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「何か俺しましたか?」
「だって……隼人の彼女みたいに自分がなっちゃってて」
「え?何言ってるんですか?乃愛さんはもう俺の彼女ですよ」
「ち、違うよ!そんな……は、恥ずかしいから辞めてよ!」
「えー……そんなめちゃくちゃ可愛い反応されたら辞められないです」
時折東雲は意地の悪い年相応の男子大学生らしい言い方をする。当たり前のようにもう彼女なのでは?と言われて宮野は顔が赤くなってしまうが、そんな自分を見て東雲ははにかむように笑うのだ。
別に自分はマゾな性格では無いのだが、最近東雲が笑う度に胸がとくんと締め付けられるような独特か喜びを感じる。
彼女だと言われるのは申し訳ないと思いつつも彼女だと言って欲しくなる。東雲がココアを手に取り、自分はキャラメルマキアートを手に取ると東雲がポケットからスマホを取り出した。
「乃愛さん。そのままキャラメルマキアート飲んでみて下さい」
「え?本当に写真撮るの?」
「おばあちゃんに送りましょうよ。孫がこんな可愛かったらおばあちゃん喜びますから。ドリンク熱いですけどカップに口つけて啜ると火傷しませんよ」
「う、うん……」
スマホを向けられながらドリンクを飲むなんて少し恥ずかしく感じるが、確かに東雲の言うように祖母に写真を送るという意味では良いような気がした。
初めて飲む憧れのスターバックスのキャラメルマキアートを慎重に啜ると、温かくてふわりと甘い濃厚な風味が口に広がった。美味しいとは聞いていたがここまでだとは思わなかった為、宮野はぱあっと顔を輝かせて笑う。
その瞬間に東雲が数回シャッターを切り、満足そうに自分のLINEのアカウントに写真を送ってくれた。
「これ見たらおばあちゃんコートプレゼントして良かったって思うんじゃないですか?あ、因みに俺もこの写真大切に取っておきます」
「隼人は消しても良いのに……えっと……おばあちゃんありがとう。コート着て友達とお出かけしてるよ……送った!」
「恋人って言って欲しかったですけどね〜。まあでも俺と乃愛さんの秘密って事にしましょう」
祖母はスマホを弄る時間を掻い潜るように自分からのLINEをチェックしている。通知音も鳴らないように設定している筈なのに、送ったLINEには直ぐに既読が付いた。
祖母は今の自分を見て何と思ったのだろうかと宮野は顔を綻ばせながら祖母からの返事を待つ。すると若干の時間を置いて
『乃愛、本当に可愛い♡コート似合ってるよ♡』
と喜んでいるようなメッセージを送ってくれた。祖母から見て可愛いと思ってくれたのならば本望だが、結構遅い時間にLINEをしてしまった為『おばあちゃんおやすみ。またLINEしてね』と返事をする。
そんな自分の様子を東雲は微笑みながら見ていた。
「ごめんね?その……デ、デート?なのに……」
「やっとデートって分かってくれました?それにおばあちゃん喜んでくれて良かったじゃないですか。あとケーキも食べたらいいと思いますよ。スタバのケーキって本当に美味しいので」
「じゃあ食べちゃおうかな」
東雲に言われ、ケーキを一口サイズにフォークで掬うように切り、そのまま口に運んで驚いた。フワフワとしているのにしっとりとした生地。甘すぎない滑らかな生クリーム。
ケーキは今まで色々な店舗で買って食べていたが、専門店にも負けない位の美味しさだ。こんなに美味しいドリンクやケーキがH大学のすぐ側で味わえるなかと思うと嬉しくなる。
美味しいなと笑顔でゆっくり味わいながらケーキ食べ、キャラメルマキアートを飲んでいると、それまで隣で此方を見ながら座っていた東雲がココアを飲んだ。
「いつもの乃愛さんの笑顔が見れて良かったです。」
低くて少し掠れている東雲の優しい声色とその言葉で今日あった事を今更ながらに思い出した。
東雲からのLINEに対して既読無視をしてしまった事。
教授から大学院への進級や学科の変更を勧められて内心不安で堪らなかった事。
