初めての気持ち

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思わぬ発言に、七瀬と目を見合わせて驚いた。蘭も蘭で経済学部で沢山の事を学び、未来に繋げようとしていた事は知っている。 何故そんな事を思っているのかと聞いて良いのか分からずに七瀬と二人で黙っていると、蘭は一度深呼吸をした。 「誰にも言ってなかったけど、高校生の頃からバンド組んでCD出してたんだよ。勿論売れることなんて無かったし、趣味の範囲で終わると思ってた。けど、先月出したシングルがインディーズチャートで一位を取った。それをきっかけにレコード会社からアーティストとして活動しないかって声をかけられた」 「まじかよ。すげーじゃん」 「嬉しいよ。本当にやりたい事だったから。だけど、そのレコード会社には、大学を辞めてくれって言われてる。それに、音楽で食べていける保証はされてない。他のメンバーは今すぐにでもやりたいって言ってる。七瀬と乃愛なら笑わずに聞いてくれると思ってLINEした」 「本気で頑張っている蘭を笑うわけないよ」 蘭が若干話しにくそうにしていた理由も分かった。まさか将来の話を二人がするとは予想もしていなかった事だろう。 それに、漸く評価された音楽活動か国公立大学大学中退かなんて二択は人生を変える二択でもある。即答出来ないのも当然だ。音楽について余り詳しくはないが、インディーズチャートで一位を取るという事はそう簡単に出来る事では無い事は分かる。 「もし、レコード会社に勤めて音楽活動をしたら蘭は芸能人になるってこと?」 「一応そうなる。でもなあ…」 「やれば?」 芸能人になる為には大学を中退するという大きな代償からか渋い顔をした蘭に、あっさりと簡単そうに七瀬は言った。 これには蘭も宮野も揃って驚いた。二人で七瀬を見ると七瀬は途中まで手を付けていたビールをひと口飲み、自分の背中を一度撫でた後に翡翠色の目を伏せている蘭の隣に行く。 「やりたいことやれるチャンスなんて人生で一度もない人間がほとんどだろ。それを無駄にするのは勿体ない。親はなんて言ってる?」 「まあ、当たり前だけど猛反対してる」 「そんなもん実力でねじ伏せてしまえ。蘭の人生は蘭が決めるべきだ。周りは放っておけ。それに、やりたい事あるのにダラダラ大学なんて通うなよ」 七瀬の言っていることは正論だと宮野も思った。蘭がこうして自分達に音楽の道に進むべきか相談するという事は、本音ではのようにH大学に通いながら就職先を探すよりも芸能人として音楽の道に進みたいと思っているのだと理解する。 七瀬に続くように宮野は蘭の手を握り、日本人離れした綺麗な顔立ちをした蘭の顔を覗き込んでは口を開いた。 「音楽とか自分はよく分からないけど、インディーズチャートで一位取る事は凄い事だと思う。その上レコード会社から声がかかるってことは蘭にはそれくらい実力があるんじゃないかな。蘭が本気でやるなら自分も応援する」 七瀬と自分の意見を聞き、強ばっていた蘭の表情が柔らかくなった。H大学に入学する為には蘭だとて物凄い努力をした筈だろうが、そのモチベーションとなる物が音楽だったのかもしれない。 自分に言い聞かせるようにそうだよなと呟いた蘭は、七瀬と宮野の顔を交互にゆっくりと見た後に立ち上がりスマホを手にした。 「やるってメンバーに言うわ。七瀬、やっぱりお前はすげーわ。言われて全部腑に落ちた。乃愛もありがとうな。乃愛の飯食えなくなるのは少し寂しいけど、頑張る」 「冷凍してクール便で送るよ?」 「それはめちゃくちゃ嬉しい。メンバー待たせてるから帰って連絡する。七瀬と乃愛に相談して良かった」 帰ろうとする蘭を七瀬と二人で見送る。