存在しない欲

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「乃愛お疲れ。LINE気付いてないだろうと思って迎えに来た」 「七瀬、毎月毎月本当にありがとう」 「俺が好きでやってるだけだから気にすんな。ほら、さっさと乗れ」 ぶっきらぼうな言い方をする自分より背の高い男性は七瀬拓人という。金髪のサラサラとした髪を靡かせ、耳には垂れるようなピアスを付けているどこから見ても美形な男性。 学部は違うが、同じH大学の教育学部に通う宮野のかけがえの無い友人だ。中学からの付き合いだが、本当に同じ年齢なのかと思う程面倒見が良く優しい。 自分の通院日の度に車で迎えに来てくれる七瀬を、友人という言葉で片付けるのは少し違う気もする。 以前、顔も整っていてスタイルも良い七瀬の助手席に座りたい女性は山ほど居るだろうと後部座席に座ろうとした事があった。だが余計な気は遣うなと言われた為、有難く助手席に座らせて貰っている。七瀬が自分の膝にブランケットをかけ、運転用の眼鏡をかけて車を発進させる姿を見て、月に一度の重荷からやっと解放された気がした。 「喉乾いただろ?乃愛が好きそうなの見つけたから買っといた。」 「飲んでいい?」 「当たり前だろ。乃愛の為に買ったんだからな」 クスリと笑いながら言われ、ドリンクホルダーを見ると期間限定と書かれた六種のフルーツ果汁が入ったカフェインレスの紅茶のペットボトルが入っていた。 こういう気が利く所は昔から変わらないんだよなと宮野は病院の緊張が抜けきれない中ペットボトルに手を伸ばす。信号が赤になったタイミングで一口飲んでみると、スッキリとした味わいの紅茶にほんの少しだけほっとした。 「病院はいつも通り?」 「うん。先月と同じ。違うところ探す方が難しいかも。間違い探しみたいになっちゃう。」 「そんなネガティブな間違い探しは嫌だな」 気心の知れた七瀬になら本当の自分をさらけ出せる。主治医の前や看護師その他病院関係者の前とは違う自分の少し冗談めいた言い方。こんな言い方を出来るのは相手が七瀬だからである。車のハンドルを片手で握りながら、間違い探しって発想がそもそも面白いわと七瀬は少し笑った。 そんな七瀬が宮野の自宅とは正反対の通りに車を走らせる。え?と思い七瀬を見ると、もう一度赤信号で停まったタイミングで七瀬が自分の頭を撫でた。 「いつもの雑貨屋、行くだろ?」 病院のすぐ側にある雑貨屋は宮野のお気に入りの場所だ。元々可愛い物が好きな自分にとっては天国のようなお店でもある。毎月違うラインナップを揃えていたり、いい匂いのするふわふわとした店内は居るだけで癒される。 七瀬が一度行ってみようと提案してくれてから、病院が終わる度に寄っている。何故いつもと違う道から行くのかと問うと、道路工事してたからと返され納得した。 ずっと病院に通っていた自分ですら気が付かなかった雑貨屋に通えるという事が、病院に行くモチベーションに繋がっていたりする。宮野にとっての癒し空間に到着し、病院に行った時とは正反対のワクワクとした気持ちで店内に入った。女性店員一人で経営している小さな店に宮野と七瀬が店内に入ると、またいらしてくれたのねと笑顔で対応してくれた。 今月は猫とフクロウの雑貨が多いと言われ、一つ一つを吟味するように小さな店内を堪能する。すると、猫がバイオリンを弾いている小さな置き物が目に止まった。笑顔で演奏しているその置き物に思わず欲しいと思った。小さなこの置き物を自宅にある雑貨を置くスペースに置けたらなと。 だが運の悪いことに今日は病院にあるATMでお金を降ろすのを忘れていた。凄く欲しかったが仕方がない。諦めてウィンドウショッピングに切り替えようと鞄を持つ手に力を込めた。 すると後ろから七瀬がこれ下さいと店員に言う。驚いて振り返ると笑いながら頭を撫でられた。 「欲しいなら言えよ」 「え、なんで分かったの?」 「乃愛の目線。あと表情。毎月乃愛は頑張って病院行ってるんだからご褒美あってもいいだろ」 「ありがとう。今度お金返すね」 「たかが二千円なんだから普通に買ってやるよ」 ゼロがもう一つ多かったら買わなかったけどなと笑いながらサラリと会計を済ませる辺りが七瀬らしいと思った。