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「宮野くん!不安な思いをさせた事をお詫びする!本当に申し訳ない!」
大学に行き、小松の居る教授室に行くなり自分に対して小松が頭を下げた。驚きと戸惑いを隠せずにいながらも急いで頭をあげてくださいと言うと、教授が座ろうかと自分を椅子に座るように促した。
座ると温かい緑茶を目の前に差し出される。どうやら心優しい教授の小松は自分のショートメールを見て胸を傷めたようだ。
緑茶の横には茶菓子の栗羊羹まで置かれ、時間を取って貰ったのは此方なのにと思う。当たり前だが小松に感謝の気持ちを込めて頭を下げると、小松がファイリングされた書類を自分の前に差し出した。
「宮野くんの体調や気持ちの面への配慮が欠けていたと私も井上教授も反省をしたよ。まだ二十歳の宮野くんには負担になってしまう事を忘れて盛り上がってしまった」
「と、とんでもないです。こちらこそ今朝のメッセージの文章力は欠けていたと反省してます」
「良いんだ。あのメッセージを見た後に直ぐに井上教授に連絡を取った。そして、宮野くんが大学院に安心して進めるように簡単だが私が書面に纏めてみた。これを見てゆっくりと判断をして欲しい」
「ありがとうございます。拝読しても宜しいでしょうか?」
勿論だと自分に優しい笑顔を向ける小松に宮野はとてつもない安心感を覚えた。やはり尊敬する教授である小松は優しいなと宮野は小松がテーブルに置いた書面を手に取りながら笑顔を見せる。
決して急かす事無く緑茶を飲みながら自分を見守る小松の前で、宮野は将来に関わる書面をしっかりとこの目で確認した。
『大学院への進級の際は、H大学の大学院生としてH大学に貢献出来るような研究をして欲しい。だが、その際は必ず私自身と井上教授でサポートする』
『理解度の高い論文を求めるが、今の宮野くんの知識と熱意をそのまま続けて貰えるだけでH大学も井上教授も双方満足だ』
『通院や服薬は遠慮せずに宮野くんの体を優先して予定を入れて貰って構わない。入院等の治療が必要になった場合はこちらとしても精神面肉体面へのサポートは欠かさず行う』
『御家族の事に関しては此方からは一切口を出さない。祖母の施設への面会等が必要な際は、前もって言って貰えると協力的に日程を空ける』
『大学院に進み学ぶ上で必要となる資料等の請求に関しては、自分を通して貰えると無償で提供する』
『井上教授のエッセイ本に名前を出す際は、細心の注意を払い宮野くんの負担にならぬように紹介をする。その際の確認は、井上教授を含め三人で行う事を約束する』
『大学院で研究をする際、必要となる交通費や宿泊費は全てH大学が負担するとする』
『金銭的な面を考え、宮野くんがアルバイト等をする事に関しても一切問題は無い。宮野くんの生活を考えた上でこちらも発言をする』
『他、宮野乃愛くんが熱心に研究に励めるようにする為ならば、出来る限りの配慮と協力を行う事をここに約束する』
こうして書面にして貰うと物凄く分かりやすく、自分で言って良いのか分からないがかなり高待遇なのではないかと宮野は目を瞬かせた。
こんなに自分の体調や心の不調に気を配ってくれていた小松と井上。感謝の念が出てこない方がおかしいだろうと宮野は書面をテーブルに置き、小松に向かって頭を下げた。
すると小松は朗らかな笑い声を上げて自分の頭を優しく撫でる。
「この書面を先に渡すべきだったね。少しばかりの気持ちだが栗羊羹を是非食べて欲しくて買ってきたんだ。宮野くんは甘い物が好きだと私は記憶している」
「ありがとうございます。頂きます」
遠慮をして口を付けずにいた栗羊羹を食べるように勧められ、宮野は木で出来ている小さなフォークで均等に切られている栗羊羹を口に運んだ。周りの生徒の様子をよく見ている小松らしい心遣いに感謝をしながら栗羊羹を味わう。
すると、小松は宮野の顔を見て優しく笑いながら食べながら目を通すで良いと言いながら、大学院進学についての書類を取り出した。
「本来ならば大学院入学試験があるのだが、宮野くんの場合私達から誘ったんだ。私が推薦書を書くという形を取ろうと思う」
「はい。医学部で学んできた一人の医学部生として嬉しく思います」
