ここが精神科

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東雲が優しい余りに自分自身の身を削るような真似をしていないかと不安になりLINEをしたのだが、送った瞬間に既読が付いた。 もしかして今東雲もLINEを送ろうとしていたのかと宮野は驚きからその場で背筋をピンと伸ばす。すると東雲から通話が掛かってきた。 やはり無理をさせていたのかと慌てて応答ボタンを押し、ソファーの上で丸まりながら通話に出る。 『乃愛さん、おはようございます。LINE遅くなってごめんなさい。早めに送った方がいいと思ったんですけど、病院前にもし起こしたらと思って』 「そ、そうだったんだ」 『外見ました?今日天気良いですよ。今歩いて向かってるんですけど空気ひんやりしていて寒いので、この前より温かい格好の方がいいかもしれないです』 「ありがとう。今着替えようと思ってたの。ニットと羽織れるパーカーにするね。」 落ち着いた声のトーンだが優しく思いやりのある東雲その物の話し方に宮野は一気に安心感を覚えた。時間帯もあってか東雲の声色がいつも以上に優しく落ち着きのあるように思える。 こうしてLINEで繋がると先程迄の不安でいっぱいだった気持ちが払拭されたように感じた。だがやはり少し不安に思う気持ちが少し心にこびり付いている。 東雲は当たり前のように家に向かっているが、大丈夫だろうか?宮野は通話を繋げたままユニセックスのニットと黒いスキニーに着替えながら、ほんの少しだけ黙ってしまう。 『乃愛さん俺の大学のスケジュール気にしてましたけど、恥ずかしい話俺はまだ実力不足で大会のメンバーに選ばれていないんです。だからこそ自由に動けます。これは俺の問題なので乃愛さんは何も気にしないで下さい』 「そうなんだ。でも体づくりは頑張ってるし、隼人ならいずれ選ばれるって思ってるよ」 『選ばれたいです。だからこそ体づくりとか基礎を大事にしてます。それに、乃愛さんの教えてくれた事が凄く役に立つ事ばかりなんで。いつも俺の体をサポートしてくれる乃愛さんの為ですから』 やっぱり東雲は優し過ぎると思う。大会のメンバーに選ばれていないだとか実力不足だとか色々理由は言っているが、そんな中でも貴重な練習の時間を削って自分の元にきてくれているのだ。 嬉しさの余りに言葉が出なくなってしまった。いつも明るくポジティブな性格の東雲を見てきたが、こうして落ち着いた大人のようなトーンで話す東雲の言葉は何処か染みる物がある。 人生を掛けてバスケをやっている身なのに、自分の病院なんかの為に時間を作ってくれている東雲。嬉しさから若干涙が出そうになり、宮野は軽く鼻を啜る。 『大丈夫ですか?なんか乃愛さんいつもと違う気がしたので、話した方が早いかと思ったので通話にしたんですけど、もし辛いなら一旦切りますか?』 「ううん、嬉しかったの。それに隼人が迷惑じゃなきゃ通話繋げてて欲しい。病院行く時いつもこんな調子。自分でもしっかりしなきゃって思ってるんだけど…」 『俺は中学の時怪我で手術した時、一人で通院する時はめちゃくちゃ寂しかったですよ。病院通う時ってメンタルやられますよね。もうあと十分くらいで着きますけど、俺でよければずっと通話繋げてますよ』 「……ありがとう」 自分の様子が違うからと歩きながら通話を掛けてくれた上に、辛いなら一度切るかという気遣いを見せてくれた事も嬉しかった。だが今は東雲の落ち着いている少し低い声を聞いていたかった。 我ながら面倒くさい事を言っているが、東雲は自分も病院に通っている時はメンタルやられたと少し笑みを含みながら話してくれる。それに自分が話したいと言ったから東雲は通話を繋げると言ってくれているのだ。 通話越しに聞こえる優しさの言葉だけで体を包み込まれるような感覚を覚え、宮野は滲んでいた涙を親指で拭き取った。ポジティブの塊のような東雲ですら病院は辛かったのであれば、精神科に通っている自分が病む事は不可抗力かもしれない。 「乃愛さんは朝ごはん何食べました?」 「出汁茶漬け。鮭と梅干し乗せて食べたよ。隼人は?」 「昨日の残りの生姜焼きです。めちゃくちゃ米も食べてエネルギーにしてきました。」 自分の様子を気にしてか、東雲は話題を病院から逸らしてくれた。お互い何を食べたのかを報告し合うだけだが、何気ない会話に物凄く救われたような気がする。生姜焼きをおかずにお米を沢山食べるなんて東雲らしいなと宮野は少し笑顔になる。 