触れ合った

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眉間に皺を寄せ、深く考え込むような素振りを見せる七瀬に宮野は固まった。話が上手すぎないかという七瀬の言葉に宮野は呆然とし、握っていた七瀬の手を無意識の内に離した。 浮かべていた満面の笑顔がすうっと消え、まだ東雲と話す前の不安でいっぱいだった時の表情と気持ちに一気に引き戻される。 「井上って教授が凄い人だということは分かったけど、だからこそ本当に大丈夫なのか?そんな有名な教授と研究するってなったら相当なレベルを求められるだろ。それに、エッセイ本に名前出す話はどうなった?」 「それに関してはまだ何も……」 「なんで折角北海道まで来てそこを説明しないんだよ。勝手に名前出すような事も無いとは言い切れないし、名前出さなくても見る人間が見たら分かるだろ。逃げる事も隠れる事も出来ないぞ?」 確かに七瀬の言うようにエッセイ本の話は何もされなかった。それは井上が東京に帰る飛行機の便が近かったからだろうと自分で結論付けていたのだが、客観的に物事を冷静に見る七瀬からすると井上が何故エッセイ本の話を全くしなかったのかが疑問なのだろう。 だが、井上も小松も猶予を与えるから前向きに検討してくれと笑顔で言ってくれた。それを七瀬に伝えようと宮野は口を開こうとするが、七瀬は金髪のサラサラとした髪を耳にかけて訝しげな表情を見せる。 「大学院に行く事が決まる三年が居ることが異例過ぎて理解が出来ん。学科の変更も絶対しなきゃいけないのか?ていうか、そもそも乃愛の体をどこまで気遣ってくれるんだ?病院行く時間や薬を飲む時間を設けるだけじゃ足りないだろ。そこは乃愛から何か言ったのか?」 「えっと…緊張でまだ何も言えてなくて……」 「教授なら緊張してる事位分かるだろ。それなのに今朝急に会いたいって言ったかと思えば、夜になって大学院で一緒に研究したいとか余りにも一方的だろ。乃愛がまだ俺や隼人に相談するって思ってたのは良かった。ちゃんと突っ込んで話聞かないで返事したらどうなるか分からないだろ」 何故か苛立ったように言葉を繋ぐ七瀬だが、言っている事は全て正論でしか無かった。自分は何処まで体調に関して井上や小松に理解して貰えるのか。そもそも七瀬の言うように大学院に三年で行く事を教授に勧められる事が異例だ。七瀬の正論が過ぎる言葉達に自分の体が萎縮した。 「乃愛の性格や体調分かってるなら、学科変更とか急かさないで六年まで猶予持たせる位の配慮はあるべきだと思う。乃愛が真面目でレベル高いからこそ、その教授達に利用される可能性も無くはないだろ」 七瀬の言葉を全て聞き、思わず絶句してしまった。確かに今日は自分から質問したり、詳しい話を聞く事は出来なかった。だが七瀬はいつも自分を評価してくれる。 だからこその七瀬なりの考え方なのだろうが、余りにも正論過ぎて言葉を失ってしまったのだ。真面目で正義感の強い七瀬は自分の為に言ってくれているのは分かる。 だが、話を聞いているとまるで『大学院に行くな』と言われているように感じてしまった。 七瀬ならば自分の事のように喜んでくれると思っていた。良かったなと頭を撫でて、いつものように乃愛こっち来いよと体を引き寄せては抱き締めるように背中を撫でてくれると思っていた。 だが七瀬は自分が今日教授に評価された事を良く思ってくれていない。そう感じた瞬間に自分の目にじわりじわりと涙が浮かんだ。 七瀬のように何故考える事が出来なかったんだと自分を責め、顔が歪み涙が零れそうになった時。それまで無言で座っていた東雲が自分の体を軽く引き寄せ、見た事の無い怒っているような表情を見せた。 「……なんで七瀬さんが乃愛さんの将来にそこまで口を出せるですか」 「はあ?」 東雲と出会ってから初めて聞いた地を這うような低い声。そんな東雲の声と態度に恐らく反射的に苛立ったであろう七瀬の声。 そんな二人を見た瞬間に宮野の頭の中に大きな警報音が鳴った。慌ててその場から立ち上がり、震える手で三人分の食器を重ねながら、七瀬と東雲には絶対にこの涙目が見えないように背中を向ける。 「七瀬!隼人!ごめんね!そうだよね……ちゃんと話聞いて納得してから決めなきゃダメだよね!隼人も寒い思いさせちゃったし……二人共本当にごめんね!」 全ての皿を重ね、プレートに乗せてはそのままキッチンに移動をする。そうだ。安直過ぎたのだ。