大学院の大まかな進級の仕方を纏めた書面を茶菓子を食べながら見てもいいと言った理由は、推薦というこれまた異例の進学の仕方を提案したからこそらしい。一応大学院に通うのてあれば見て欲しい程度なのだろう。
特に此方の書類に関して小松は何も言う事は無く、寧ろ自分が今までに行った研究の結果を纏めたレポートや論文を嬉しそうに読んでいる。
その様子に本当に自分が今まで医学部で学んできた事や、研究等が評価されたのだと嬉しく思った。
こうなるとあまり医学科では取る者が少ないカリキュラムも取っておいて良かったと思う。栗羊羹を食べ終えて皿をテーブルに置くと、小松はにっこりと優しい笑顔を浮かべながら自分を見た。
「宮野くん。返事は今この場で絶対にしなければいけないという訳ではない。それに古くからの友人である教育学部の七瀬くんには相談した方が宮野くんの負担にもならないだろう。だが、他の生徒への他言は避けて欲しい」
「分かりました。一旦持ち帰らせて頂きますが、自分としては大学院に通う事を前向きに検討させて頂きます。お時間取って頂きありがとうございました」
そう言うと小松の顔が明るくなった。頭を下げながら宮野小松の居る部屋を後にするが、小松は機嫌良さそうに研究室に向かって行った。
恐らく自分だけでは無く他の医学部生の研究について等も見て回るのだろう。本当に自分の上に立つ教授が小松、そして井上で良かったと思った。
宮野は小松の後ろ姿を見送った後に書類の入った封筒を抱き締めながら大学の廊下を歩く。次に向かう先は勿論教育学部だ。
教授本人が許可をしてくれている上、気にかけてくれている七瀬には早くこの書面を見せたい。それを七瀬が他の生徒に他言することなど、天と地がひっくり返っても有り得ない。
それを分かっているからこそ教授も七瀬の名前を出したのだろう。七瀬は自分を優秀だと褒めることが多いが、七瀬も七瀬でH大学の教育学部の優秀な生徒である事に代わりは無い。
いつも七瀬が医学部に来てくれる為、余り慣れない廊下を書面を抱き抱える様に持って歩く。教育学部が近づくにつれ、ガヤガヤと盛り上がっている生徒の様子に、七瀬がいつも医学部の方が落ち着くと言っていた理由が分かる気がした。
教育学部の廊下を歩いていると、男子生徒と思われる二人が自分の事を値踏みするように見た。
そういえば今日は可愛いニットを着ている上にメイクをしているんだと、宮野は書類の封筒を抱きしめながらその男子生徒の目線から逃れるように歩く。
「え、今の子見た?めちゃくちゃ可愛い」
「思った!彼氏居んのかな?ていうか教育学部にあんな子居たか?」
本当にこういう見られ方をされるのが嫌なのだが、自分の今の格好やメイクをしている少女めいた顔がそうさせてしまうのかもしれないと溜め息をついた。
東雲が今朝笑顔で真っ直ぐに言ってくれた可愛いとは全く別物だなと思う。漸くの思いで広い教育学部に着いたのたが、七瀬が何処に居るのかが分からず、きょろきょろと数多い教室を見渡した。
今思えばLINEをすれば良かったと若干後悔したが、早く七瀬に報告したい気持ちが大きすぎたのだ。道行く生徒、特に男子生徒からの好奇な目に耐えながらも教室をくまなく探すと、漸く七瀬の姿を見つける事が出来た。
七瀬を含む男子生徒三人と女子生徒三人で談笑をしている。七瀬には七瀬の都合があったと自分を責めてしまったが、七瀬はそんな事を責めるような人間ではない。
だが中々話しかけられずにいると、ふと顔を上げ此方を見た七瀬が驚いたように目を見開く。
「ちょっとごめん。席外すわ」
「え、七瀬くんどこ行くの?」
「前も何処か行っちゃったからお話ししたかったのに」
「あー悪い。急用。またな」
残念そうにする女子生徒にそうは言いつつも目もくれず、そのまま自分の元に歩いてきた。女子生徒と目が合うと、若干睨まれてしまったがきっとあの女子生徒は七瀬が好きで自分を女だと勘違いしたのだろう。
自分を取り巻くように見ていた男子生徒も、教育学部の美形で有名な七瀬が隣に立った事で舌打ちをし去っていった。中には何なんだよと言う生徒も居たが、何なんだよは此方の台詞だと溜め息をつくと七瀬に頭を撫でられる。
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