将来

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将来

カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。その眩しさから目を覚まし、気怠い体をゆっくり起こしてはぼーっとする頭でいつものようにスマホを開いた。 毎日来ている東雲からのLINEをチェックする事を自分はもう無意識の内に行うらしい。まだ少し眠剤が残っているのか眠い目を擦りながらLINEを開いたが、東雲からメッセージは届いていなかった。 何故?と宮野は一瞬だけ不思議に思ったが直ぐにその理由を思い出す。 東雲は今自分の家に泊まっていてリビングのソファーで寝ているのだ。 時刻を見ると六時半と早めの時間だが、東雲はもう起きているだろうか?もこもことしたパジャマの裾を擦り合わせながら宮野は音を立てないように寝室の扉をそっと開ける。 なるべく足音を立てないようにリビングに行くと、東雲がリビングの空いたスペースでストレッチをしていた。 ソファーで眠って体が凝り固まったのかと一瞬不安に思ったが、東雲が開脚をすると殆ど百八十度に開いた足を見て、恐らく毎日の日課なのだろうと勝手に結論付ける。 ストレッチをしているのならば大丈夫だろうと宮野はペタペタと足音を立てて後ろから東雲に近寄ると、東雲は自分を見て少し落ち着いた様子で笑った。 「おはようございます。乃愛さん」 「隼人おはよう。毎日こうしてストレッチしてるの?」 「はい。絶対怪我出来ないんで、朝と風呂上がりの日課です」 「凄い……頑張ってるんだね」 朝にこうしてストレッチをすると代謝が良くなり、風呂上がりにストレッチをすると副交感神経が優位になる為理想的なルーティンだなと宮野は東雲の横に座って自分も足を伸ばしてみた。 東雲程足は開かないが、老廃物が貯まらないようにとリンパマッサージを常日頃行っている為体は軟らかい。 そして体育大学に通う東雲がルーティンとしているストレッチにアドバイスなんて生意気かもしれないが、一人の医学部生として気になる所があった。東雲のふくらはぎを指先で触り、宮野はきょとんとしている東雲の横でお手本を見せるようにストレッチを行った。 「こうして少し内ももを擦るの。血液の流れが良くなって体が温まるよ」 「乃愛さんやっぱり流石ですね。こうですか?」 「うん。なんとなく擦る程度でも大丈夫なの……あ、ごめん。ソファーに座ってる」 自分でも思う覇気がない声。抗うつ薬や精神安定剤が抜け、眠剤が残っている朝はいつも宮野はこんな調子だ。 ふらふらとソファーまで歩いていき焦点の合わない目線でぼうっと一点を見つめる。泊まるとなると東雲にこの様な精神科に通っている事が丸裸になるような所も見せる事になるのに。 甘えたいという気持ちが率先して動いてしまったと、宮野は浅く腰掛けたソファーの上で俯きながら座っていると、ストレッチをしていた東雲がキッチンに向かった。 プロテインでも飲むのだろうかと東雲をぼんやりと見つめていると、東雲が大きなマグカップを持って自分の元に歩いてくる。 「乃愛さんに俺がおまじないかけた白湯を飲んで欲しいです」 「おまじない?」 「そうです。隣に座りますね。取り敢えず飲んで見て下さい」 よく分からないが東雲が自分が寝ている間にわざわざ白湯を用意していてくれたという事だろうか?何故かマグカップの上を隠す東雲に、もしかしてそのおまじないとやらが見られたくないのかと宮野は少しだけ表情を柔らかい物にした。 そして東雲からマグカップを受け取りゆっくりとした動作で白湯を飲む。すると何故かいつも自分が作っている白湯とは違い塩味と酸味による旨味を感じた。 何だろうとマグカップの底を見てみると、種が取り除かれた梅干しが二つ入っている。これがおまじないの正体かと宮野はクスクスと笑った。 「おまじない成功ですね。俺が怪我して白湯飲んでた時に梅干し入れると塩分も取れてしかも美味しいからって主治医に教えて貰ったんです。勝手に冷蔵庫触っちゃったんですけど大丈夫でした?」 「うん。美味しい……なんか元気になれる味する……自分が起きる前に作ったの?」 