今の時代は男性は男らしくだとか女性は女らしくだとか性別に囚われなくて済む。宮野乃愛は男性だが女の子のように可愛い。そう言われるとこんな自分でも認めて貰える事があるんだな。可愛いは褒め言葉なのかなと宮野は若干苦笑いをしながら大学内でやり過ごしているのだ。 自分を担当してくれている人柄の良い看護師に、またねと手を振り大きな病院内を歩く。総合病院の中にある精神科に通っている為患者の層も様々だ。怪我をして車椅子に乗っている若者もいれば、人工呼吸器を付けられている年配の入院患者がベットごと看護師に移動させられたりもしている。 様々な患者の邪魔にならないように宮野は今日は割と空いている会計の窓口に行き、看護師から受け取った基本表と財布から出した保険証を受付に渡した。すると看護師は手馴れた手つきで保険証の確認を済ませ、患者である自分に会計が出来次第お呼びしますと何故か若干高圧的な言い方で言う。 こっちは患者として来ているのだが、受付の人間からしたらただ仕事をこなしているだけ。別に自分の事が嫌だからだとかではなく、一人の患者相手にそんなに親切に対応は出来ないからこうなるのだろう。その証拠に次に保険証を渡している患者にも同様の態度で接している。 主治医や看護師にはある程度自分の事を把握しておいて欲しいと思うが、ただの受付に不必要な優しさや業務は求めない。患者としてこれ以上もこれ以下も自分は望まない。 程なくして会計の窓口から名前を呼ばれ、いつも通り三千円程度の会計を済ませた。領収書と明細書を小さく折り畳んで以前購入したポーチにしまうと病院にもう用は無い。処方箋とお薬手帳を手に持ち、病院内の信号を渡ってから次は無駄に時間のかかる薬局に行く。 手に持っていた処方箋とお薬手帳を調剤事務の女性に渡すと、三十分程度お時間を頂きますと言われた。自分が一ヶ月飲む薬をたったの三十分で用意出来る薬剤師は凄いなと思う。 一人の医学部生である宮野は、自分の通う学部が医学部だからこそ薬剤師の苦労が身に染みるように分かってしまう。小さな椅子に縮こまるように座り、なるべく周りの患者の邪魔にならないようにと背中を丸めた。 最近では薬局にFree-WiFiが設置されている。何度も足を運んでいる為勝手に繋がったwifiを使い、適当にスマホを弄る。暇潰しでやるスマホゲームのミッションをやりながら、きびきびと動く薬剤師を横目で見て小さなため息が出た。 患者である自分の為にこんなにも沢山の大人が動いている。 患者として通院しお金を払っているし、先程の受付同様薬剤師も仕事をしているだけ。それだけの事なのだから罪悪感を感じる必要は無いのにも関わらず、宮野はいつも自分が他人に迷惑をかけていると痛感する。 スマホを弄るのも飽きが来て、小さな音量でつけられているテレビを見た。旬の野菜で作る絶品料理という内容に興味をそそられ見ていたが、この程度なら見なくてもいいと判断する。 もう一度スマホに目線を落とすと一通のLINEが来ていた。病院にいる故にサイレントマナーにしていた為気が付かなかったが、LINEの送り主は開くまでもなく分かりきった事だ。 トーク画面を開く前に名前を呼ばれ、薬剤師が待つカウンターに行くとここでもまた近況報告が始まる。 副作用は大丈夫ですか?眠気は無いですか?と質問され大丈夫だと答えると、薬に間違いが無いようにと薬剤師が宮野に分かりやすいように確認してくれた。 薬は一文字一文字絶対にチェックしなくてはいけない。本来体には毒であるものを体内に摂取するのだ。そこは慎重にならなくてはいけないということは、医学部に通っている自分はよく知っている。 説明と確認を終え、袋にパンパンに詰め込まれた薬を渡された。生活を滞りなく過ごす為に仕方がないとはいえど、これだけの薬品を自分が実際に飲んでいると思うと少しゾッとする。仕方ない仕方ないと心の中で復唱するように繰り返し、宮野は薬の支払いの為に財布を取り出した。 先行医薬品を処方されている為、一万を超える金額を請求されるがこれも仕方の無い事だ。会計を済ませ病院内に居たのだからとアルコール消毒をし、薬局の外に出る。するとそこに立っていた人物にこれ以上無いくらいの安心感を覚えた。
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