ここが精神科

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漸く病院に着き、二人分の運賃を払い病院の前のバス停で二人でため息をついた。バスだとはいえ、四十分の移動は結構堪えるものだ。 到着した市内でもかなり大きな病院の中に当たり前のように入っていく宮野に、東雲はキョロキョロとしながら後について行く。 朝早くの診察の時はドクターヘリが止まっていたり、救急車が停車していたりする。初めて見る東雲が若干驚くのは当たり前の反応だろう。だが自分にとってはいつもの事だと、宮野は直ぐに診察券を取り出し受付を済ませた。 点滴をしている患者や、ベットのまま移動する患者はもう見慣れた光景の為見向きもせず、エスカレーターに乗り二階の精神神経科の受付に予約カードを渡した。 「隼人大丈夫?病院の外で待ってても良いんだよ?」 「いえ、大丈夫です。一緒に居ます」 沢山の患者で混み合っている待合室の端に宮野が座り、その隣に東雲が立つ。予約している為十分くらいで呼ばれるであろう。 だとしても精神科の中にまで入った東雲は負担を感じては居ないだろうか?診察は勿論一人で行くのだが、精神科に居ると感じる独特の空気感を東雲がどう感じるのか少し不安になった。その時だった。 「いやだ!入院したくない!」 「そうだね。でもね、先生が言ってるの。」 「いやだ!絶対帰る!」 診察を終えた一人の痩せている患者が車椅子に座りながら泣き叫んでいた。患者と看護師の攻防戦も精神神経科ならばよくある事だ。恐らく強制入院と言われてしまったのだろう。 そのまま複数の看護師によって、病棟に連れて行かれた患者に少し同情した。自分が同じ立場だったら、恐らく同じ態度を取ってしまうだろうと。その患者が居なくなってから、東雲に小声で補足する。 「強制入院っていうのがあって、医師の判断で言われたら主治医に許可されるまでずっと閉鎖病棟に居なきゃいけないの。スマホも持ち込めないし、面会時間も限られてるから誰だって嫌だよね」 「……そうですね。乃愛さんは入院したりとかしませんよね?」 「自分は大丈夫。安心して」 心配をしてくれているであろう東雲の大きな手を握る。あんな光景を見たからこそ自分にも入院の可能性が無いか不安になったのだろうが、それは大丈夫だ。 安心してと言うと東雲は深く息を吐いた為、やはり不安に思ってしまったのであろう。初めて精神科に来て、見る患者のレベルでは無かったと宮野自身も思う。東雲の手を優しく撫でているといつものアナウンスが流れた。 「宮野乃愛さん、診察室二番へどうぞ」 そのアナウンスに東雲の手を離し、行ってきますの意味を込めて手を振ってから診察室へと向かった。自分の診察は東雲が経験した手術をするような怪我の診察とは違い、日常的な生活の経過観察だ。 診察室での主治医との会話を聞いていない東雲には補足して説明をした方が良いだろう。診察室に入ると主治医は朝早くに頑張って来たねと言ってくれたが、例の如く愛想笑いで宮野は乗り切った。 「体調は?」 「朝は苦手ですけど大丈夫です」 「メンタルは?」 「今は友達のおかげで安定してます」 「友達といると楽しいと思える?」 「思います」 いつもと同じ質問と回答なのにも関わらず、主治医はしっかりとカルテに記録として残していた。 その様子を見ながら、待合室に居る東雲の所に早く帰りたいなと診察中にも関わらず思ってしまう。すると主治医が椅子に座り小さくなっている自分を真っ直ぐな目で見た。 「宮野くん、素直になれると思った事はあった?」 「無いです」 きっぱりと言い切ると、主治医がそっか…と複雑そうな顔をする。これだけは東雲と関わっていてもいなくても変わらない事だ。 今後も変わる気が全くしない為、宮野としてはこの質問は余りされたくない。だが一ヶ月分の薬を処方して貰う為だと我慢をした。 次回も予約入れておくからと言われ五分程度の診察があっという間に終わった。診察室を出るといつも通り看護師に乃愛くん今日も可愛いねと言われ、笑顔でありがとうと返す。そんなやり取りを見てか東雲が自分の元に歩いてきた。 「乃愛さん、大丈夫でしたか?」 「うん。いつも通りのただの経過観察だよ。」 「なら良かったです。」 「乃愛くん男前なお友達連れてきたのね。一緒に来てくれたから嬉しいね」 「うん。嬉しい」 じゃあまた一ヶ月後ねと言われ、看護師にバイバイと言い精神神経科を後にした。病院の中ではついつい早歩きになってしまう。 東雲が一緒に来てくれているのにも関わらず、精神科から逃げるように立ち去りエレベーターの中に入っていった。すると東雲が自分の横に立ってそっと背中を撫でてくれた。 顔を見上げると東雲は優しく笑みを浮かべながら自分の事を見ていてくれている。何故そんな顔をしてくれる程に優しいのかと宮野が疑問に思った瞬間にエレベーターが一階に着いた。 一階の人混みのような会計待ちのスペースは、割と雑談をしている患者が多い。こうして物理的に精神科から離れると少し肩の荷が降りる。そして隣にいる東雲に甘えたくなり、思わず背中を支えてくれている手に体重を軽く乗せ、反対の東雲の手を両手で握ってしまった。 いつもは薬局帰りに迎えに来てくれる七瀬にしている癖みたいな行動だ。七瀬は拒まず握り返してくれる為当たり前のように東雲にもしてしまった。 