七瀬の言うようにデメリットも考えて答えを出さなくてはいけなかった。 それなのにも関わらず二人の友人を自分自身の将来の話で争わせるなんておかしな話にも程がある。溜まっていた涙がポロリと溢れ、少し鼻を啜りながらも、泣いている事を悟られないように冷蔵庫を開けた。 「おばあちゃんがフルーツ大福送ってくれたの。アマギフ来なくなったと思ったらこれだよ?本当に過保護だよね!一人じゃ食べきれないから三人で食べよ!大学院の話は自分だけでなんとかするから!」 この場の空気を悪くしてしまったのは全て自分の責任だ。背中を押してくれた東雲の意見も、少し冷静にと引き留めてくれた七瀬の意見もどちらも大切にしなくてはいけない。 それなのに七瀬に褒められたい抱き締められたいだなんて自分は馬鹿じゃないのかと思う。冷蔵庫を開けたまま宮野は溢れた涙を服の袖で拭い、どうか気付かれないようにと願いながら肩を震わせた。 すると七瀬が立ち上がり此方に向かってきた為、ゴシゴシと涙を拭いてからフルーツ大福の箱を取り出す。 「別に乃愛を悪く言った訳じゃ無いぞ?慎重に行動した方が良いって思っただけだからな。大学院に行く事は乃愛にとっても良い事だと思う。だからこそ後悔させたくなかったんだ」 「でも、自分で七瀬みたいに考えられ無かったから…自分は一人のH大生としても人間としてもまだまだだなって。全然ダメだなって……七瀬に言われて現実を見る事が出来たよ。ありがとう!」 「乃愛……」 一瞬だが確実に流れた東雲と七瀬との間の悪い空気を打ち消すように、宮野は涙で濡れた目を誤魔化すように必死に大きな声を出して大袈裟に笑った。 すると自分の元に来ていた七瀬が大学院の話をした時よりもずっと驚いた顔をし、後悔をしたように表情を歪ませた為更に焦る。 自分の名前を呟くように言った七瀬の声が若干震えていて、勘のいい七瀬ならば今の自分の気持ちを察してしまうような気がした。 「フルーツ大福あるなら緑茶あった方がいいよね!七瀬も隼人も座って待ってて!七瀬!このフルーツ大福の箱向こうに持って行って貰える?二人で先に選んでて!」 ポロポロと溢れて止まらない涙を悟られないようにと必死になって誤魔化した。すると七瀬はキッチンに置いていたフルーツ大福の箱をリビングに持って行き、ソファーの端に座って少し項垂れている。 どうしよう。七瀬を傷つけてしまったのではないだろうかと宮野は焦ると、座っていた東雲が七瀬の隣に行き肘でぐりぐりと七瀬の二の腕を押して笑った。 「七瀬さんは選ばれた事ないから乃愛さんの気持ち分からないんじゃないですか〜?こんなに近くに居るのに乃愛さんの可能性を信じてあげられないんですか〜?」 揶揄うように東雲が言ってくれて本当に助かった。張り詰めていた部屋の空気がガラリと変わる。安堵しながら緑茶を三人分用意しようとすると、茶葉が切れていた為冷蔵庫に入っているペットボトルの緑茶に変えようと宮野はグラスを三つと緑茶のペットボトルを持ってリビングに行こうとした。 もう涙は止まった為大丈夫だと一人グラスを重ねていると、東雲がソファーから立ち上がる。 「乃愛さん。手伝いますよ。割れて怪我したら危ないです」 「隼人……ありがとう」 東雲が手伝ってくれたお陰で自分はペットボトルを持つだけで済んだ。東雲が並べたグラスに緑茶を三人分注いでいると、ソファーの端に座っていた七瀬が端正な顔を強ばらせるように歪ませて此方を見た。 七瀬は何も悪くない。こうやってデメリットを言ってくれる友人も自分には絶対必要だ。宮野は七瀬の隣に座ると、七瀬は自分の体を引き寄せるように抱き締めた。 「乃愛ごめんな。心配だったんだ。確かに俺は乃愛や隼人みたいな選ばれる側の気持ちが分かってやれない。乃愛の意見を一番尊重するべきだったよな」 「いいの。七瀬が自分を思って言ってくれた事だってちゃんと分かってるから。自分からもちゃんと教授に詳しく聞いてみるね」 笑顔でそう言った自分に七瀬は少し悲しそうに笑いながらも優しく手を握ってくれた。細くて綺麗な七瀬の指が自分の小さな手を包み込んでくれた事に安心感を覚え、七瀬が自分の事を考えた上で発言してくれた事に感謝する。 七瀬の体に宮野は体を寄せようとすると、東雲が桐箱に入っているフルーツ大福の箱を開けながら自分の肩を優しく叩いた。
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