そんな時に東雲が大学まで来てくれた事により自分は物凄く救われた事。
スターバックスに来て浮かれていたが浮かれている場合では無かったと宮野は思わず俯くと、東雲が自分の手を優しく握ってくれた。
「隼人…ごめんなさい……」
「良いんですよ?それに俺が乃愛さんを安心させられればと思ったんです。でも、今日何かあったんですよね?俺に聞かせてくれませんか?」
東雲の優しい聞き方に宮野は俯きながらも小さく頷いた。だがどこからどう説明していいか分からずに黙り込んでしまう。だが東雲はそんな自分を急かす事無く、寧ろ安心させるようにそっと背中を摩ってくれた。
その優しさに宮野は涙が滲むような感覚すらも覚える。なんとか説明しようと考えたが、口で説明すると物凄く時間がかかってしまうだろうと、宮野は今日小松から届いたショートメールを東雲に見せた。
東雲は自分の手も一緒にスマホを握り、体を寄せながら真剣にショートメールを見てくれる。
「えっと…乃愛さんの研究のレポートを見て、エッセイ本出す位の他の大学の教授が乃愛さんに会いに来たんですか?」
「そう。東京のT大学の医学部の教授。だから遅くまで大学に居たの」
「T大学?日本のトップの大学じゃないですか」
今日井上から渡された名刺を東雲に見せると、東雲は本当にT大学医学部教授と書かれている井上の名刺に心底驚いた顔をした。
偏差値で言うとH大学よりも上のT大学の医学部の教授である井上は、とても秀才な教授である。医学部で学んでいる生徒であれば一度は井上の論文や書籍に触れる機会があると言っても過言では無い。
だからこそ自分は困惑してしまったのだ。そんなに凄い教授が何故自分に?と物凄く心が揺れてしまった。東雲は名刺を自分に返した後、一口ココアを飲んでから真剣な顔をする。
「その教授にはなんて言われたんですか?」
「今の学科を変更して四年でH大学を卒業した後、H大学の大学院に進学して欲しいって……一緒に研究をしないかって…」
「俺大学院の仕組みとかあまり分からないんですけど、乃愛さんまだ三年ですよね?早くないですか?」
「うん。普通は四年になって自己申告するんだけど、自分の体調やメンタルを井上教授と大学が気遣ってくれたの」
こんな事可笑しい事だとしおらしく言う自分に対して、東雲は目を見開き絶句したように驚いてみせた。宮野自身驚いているのだから東雲の反応は普通だと思う。
三年の冬にもう大学院に行く事が決まるなんて異例な上、出版されるエッセイ本に自分の書いた論文やレポートが掲載されるのだ。夢なのではないかと思うような事ばかりで混乱している宮野は、隣で少し難しい顔をしている東雲に少し縋ってしまう。
「七瀬にもまだ言ってないんだ。隼人に連絡出来なかったのは、今日の朝教授から連絡来て大学の事で頭がいっぱいだったからなの」
「それはそうなります。具合悪いとかじゃなくて安心しましたよ。でも今は乃愛さんの凄さにひたすら驚いてます。大学院行くんですか?」
「ううん。流石に即答は出来なかった。嬉しいけど、凄いプレッシャー感じちゃって…それに不安もあるんだ」
学科を変更して大学院に進むという選択肢。そして井上のエッセイ本に自分の作成した論文が掲載されても本当に良いのかというかなりの不安。
日本国民誰しもが知るような大学の教授と共にこれから学んでいくなんて事が現実にあっていいのか。そしてそんな教授に自分は未来を導かれているのだ。何とも思わない方が可笑しい。
少し心がザワザワとしてきた為、それを打ち消すようにキャラメルマキアートに口をつけた。甘くて温かいドリンクを飲むと少し心がほっとしたような気がするが、漠然とした不安な気持ちが消える事は無い。
カウンターに半分程飲んだキャラメルマキアートのカップを置き、宮野はコートの裾をぎゅっと握り締めると、東雲が自分の作った握り拳を解くように優しく手を握ってくれた。
「今回だけは、乃愛さんの気持ちが分かります」
「隼人?」
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