ここが精神科

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東雲隼人side 可愛いな。 宮野の寝顔を見てはそう思わずには居られなかった。東雲は宮野を抱き締めながら思わず顔を緩ませ、眠っている宮野を見てクスリと笑った。 宮野の閉じられた目を見ると、キラキラとした瞼に長いまつ毛がくるんと上向いている。 そして自分に体を預けて、規則正しく小さな寝息を立てている宮野の唇に目が行った。自分が好きと言ったリップを付けてきてくれた宮野。 他人の容姿なんて生まれて初めて褒めた為、自分でも口下手だと思ったが、宮野に気持ち悪いと思われていなくて良かった。 中性的な服も可愛い。細くて華奢な体に良く似合うニットがとても似合ってて可愛らしい。少し長い黒い髪を耳に掛ける仕草や、ドーナッツを頬張る姿にもキュンとした。 宮野が飲んでいたレモネードを飲んで?と差し出された時、本当に狼狽えてしまいそうになった所をギリギリの所で堪えた。 キスもした事が無い自分からしてみると、宮野が口を付けたストローに口を付けるなんて関節キスになるだとか童貞丸出しの事を考えてしまった。 だが、格好悪い姿を好きな人に見せたくないという男としてのプライドが自分にもあったのだなと思う。 男同士だからと言い聞かせ何でもないようにストローに口を付けたが、その後は好きになった宮野と関節キスをしてしまったと頭の中はいっぱいだった。 そんな後だからこそ目に入る、眠っている宮野の薄い桃色で柔らかそうな少しツヤのあるふっくらとした唇。ぼうっとその唇を見ていると無意識に手が伸びた。 だが、宮野が自分を信頼して体を預けている事を思い出し、自分の浅はかな行動に何をしているんだと、自分は本当に馬鹿だと恥ずかしくなった。 朝には不安そうな宮野を安心させる事が出来た。病院終わりには楽しいと笑顔を見せてくれたのにも関わらず、宮野を裏切るような自分に嫌気が差した。 宮野の事を大切に思っている相手という意味でいうと、七瀬はこんな事は絶対にしないであろう。宮野の病院の度にバイトのシフトを調整し、宮野を支えている。 自分とは違い、宮野とは中学生からの付き合いだ。病気の事も宮野の事も自分より遥かに理解しているに決まっている。 バイト先でも頼れるような存在なのだから、宮野が七瀬に心を許しているのは当然の事だ。 分かっている。七瀬と自分では勝ち目がない事は痛いくらいに事実として自分に突きつけられる。 悔しくて思わず下唇を噛んだ。 そして七瀬とのLINEのトーク画面を開き、展望台で宮野が撮った動画を送った。『乃愛さんが楽しんでくれました』絵文字も何も無いそんな一言を添え、自分だって宮野を楽しませる事が出来るんだとマウントを取った。 既読が着き、返事を待っていると若干のタイムラグが発生した。動画を見ているのであろう。トーク画面を閉じて七瀬からのLINEを待つと、先に宮野のスマホの通知音が鳴った。 流石に寝ている宮野のスマホを勝手に見るなんて事はしない。じっと待っていると自分のスマホにも通知音が鳴った。 『乃愛を笑顔にさせてくれてありがとう。また一緒に行けるなら行ってやってくれ』 たった二歳差だが、対応は大人だった。宮野の事を大切な存在として見ているからこそ、こういう余裕があるのだろう。既読を付けたが何を返していいか分からず、ただのスタンプで誤魔化した。自分から仕掛けたのにも関わらずこれだ。すごく情けない。 病院で実際の空気を感じ、宮野以外の患者をこの目で見て思った。自分はどれだけ呑気な人生を送ってきたのだろうと。 入院したくないと抵抗していた患者は、見ていられない程やせ細っていた。 宮野が診察している間、別の診察室から出てきた患者は、顔を歪ませ泣いていた。 