店員の女性もせっかくなら可愛い紙袋に入れるねと、わざわざリボンや包装紙を使ってラッピングをしてくれる。 自分は包装紙や紙袋も可愛いものはコレクションしている。その事をこの雑貨屋の常連客の為女性の店主は分かってくれているのだ。以前自宅用なのにラッピングなんてと遠慮をする自分に他にもそういったお客様は多いですよと笑って言ってくれた。 勿論ラッピングの時間を待っている七瀬も自分がこういった可愛い物が好きな事は分かっている。嬉しくて思わず七瀬の手を握ると優しく自分の小さな手を握り返してくれた。 「七瀬ごめんね。迎えに来て貰ってるだけで本当に有難いのに」 「なんでごめんねなんだよ。そこは笑顔でありがとうだろうが」 「でも…」 「じゃあ返品するか?」 七瀬はたまにぐうの音も出ない事を言う。意地の悪い言い方では無く少し笑みを浮かべながら自分を揶揄うようにいつもこうして正論じみた事を口にする。 人に買って貰った物とはいえ、一度手にしてしまった宝物を手放すことなど出来ない。宮野はモジモジと体を動かし七瀬の様子を下から伺うように見る。 「……ありがと」 「声ちっさ。聞こえねえよ」 「ありがとう!すっごい嬉しくて仕方ない!」 少し恥ずかしくなり握っていた手を離し大きな声で言うと、よく出来ましたと頭を撫でられた。せっかく来たのだからもう少し見ていくかと提案されたが、宮野としてはまた一つ自分の好きな雑貨が増えたのだから充分だった。家にあるものも今七瀬が買ってくれた物も自分にとっては宝物なのだ。早く自宅に綺麗に並べて自分の心を満たしたい。 ふわふわとした気分で女性店員から紙袋を受け取り、宮野は鼻歌混じりに車に戻った。中学生の時から機嫌が良い時に七瀬の前で歌うようになった独特なリズムの柔らかい童謡のような曲。ラッピングされた雑貨の入った紙袋を助手席に座りながらぎゅっと抱き締めると、七瀬は自分を見ながら眼鏡をかけて優しく笑った。 時刻はもう五時過ぎ。そろそろ帰って明日の大学に備えて体を休めなければいけないなと思っていると、自分と七瀬のLINEの通知音が同時に鳴った。お互いのスマホが鳴るという事はと宮野は苦笑いをしながらLINEを開く。案の定、乃愛飯というグループLINEを大学の友人の一人が動かしていた。 『実家から野菜が送られてきた。神様乃愛様助けて下さい……』 実家が田舎の友人は月に一度か二度大量の野菜が送られてくる。だが料理が壊滅的に出来ない為送られてくる度に、料理の出来る自分に助けを求めてくるのだ。 昔から料理は得意な上に大好きな為料理をする事自体は全く苦ではない。だが、病院終わりで疲れているのにと思いつつも『いいよ。鶏ももひき肉豚バラはいつも通り買ってきてね』と送ると直ぐに既読がつく。 『ありがとう!いつも通りちゃんとお礼するから!バイト代多めに入ったから今回は奮発する!』 『乃愛飯俺も食べたい。手作りの味に飢えてる』 『迷惑じゃなきゃ俺も行きたい』 自分と七瀬と友人三人分となると五人分の料理を作る事になるのが一瞬で決まってしまった。だがこれも一つのコミュニケーションだと思う。グループLINEに居る友人は自分と七瀬を含めて五人。『慎吾も武尊も蘭も来て』と手料理に飢えている男子大学生に言うと、三人から了解とスタンプが送られてきた。 「疲れてるだろ?手伝える事あったら俺に言えよ」 「うん。いつもみたいに荒れた部屋片付けて貰ったり、お皿洗って貰ったりするかも」 「それくらいどうって事ない。あー、うるせえのが来る前に帰って薬飲んておいた方がいいな」 自分は常に作り置きのおかずを冷蔵庫に常備してある為、小腹を満たして薬を飲んでおいた方が体力的にも精神的にも賢明な判断だろう。そうすると答えると七瀬はゆっくりと車を発進させて自宅方向に車を走らせた。 病院に来てくれて、送り迎えだけではなく欲しいと思った雑貨までプレゼントしてくれた七瀬。一度言うだけでは足りないなと思いもう一度ありがとうと言うと、運転中だから顔見れないから後で言ってくれとまたしても冗談ぽく言われた。 自分は七瀬に何度救われるのだろう、そして何度も頼ってしまう。優しさと思いやりの塊のような親友に皆が帰ってから改めて言うねと言い、家に着くまでの二十分程度を眠って過ごした。
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