いくら安心感を覚えたからといえど流石に気持ち悪いだろうと宮野は慌てて東雲から離れようとすると、東雲は手を握り返した上で肩を抱き寄せてくれた。 「乃愛さん、きっとすっごい頑張ったと思います。」 「あ、ありがとう。いっつも誰かに甘えたくなっちゃう」 「こういう時は甘えましょう。七瀬さんにもですけど、今日は俺が隣にずっと居るので。手を握る位ずっとしてますよ。今も俺抱き締めてますし」 「嬉しい。通院の時は七瀬居ないから一番甘えたい時に隣に誰かいるって凄い贅沢」 そう言うと宮野を肩を抱き締めていた東雲の手に若干力が入った。思わず流れで頭を東雲の肩に預ける。すると、東雲が優しく手の平で自分の頭を撫でてくれた為鼻の奥がツンとした。 東雲には言えないが、毎月こうして通えたら良いのにと思ってしまう。その気持ちが伝わる事は決して無い筈だが、東雲は自分の体を離さなかった。 本当にずっとこんな手を握ってくれるのかと宮野東雲を見上げるように見ると、東雲は少し周りを見ながら視線を絡ませて頬を軽く指で撫でた。思ってもいなかったスキンシップに驚くが、その瞬間に会計に名前を呼ばれた。 あんな風に優しくされる事が殆ど無い為、少し名残惜しさを感じながら東雲から離れた。会計をしている間は東雲は余り人の居ない所で立ちながら待っていてくれたが、精算を終わらせると東雲が自分の元へと来てくれる。 「これで終わりですか?」 「薬貰いに薬局に処方箋出しに行くよ。混んでたら一時間位待つけど、隼人は大丈夫?」 「全然大丈夫です。」 病院を出ていつも通り薬局に入ると、ラッキーな事に午前中には珍しく患者の数が少なかった。処方箋を渡すと二十分程度でお呼び出来ますと言われ、流れるようにお薬手帳を渡した。 もうそろそろいっぱいになってしまう位にパンパンになっているお薬手帳だが、これを見ても東雲は深く自分に対して何も聞いてこなかった。 いつもならば罪悪感を感じながら忙しなく動いている薬剤師を見ているのだが、今日は東雲が隣に居るのだからと宮野はスマホを取り出し東雲の服を少しだけ引っ張った。 「隼人ってこのゲームやってる?ここWiFiあるから一緒にやろ?」 「俺、結構強いですよ?」 「自分も結構強いよ。勝負しよ!」 患者が居ない事をいい事に二人でスマホゲームをした。単純なパズルゲームを宮野はよく暇つぶしにやっているが、東雲もやっていたらしい。マルチプレイをしてみると、圧倒的なスコアを出す宮野に東雲は驚いたように笑った。 「めちゃくちゃ強いですね」 「このゲーム好きなの。七瀬にはスタミナだけ送ってってお願いしてる。」 「もう一回勝負しようとか言う気になれないくらい強いです」 「ハンデつける?」 「いいえ、全力でやりましょう」 負けず嫌いはバスケから来ているのだろうか。じゃあ遠慮なく先程よりも本気を出してスコアを出してやろうと宮野は少しいい気になってゲームを進める。 一度七瀬と蘭二人と自分の二対一で勝負を事があったが、その時も圧倒的な差を付けて勝ったのだ。宮野が全国ランキングに乗る程の信じられないスコアを出すと、東雲が完全に負けを認めたのか笑いながらスマホを閉じた。 頭脳で適うわけが無かったかと呟いた東雲に宮野は精神科の薬を待っている事も忘れて笑う。二人でそうして過ごしていると、薬剤師から名前を呼ばれた。 「ついて行っても良いですか?」 「ん?いいけど、ただの確認だよ」 「だからこそです」 やはり東雲の真意は分からないが、二人で薬剤師のいるカウンターに行く。いつも通り一つ一つ確認をする作業だが患者にとっては体の報告でもあり、薬剤師にとっては薬のミスが無いようにと双方にとってメリットのある工程である。 副作用は大丈夫か、吐き気は出ていないか、眠気は無いかという質問に大丈夫ですと答えていると、横に立っていた東雲が薬の明細書を手に取った。 「乃愛さんこの明細貰って良いですか?」 「え?全然いいけどなんで?」 「乃愛さんの体を支えてる薬について知りたいです」 「えっと、あ、ありがとう?なのかな?毎月同じの貰ってるから全然良いよ」 東雲が明細を折りたたみ、ポケットに入れる姿に疑問を持ちながら会計を済ませた。病院と薬局に来たからには絶対にアルコール消毒をした方が良いと宮野は医学部に通っているからこそ東雲に強く言った。 こうして手の指や手首にもちゃんと擦り込むようにと教えると、東雲は言った通りに大きな手を消毒した。外に出ると冷たい空気に反し、暖かい太陽が自分達を照らす。 「終わったー!本当に何回来ても気疲れしちゃう」 「俺は緊張しまくりでした」 「折角こんな天気良いなら病院じゃなくてどこか遊びに行きたいよね」 鞄の中に入っていたエコバッグを取り出し、薬を詰め込みながら宮野が言う。これから冬がやってくるというこの時期の晴天の中、行き先が病院なんて勿体ない。 仕方の無い事なのだがこんなに過ごしやすい天気は中々無いのになと残念に思ってしまう。ついこの間東雲との二人での外出はあんなに楽しかったのに。 薬を受け取ってしまえば今日の東雲と過ごす時間は終わってしまう。すると、東雲が向かってくるバスを見て宮野の肩を叩いた。 「それですよ!乃愛さん!気分転換に遊びに行けば良いんです。」 「え?」
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