将来

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自分を抱き寄せていた七瀬の体を思い切り突き飛ばし、大声で否定をした。まさか自分に突き飛ばされるとは思っていなかったのだろう。よろめいた体をソファーに預け固まっている七瀬に、気持ちが溢れて止まらなくなる。 「病院とか薬とかだけじゃなくて、訪問看護を受けなきゃ自分は大学院に通えないの!?なんで七瀬はそう思うの!?健康で働きながら大学に通えるような七瀬には、絶対自分の気持ちは分からないよ!次に進む為にお金を払って、他人を家に呼んで話せって友達に言われる自分の辛さも気持ちも七瀬には絶対分からないよ!!!」 部屋が静寂に包まれる。人生で初めて捲し立てるように話した宮野は肩で息をした。そして、少しずつ冷静になっていく内にハッとした。 自分は七瀬になんて事を言ってしまったのだろうか 固まったまま目を見開く七瀬に、一気に罪悪感が宮野を支配した。自分を大切に思っているからこそ行動してくれた。自分を応援しているからこそ提案してくれた。 そんな大切な友人である七瀬に、気持ちがざわめいたという理由だけで大きな声で怒鳴ってしまった。 「な、七瀬……ちがう、違うの。」 涙が溢れそうになる。こんなに自分を大切に思ってくれている友人は、過去にも未来にも七瀬だけだろう。一時の感情に身を任せ、自分の嫌な気持ちを全て吐き出してしまった。言い方や、七瀬の気持ちも気遣わずに。 「七瀬、自分は─」 「よく出来ました」 「……え?」 体を起こしながら七瀬はそう言った。そのまま頭を撫でられる。訳が分からないとい困惑している自分に対し、七瀬は穏やかな笑顔を浮かべていた。 「乃愛、やっと怒れるようになったんだな」 「…怒ってなんかないよ」 「怒って良いんだぞ?嫌な事言われるのしんどいだろ。人間なんだから、喜怒哀楽があって当たり前だ。それに、今のは乃愛の本音なんだろ?」 「そ、そうだけど……」 「ならこの話はもうしない。パンフレットとかも乃愛が処分したらいい。」 立ち上がり、玄関に向かう七瀬を追いかけるように宮野はついて行った。謝りたい。そう思うが、七瀬は靴を履きながらそのまま部屋から出て行こうとする。 気持ちの整理がつかない。だが七瀬にちゃんと謝罪をしたい。そう思いながら部屋から出て行こうとする七瀬の腕を引き止めるように掴んだ。 「七瀬、あのね……」 「俺は、乃愛が本音を俺に言えるようになった事が嬉しい」 「……でも、」 「そうなったら俺が必要じゃなくなるのも時間の問題だな」 「え?どういう事?」 「そのまんまの意味。じゃあな、帰る。薬飲んで寝てゆっくり休めよ」 足早に帰って行った七瀬に、玄関で立ち尽くした。七瀬が言った言葉の意味が分からない。 必要じゃなくなる?時間の問題?一体七瀬は何が言いたいんだろうか。そう思っているとスマホの通知が鳴る。 『乃愛、ありがとう』 そう来ていたLINEにお礼を言うのはこっちだと慌てて返した。 『七瀬大きな声出してごめんね。でも、帰る時に言ってた事は何?必要じゃなくなるってどういうこと?』 いつもなら直ぐに既読がつく筈が、暫く待っても音沙汰無しだった。自分が七瀬を傷つけたのだろうか?追撃で送った方がいいのだろうか?そう考えていると、今度は東雲からLINEが来た。 『乃愛さん大丈夫ですか?言いたい事あったら俺に言ってくださいね。乃愛さんが心配です。歩いてるんで通話かけてきても全然良いですよ』 優しくて器の大きい東雲の言葉。いつもならば絶対に直ぐに既読が付く七瀬から何の連絡も無い事が自分の心を蝕み、東雲の優しさに縋りたくなってしまう。 本来ならば七瀬に何か追撃のLINEを送った方がいいと分かっていても何と送っていいのか分からない。情けない自分に嫌気が差し涙を目に浮かべながら、その言葉に甘えるように通話をかけた。 「隼人……」 『乃愛さん、大丈夫ですか?』 「…七瀬の事傷つけちゃったかもしれない」 『え?何でですか?』 「何となく…勘でそう思う」 十年の付き合いの中で初めて感情が暴走してしまった。自分でも訳が分からずに戸惑いながら東雲に通話をかけた為、上手く今あった事を説明出来ない。ただの勘で通話をかけてきたと受け取っても何の罪もない東雲が一呼吸置いて、小さく笑った。 『乃愛さんの事大好きな七瀬さんに限ってそれは無いと思います。七瀬さんは乃愛さん居なきゃ自分を保てない位乃愛さん命の人間ですよ?』 「そうなの?」 『はい。バイト先でもずっと乃愛さんの事気にかけてるんで。俺を紹介する位ですし。もし乃愛さんが仮に傷つける事言ったとしても、乃愛さんの本音なら喜ぶんじゃないですか?』 確かに七瀬は嬉しいと言っていた。だが、帰り際に感じた違和感は拭いきれない。必要なくなるのも時間の問題。その言葉が物凄く頭の中に引っかかるように残った。 