自分の斜め前に座っていた患者は虚ろな目でずっと一点を見つめ、スマホを弄る事すら無かった。 あの空間に居る一人一人が心に拭い切れない程の傷を抱え、薬を飲みながら懸命に生きている。宮野もその中の一人だ。 七瀬からは下ネタを含む性的な事と家族の話はしないでくれと、宮野と会う前に忠告されていた。自分の知らない宮野の心の傷を七瀬は知っているのだろう。 自分から宮野に何があったんですか等という質問は絶対に出来ない。だが、少しでもこの肩に感じる重みを理解したい。七瀬のように器用にこなせるのか、的確な言葉をかけてあげられるのかは分からない。 宮野が薬局で貰っていた薬の明細をポケットから取り出した。そしてその薬について書かれている文章をゆっくりと運転しているバスの中で読む。 抗うつ薬、不安な気持ちを抑え交感神経を優位にする薬剤。主に統合失調症の患者に使用するが、医師の判断により場合は異なる。よくある副作用は眠気と吐き気。重篤な副作用は呼吸困難など。 睡眠導入剤、気持ちを落ち着かせ眠りに入りやすくする薬剤。飲酒は避ける。自己判断での薬の減薬や中止は絶対にしてはいけない。痙攣などの副作用が出た場合はすぐに主治医に相談する。 十種類を超える薬の種類と飲んでいる量に驚いてはいたが、ここまで体に負担をかけながらも過ごしている事は知らなかった。 呼吸困難、痙攣。そんなリスクがあってもこの薬を毎日飲まなければいけないのだ。朝昼晩と寝る前。毎日どんなに楽しい時もどんなに辛い時も宮野は薬を飲みながら生活している。そう思うだけで頭が痛くなった。 明細に主治医の名前が書いてある。検索すると、主治医が本を出版していた。レビューを見ると、患者との向き合い方や薬をなぜ処方するのか事細かく書いてあると、少ないレビュー数ながらにも高評価だった。 もう絶版になっていると書いてあったが、フリマアプリで出品されていた為迷わずに購入した。 本なんて読んだことがない。教科書ですら怪しい。だが、宮野の事を少しでも理解出来るならば読みたい。 馬鹿でどうしようもない自分でも、宮野を支えられるような存在になりたい。ゆくゆくは好意を持って貰いたいからこそ、自分自身が成長しなくてはいけないと強く思った。 もう一度宮野の寝顔を見る。あまりにも可愛らしい寝顔で自分に寄りかかっているこの存在を、守りたいと強く思った。 こんなに小さな体で抱えている宮野の闇は、自分を心から信頼してくれた宮野の口から直接聞きたい。その時が来るのをずっと待つ。絶対に二度と傷つけたりなどしない。隼人と何度も名前を呼んで貰い、笑顔で居て欲しい。 そんなことを考えていると、あっという間に時間が経っていた。見慣れた街並みを見て気持ちを切り替える。 「乃愛さん。起きられますか?」 東雲の問いに宮野がゆっくりと目を開いた。まだ意識が朦朧としているのか、東雲の手を握りながらゆっくり体を起こす。 「あ、隼人ごめんね。もう着くね」 「少し疲れ取れましたか?」 「うん。隼人こそ疲れてない?大丈夫?」 「俺は乃愛さんの寝顔見て癒されまくってました。」 砕けた言い方に宮野が笑顔になる。じゃあバス停まで隼人に寄りかかってると肩に頭を乗せ、上目遣いで笑った。心臓が持たないと思ってしまう位に可愛らしい。 本当に同じ男なのかとは思えない位に可愛い見た目と、指先から伝わってくる柔らかさや温もりに東雲は顔を赤くしながら窓の外を見た。 夕暮れ時のあまり人の居ないバスの中、二人で身を寄せ合うように宮野の自宅前のバス停を待った。 あと一ヶ月かそこらで初雪が降るような時期。 もうすぐ、寒い冬がやってくる。
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