「何となくこの時間に起きるかなって思ったんです。ストレッチしながらLINEのトーク履歴見てたら、乃愛さんがおはようって送ってくれるのこの時間だったんで」 マグカップに入っている白湯は程よい温かさでリラックスが出来る上に、梅干しの効果もあって美味しかった。これから自分で作る時もそうしようと思う位に頭が覚める事が出来た。 だが東雲がトーク履歴を遡り自分の起きる時間が大体何時頃か、そしてその時間に合わせて特製の白湯を作ってくれた事に喜びを覚える。 テーブルにマグカップを置き、宮野はまだ殆ど力の入らない体を東雲の体に預けるように肩に頭を乗せると、東雲は自分の体を抱き寄せて支えてくれた。 「嬉しい……隼人がこうして自分の為におまじないかけてくれた」 「白湯飲んだ瞬間の乃愛さんの顔可愛かったです。でもまだ体動かすの厳しいですよね」 「どうだろう……いつも歯磨きとか洗顔とかスキンケアしてたらいつの間にか目が覚めるの。でも今は隼人が居るから割と動けそう」 体を寄せ合うように東雲と会話をするが、本当に先程の虚ろな状態から少し体にスイッチが入ったように感じた。 東雲が言うおまじないの効果なのか、はたまた東雲の存在その物なのか。 宮野は東雲の筋肉質な腕に抱き締められながらふんわりと笑みを浮かべて東雲を見上げると、東雲が満面の笑顔で自分を見る。 「それ嬉しいです。でもそんな言われ方されると、乃愛さんにとって俺は少し頼れる存在になれたのかなって調子に乗っちゃいます」 「ふふっ、隼人はもう頼りになるよ」 「あ!いつもの乃愛さんの可愛い笑顔じゃないですか!改めておはようございまーす!」 元気の良い東雲の挨拶に宮野はマグカップを両手に持ちながら肩を揺らして笑った。毎日一人で朝を迎える中、こんなに笑顔になれた朝は初めてかもしれない。 東雲が作ってくれたおまじないのかけられた白湯の入ったマグカップを両手で包み込みながら、クスクスと笑い声をあげていると東雲が頭を撫でてくれる。心地の良い冬の朝だなと宮野はマグカップに入った白湯を飲み干した。 「スキンケアとか諸々してくるけど、隼人はいつもみたいにランニング行く?」 「はい。乃愛さん寝てるのに鍵開けっ放しで行くとか不用心だと思ったので。少しウォーミングアップしてから走ってきます」 「分かったよ。朝ご飯作って待ってるね」 「本当ですか!?気合い入れて走ってきます!」 元気の良い東雲からは自分も元気ややる気を貰えるなと宮野は笑い、身支度をする為に洗面所へと歩いていった。 東雲がウォーミングアップをしている間に歯を磨いて洗顔をする。洗顔はその日の肌のコンディションや湿度や温度によって変えているのだが、今日のような寒い日の朝ならばジェル状の優しい洗顔で皮脂を落とそうと思う。 洗いたてのふわふわのタオルでぽんぽんと優しく水気を拭き取り、乾燥防止の為に鏡台にある導入美容液を直ぐに肌に乗せて手でパッティングをした。 そのまま寝室にある鏡台でスキンケアをしようと洗面所を出ようとすると、東雲が玄関でスマホを弄りながら立っていた。もしかして自分の身支度を待っていたのかと宮野は目を見開くと、自分の存在に気が付いた東雲が満面の笑顔を見せる。 「乃愛さん、何かあったらLINEして下さい!直ぐに駆けつけますから!」 「もう大丈夫。隼人気をつけてね。行ってらっしゃい」 「行ってきます!」 ジャージ姿の東雲が玄関から出て行った所を見届けてから、宮野は肌が乾燥しないようにと急いで鏡台へと足を運んだ。正直寝る前に東雲と体を密着させた後の朝だった為、少し気まずくなるのかなとは思っていた。 だが東雲の持ち前の明るい性格とポジティブな考え方が自分達の間にそんな空気を流させなかったのだと思う。 美顔器のスチームを当てながら朝によく使用する化粧水顔に塗り、少ししっとりするデイリータイプのパックで顔を保湿した。東雲によく肌が綺麗だと褒められるからこそ、今日はいつもより念入りに保湿をしようと思う。 パックをしながら宮野は今日の朝食のレシピを考えていると、急に昨日の夜に東雲に抱き締められた感覚を鮮明に思い出した。 優しくて力強くて男らしい東雲からの抱擁。他の誰にもこの姿を見せないでという東雲との約束。