そしてそう言った時の七瀬の顔をよく見れなかった。自分を応援し祝ってくれた七瀬を怒鳴り、東雲に対しては甘えている自分が気持ち悪い。 「隼人、ごめんね……せっかくお祝いしてくれたのに」 『良いんですよ。大学院決まるとか研究の内容のレベルの高さは俺も七瀬さんも知ってるというか、今日話して痛感したんで。七瀬さんが乃愛さんを責めるとか怒るとか本気で想像つかないです』 「それなら良いんだけど……」 『それより、薬飲みましたか?俺らのせいですけど、もう結構遅い時間なんで……乃愛さん休んだ方が良いと思います。無いと思いますけど、万が一七瀬さんに何かあったら俺から乃愛さんに伝えますよ』 大学で七瀬に会う機会はいくらでも作れる。だがバイト先での七瀬の様子までは分からない。それならば東雲がもし七瀬に対して違和感を感じたのであれば、自分に知らせてくれる事は有難いと思った。七瀬には自分がただ東雲と同じように気を遣わずに接して欲しいだけだ。そして訪問看護は自分には不向きだとそれだけを伝えたい。 「ありがとう……迷惑かけてごめんね……」 『全然大丈夫です。寧ろもっと頼って下さい。乃愛さん寝れそうですか?』 「うん……大丈夫」 『分かりました。おやすみなさい』 東雲との通話を切り、一旦落ち着こうとバタバタとシャワーを浴びて簡単にスキンケアをした。眠れるかどうかは正直微妙な線引きだった。だが今日宮野が感じた七瀬に対しての違和感と嫌な胸騒ぎ。これは、決して杞憂では無かったのだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 朝になり宮野はスマホを開いた。LINEの通知が二件来ている。東雲と七瀬だ。『おはようございます!今日も乃愛さんの事を考えながら頑張ります!』といつも通りのLINEが来ていた。昨日の一連のことから、まず七瀬に返事を返そうとLINEを開く。嫌に手が震えたが、内容はあっけらかんとした物だった。 『悪い。帰って風呂入って即効寝てた。昨日は疲れてたから変な事言って悪かったな』 いつも通りの七瀬だ。感じた違和感は自分の思い過ごしだったのだろうか。直ぐに七瀬に、『昨日はありがとう。楽しかったよ』と送ると、直ぐに既読がつく。『乃愛の為に準備したから良かった』そう返ってきて、宮野は胸を撫で下ろした。 もしかして自分が考え過ぎていたのだろうか?今思えば、自分への料理を全て用意してくれたのは七瀬だ。大学とバイトを両立しながらも、自分の為にと行動してくれたのだ。疲れていたのも無理はない。 心配をかけてしまったであろう東雲にもLINEをする。『隼人おはよう。七瀬いつも通りだったから大丈夫みたい。気を遣わせてごめんね』そう送り、自分の中で大きな安心感が芽生えた。これなら安心して大学に通う事が出来る。 いつも通りの朝のルーティーンをこなし、作り置きのおかずを弁当箱に入れ、宮野は深く考えること無くそのまま大学に向かった。 大学が終わり、以前東雲と二人で出かける時に立ち寄った紅茶の専門店に寄った。老夫婦が営むこの専門店は店外も店内も可愛らしく、宮野にとってはここに来る事が月に一度の楽しみになっていた。通うにつれて紅茶の知識も増え、自分好みに淹れる事が出来るようになった位だ。店内に入ると、店主である老夫婦が自分を見るなり笑顔を見せた。 「乃愛くんいらっしゃい。いつもありがとう」 「こちらこそいつも祖母がお世話になってます」 大学院が決まったと祖母に報告してからというもの、十万のアマギフどころか、お祝いと称して様々な物が送られてきた。欲しかったが高くて買えなかった海外の化粧品や、冬に向けてと自分好みのオーバーサイズの服が送られてきた。 時計も送られてきたが、箱を見ただけで高価な物だと分かった為敢えて手を付ける事は出来ていない。今回買おうとしている紅茶も、支払いは済ませてあると祖母からメッセージが届いていた。 つまり今日はただ、紅茶を受け取るだけだ。年配の女性から紅茶を受け取っていると、後ろでタブレットを見ていた夫である男性がやっぱりダメだと溜め息をついた。 「貴方ね、こんなに沢山の種類の紅茶の知識があって、最低賃金で納得してくれる若い子なんて来る訳ないわよ」 「え?なんの話しですか?」 珍しく困った様子の老夫婦に宮野はそう聞くと、店主の女性が困ったように笑って自分を見る。 「土日だけでもカフェをやらないかって思ってるのよ。このお店の奥はただのスペースになってるから。だからアルバイトでも雇おうかと思ったんだけど、全く応募が来ないのよ」 紅茶の知識があり、若くて、最低賃金に納得し、土日だけの出勤が出来る人間。確かに難しい応募条件ではあるが、宮野にとっては一歩踏み出すきっかけになった。 「あの……それ、自分がやりたいって言ったらバイトさせて貰えますか?」
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