蘭が大学を中退するという事は、こうして背中を見送るのが最後になるという事だ。この家で当たり前のように自分の料理を食べていた姿も今日で見納めになる。 唐突に来てしまった別れに宮野は七瀬と並びながらその背中を見ていると、じんわりと目に涙が浮かんできた。そんな自分の頬を蘭は優しく一度撫でた後、ゆっくりと頬から手を離しそのまま玄関の扉に手を掛けた。 「じゃあ、帰る。乃愛も七瀬も元気でな」 「おう。頑張れよ」 「……応援、するね」 バタンと玄関のドアが閉じた。一人夢に向かって友人が前に進んだ事は喜ばしい筈なのに、寂しくもなる。 アーティストだとか芸能人だとかは自分は知識が無い為本当によく分からないが、蘭の容姿は華やかで周りとは違うオーラがあると思っていた。こんなに身近な友人がこれからアーティストデビューすると思うと、自分自身の人生もどうなるか分からないなと思う。 「蘭、行っちゃったね」 「別に永遠の別れじゃないだろ。あいつは元々一般人寄りの見た目ではないからな。歌も上手いし」 「そうだね……」 リビングに戻り、部屋の片付けをする七瀬を見ながらソファーに座った。手伝おうとしても今までの経験上休んでおけと言われる事ばかりだった為、今は七瀬の親切心を有難く受け取る事にした。 手元が寂しくなりスマホを手にすると、いつの間にか通知が来ていた為ホーム画面を開くと東雲からLINEが来ていた。大学が終わったのだろうか?直ぐにメッセージを確認する。 『乃愛さんの教えてくれたストレッチポールめちゃくちゃ良いですね!周りにも勧めたら好評でした。乃愛さんはやっぱり凄いです』 今この状況で自分の事を肯定して貰える事は素直に嬉しかった。それに、他の生徒にも広めてくれた東雲の存在を嬉しく思う。 『隼人の為になれて良かった』と送ると、背の高い東雲の大学の生徒達が並んでストレッチポールの上に乗っている写真が送られてきた。シュールな写真に思わず笑ってしまうと、七瀬がこちらを見た。 「隼人からLINEでも来た?」 「え?なんで分かったの?」 「分かるわ。最近乃愛が楽しそうにしてる時、大体隼人が絡んでるからな。動画を見てびっくりしたんだよ」 「動画?」 「この前病院帰りに隼人とどっか行ったんだろ?めちゃくちゃ楽しそうに乃愛が笑っててびっくりした。」 七瀬が言うのは展望台で撮った動画の事だろう。まさか東雲が七瀬に送っているとは思っていなかった為驚いた。 だがそれ以上に自分が東雲からLINEが来た事に対して七瀬からはそんなに楽しそうに見えたのかと戸惑う。 「七瀬から見て、今の自分そんなに楽しそうにしてた?」 「は?自覚無いのかよ」 「いや!そうじゃなくて…凄く楽しいし楽しかった」 「あれが作り物の笑顔だったら人間不信になるわ。心から楽しくて笑ってたんだろ?」 「う、うん」 あの時は確かに楽しかったが、少々浮かれてもいた。デートだとか彼女だとか言われ、東雲の腕を掴みながら二人で歩いた自分にとっての特別な日。 帰宅してから栗鼠の貯金箱に五百円玉を持たせて写真まで撮ったのだから、七瀬に東雲の事を指摘されるとなんだか体がむず痒くなる。 「俺は隼人を紹介して良かったってあの動画見て思ったよ。乃愛は本来、ああやって笑える人間なんだからな」 「紹介してくれたのは本当に感謝してる。隼人とLINEするのも一緒にいるのも楽しいから」 「そっか。そんな風に思ってるんだな」 七瀬に肩を抱き寄せられる。力強い東雲とは違い、優しく引き寄せるような力だ。先程までは手を握ったり体を預けていたのだが、東雲の顔を思い浮かべると七瀬に寄り添う事が何となく違うような気がした。 七瀬の手から体をするりと避け、少し距離を置くと七瀬が目を一瞬目を見開いた。そして抱き締めようとしていた手で自分の髪を梳かすように撫でる。 