それらを思い出すだけで顔が火照る感覚を覚えたが、正直今朝の東雲がいつもと同じで良かったとも思った。 あんな風に抱き締められた事は一度も無いが、全く嫌悪感を抱く事は無かったし、寧ろもっと抱き締めてと強請りたくなるような感覚を覚えた。元々人と接する事が地雷に近い自分がこんな風に人と触れ合うだなんて考え難い話だが、東雲の人としての魅力がそうさせたのだと思う。 それ以外に理由があったとしたら何だろうか。 よく分からないが剥がしたパックで東雲が褒めてくれた首を保湿しながらリンパマッサージを行った。油分と水分が程よく入った乳液で保湿し、宮野はいつものようにユニセックスのパーカーやパンツに着替える。 この服も可愛いなと思って買ったのだが、白のもこもこでは無いなと苦笑いをし、まだ東雲とこんなに距離が近くなる前に買ったのだからと結論付けた。 結局朝食のレシピを何も考えられていないでは無いかと宮野は時間を見て少し焦りながら冷蔵庫を開けた。 ご飯は少しでも美味しく食べられるように土鍋で炊くとして、その他のおかずをどうするかだ。東雲はガッツリとしたご飯を好む傾向にあるが、自分はそこまで朝から食べられない。ならば自分にとって最高の朝ごはんを作ろうと思った。 卵は別にベーコンエッグでも良いのだが、どうせなら自分が得意なだし巻き玉子にしようと思った。あまじょっぱくて美味しい出汁を入れて綺麗に巻けば見栄えも良いだろう。 味噌汁はこの寒い冬の事を考えると体を温める為の必需品だ。なめこと専門店で買った豆腐を使い、味噌も特別美味しいお気に入りの味噌を使おうとキッチンを漁る。 どうせならパリパリとしたウインナーを焼き、色合いで食欲をそそるような紅鮭も焼こう。 そしてそれらを無農薬野菜で作った副菜と一緒に大きな皿に並べたらきっと物凄く豪華な朝ご飯になると、浮き足立つような気分で料理を進めた。東雲は美味しいと喜んでくれるのだろうかと張り切って料理を作っていくが、そこで少し思う所が出てくる。 だし巻き玉子にパリパリの美味しいウインナーに紅鮭に無農薬野菜にと、自分はもしかして張り切り過ぎてはいないだろうか? 何だか昨日東雲と抱き締め合ってから自分の調子が狂っているような気がするが、ここまで作って後戻りは出来ないと宮野は顔を赤らめながら料理を作っていく。そして思い浮かべるのは東雲の美味しいと喜ぶ笑顔だ。 満面の笑顔でおかわりいいですか?と言う東雲を想像すると、何だかまた胸がとくんとくんと脈を打つような感覚を覚えた。 この独特な鼓動は何なんだと宮野はあっという間に作り終えた朝食のおかずを盛り付けながら首を傾げる。米が蒸されるまで東雲を待とうとリビングのソファーに座ってふと鏡を見ると、あまり血色の良くない唇が目に入りこれはダメだと寝室に戻る。 最近気になったふんわりとした唇を演出する可愛らしいリップを塗り、瞼には肌馴染みの良く繊細なラメが入ったアイシャドウを塗った。 どうせなら頬を薄く色付かせたいなとブラシでチークを塗る。ほぼ自分にとってはフルメイクのような状態なのだが、最後に肌にツヤが出来るようにハイライトを仕込んでからリビングへと戻った。東雲が帰ってくるのも時間の問題だが、何故か緊張し姿勢を正しながら待つ。すると玄関の扉が開く音がして、宮野は反射的に体を跳ねさせた。 「乃愛さん……ただいまです……」 「は、隼人?疲れてる?」 「はい……乃愛さんがご飯作ってくれてると思うと、張り切っちゃって……」 ジャージ姿で息を切らせながら部屋に入ってきた東雲に宮野は目を瞬かせると、疲労困憊していた東雲が自分を見て同じく瞬きをする。チークを塗っておいて良かった。自分と同じように東雲も東雲で張り切ってくれていたのだと顔を赤らめ、宮野は眉を八の字にしながら笑った。 「自分も張り切って朝ご飯作ってたの。一緒だね」 「……あの……可愛すぎません?」 東雲と目と目を合わせて暫く無言になる。だがお互い張り切って準備をしていたんだと宮野と東雲は声を上げて笑い合い、少し息が上がっている東雲に宮野は抱き締められたのだった。
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