「乃愛さんの作るお茶漬け食べたいですよ。絶対美味しいですもん」 「出汁が美味しいんだよ?あとお魚と梅干しも」 「そういうシンプルな物をサラッと作る所が……なんかこう……素敵だなって」 「ふふっ、ありがとう。じゃあエントランスで待ってるね」 「分かりました」 お茶漬けを作るだけで素敵だななんて初めて言われた。食べたいのであれば食べさせてあげたいくらいだと思ったが、東雲に食べさせる料理はやはりガッツリとした体育会系に相応しい料理だと思う。 東雲が着く前にエントランスに向かい、住人が座るソファーで待っていようと思った。鏡の前に立ち服を整え、最後にリップをとんとんと塗ってから玄関を後にする。 心地の良い東雲の声を聞き何だかメンタルが整った気がする。それなのにエレベーターに乗っている時はゆっくりなのに大きく、とくんとくんとあう鼓動を感じた。エレベーターから降りるとエントランスには先程まで通話していた東雲が既に立っていた。 「隼人!」 男性らしいアウターを着ている東雲が自分に向かって歩いてきた為、宮野は自然と笑顔になる。少し伸びてきた髪を耳に掛けながら宮野は東雲の元に小走りで駆け寄った。 すると東雲が優しく自分の腰に手を添えてくれた。相変わらず大きな手の平だなと宮野は東雲を見上げると、東雲は微笑みながら自分に向かって手を差し出す。 「大丈夫ですか?荷物は俺が持ちます」 「え、いいの?」 「全然平気です。それより乃愛さんの体が心配なので」 「大丈夫。隼人が来てくれて安心してるの。いつも心臓バクバクなのに、今日は凄く落ち着いてる」 「俺が来て乃愛さんが落ち着くって言ってくれると嬉しいです」 病院に行く時はいつもいつも嫌な動悸がしてしまう。それが今ではとくんとくんと心地が良いと感じるような鼓動を感じる為、宮野は東雲が鞄を持ってくれた事により手ぶらになった両手で胸を押さえながら笑って言った。 バス停はマンションのすぐ側にある為、今から行けば余裕で間に合う。この時間は通勤通学する人が多い時間帯だが、自分の住んでいるマンションの周りは余り人通りが多くない為、バス停で病院行きのバスを待っている人は少なかった。 もう直ぐにバスが来るだろうと宮野は東雲と一緒になってバス停の列に並ぶと、前に並んでいた年配の女性からおはようと笑顔で挨拶をされた。 「なんか前も思ったんですけど乃愛さんの家の周り治安良いですよね」 「うん。それは自分でも思う。変に干渉もされないし、かといって拒絶する人もいないから住みやすいよ」 「そうなんですね。あと今更なんですけど、乃愛さんが通っている病院ってどこですか?」 「市立病院。その中に精神科があるの。結構大きな病院だからこそバスが出てるし通いやすいよ」 ここのマンションに住む際に住民トラブルに絶対巻き込まれないような場所を選んだと祖母は言っていたが、本当に一度も近所に住む人や同じマンションに住む人とトラブルになった事はない。 七瀬ら友人が遊びに来ていても煩いと言われた事は一度も無い為、マンション自体の壁が厚く住んでいる住民の心も広いのだろう。 そんな会話していると、市立病院行きのバスがバス停に止まる。前の方の席に自分と東雲がが座ると、杖をついた高齢の男性がバスに乗ろうとしていた。 すると東雲が立ち上がり、その高齢の男性の手を取りながら優先席までゆっくりと歩く。 「大丈夫ですか?ここ、座って下さい」 「ありがとう。優しいね。若いのにしっかりしてるね」 東雲の気遣いに嬉しそうに優先席に座った高齢の男性。杖を杖置きに置いて深く座る所まで見守ってから、東雲は宮野の前に立つ。 病院行きなだけあり高齢な乗客が多い為か、東雲は座る事を辞めて自分の病院用の鞄を前に抱えるように立った。 「乃愛さんは座って安静にしてて下さいね」 荷物を持ち直し笑顔で言ってみせた東雲は優しい。自分の体も気を遣うだけではなく、周りの乗客の事もしっかりと見ている。東雲が取った行動の一連を見ていた乗客の空気が、少し柔らかくなった気がした。 静かなバスの中でゆっくりと体が揺られる。少し眠くなってきた自分を東雲は優しく手の平で肩を掴み体をしっかりと支えてくれた。 寝てても良いですよと東雲は言ってくれるが、主治医に話したい事忘れてしまうからと宮野は東雲の手の平に甘えながら笑顔を見せたのだ。
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