「……七瀬?」 「いや、さっきの蘭に対しての乃愛の気持ちが少し分かったから」 「え?」 「なんでもない」 少し目線を下にし、足を組む七瀬に対して宮野はどうしてしまったのかと混乱する。七瀬が歯切れの悪い物言いをする事が滅多に無い為不安になったのだ。 もしかして自分が東雲を思い浮かべ、少しだけ七瀬に距離を置いた事が七瀬に伝わってしまったのだろうか? 別に七瀬が嫌だという意味では無いが、七瀬が何を思っているのか分からない為何も言えない。すると七瀬が自分の頬に手を添えて少し体を寄せた。 本当にどうしたのかと目を瞬かせると、七瀬が自分の目尻に溜まっていた涙を親指で拭いながら笑う。 「俺の為に何か作ってって言ったら作ってくれんの?」 「当たり前だよ!お腹すいた?」 「ほとんど食えなかったし。乃愛の作るものならなんでもいい」 「どうしよっかな…あ、茶碗蒸しにする?今日味濃いのばっかりだったし。レンジで作るやつだけど」 「いいよ。俺の為に作って」 いつも支えてくれる七瀬の頼みなら疲れている場合ではない。簡単な茶碗蒸しで良ければ今直ぐに作ると、台所に向かおうとすると七瀬に後ろから腕を引かれた。 少し転びそうになった自分を七瀬が優しく支え、少し寄れていた服を直しながら自分の顔をじっと見る。 「乃愛がこれから人生楽しんでいくと思うと、こうやって居られるのも限られてくるよな」 「七瀬、本当にどうしたの?」 「……少し酔った。手元気をつけろよ。乃愛の手は人を救う手だろ。まあ、言うまでもないか」 酒を飲みながら明後日の方向を見る七瀬の表情はよく見えなかったが、確かにそうかもしれない。いつまでもこの七瀬との楽しい時間が続くとは限らない。 実際、蘭が今日そうなったのだから。 酔ってしまった七瀬に酔い醒ましの為にシャワーに入ってきた方が良いのではと思い、七瀬がいつも使っているバスタオルと新品の下着と常に家にある部屋着を手渡すと、七瀬は自分の手からそれらを受け取り黙って浴室に向かって行った。 出来上がった茶碗蒸し少し冷ます間に、明日の朝ご飯のポトフも作ってしまおうと、宮野は武尊と慎吾が持ってきた食材をコンソメで煮込みながら七瀬がシャワーを浴びている音を聞く。 中学から大学までずっと一緒に過ごしてきた七瀬も、自分自身も社会人になったら違う方向を歩むことになる。 ならば東雲はどうなるのだろうか。いつまでもこれからも乃愛さんと自分に笑顔を見せてくれるのだろうか。頼りにしてくれるのだろうか。 七瀬との関係性に今は東雲は関係ないだろう。 何故今東雲の事を考えたんだと自分自身の思考回路を叱咤し、煮込んでいるポトフの味わいが深くなるようにと冷蔵庫にあった厚切りのベーコンをいれた。 七瀬がいつも作ってくれるフレンチトーストとこのポトフは相性がいいだろうなと思う。 「乃愛ごめんな。酔い醒めたわ」 「あ、本当に酔ってたんだね。今七瀬の作るフレンチトースト食べたいなって考えてて……」 「あんなんで良ければ乃愛が寝ている間に準備しておいてやるよ」 風呂から上がった七瀬は本当にいつもの七瀬で、自分が感じた違和感は本当に酒に酔っただけの物だったのかと安心した。 濡れた髪をバスタオルで拭く七瀬に恐る恐るフレンチトーストを強請ると、当たり前だという態度で七瀬は作ると言ってくれる。 こんな幸せな事は無いと宮野は顔を綻ばせると、七瀬がバスタオルを首にかけながら自分の体を優しく抱き締めた。 「そのコート着て俺の助手席座れよ。好きな所連れて行ってやるから」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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