イエスタデイ

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中学に入学すると、小学校とは比べ物にならないくらいの人数が学年に存在した。約二百人程度の学年の中、七瀬は自分の名前の書かれているクラスに一人で向かった。 教室に入ると一人の男子生徒が丸まったように座っていた。小さくて俯いている為顔は見えなかったが、普通では無い事は直ぐに察する事が出来た。 「あの子、親居ないんだって。」 「え?お父さんとお母さんもどっちも居ないの?」 「小学校もほとんど通ってないって。」 その男子生徒が一体何をしたのか、何があったのかは分からない。だが、遠くから取り巻くように噂話をするようなクラスメイト達に、七瀬は心底腹が立った。 だから敢えてその生徒に近づいた。周りの視線が一気に自分とその男子生徒に集まった事を分かった上でその男子生徒に声をかけた。 「なあ。お前さ、この状況を何とも思わねえの?情けないだろ」 一瞬で教室の空気が凍りついた。辞めろと言わんばかりのクラスメイト達には達観している所があった。言いたい事があるなら、本人に直接言えばいい。 そうやってヒソヒソと話している方が余程酷な話だと思ったし、イジメとやっている事は変わらないと思った。 自分の発言にこの男子生徒は何と返すだろうか。泣くのだろうか、怒るのだろうか。ゆっくりと顔を上げた男子生徒が自分の目を見る。そして満面の笑顔を浮かべて発言した。 「自分も、そう思うよ」 その発言と表情に自分の本質的な部分の何かを強く刺激された。 女なのか男なのか、制服を着ていなければ分からないような肌が白くて小さな存在が、酷く儚くそして自分と近しい物があると思った。 「俺、七瀬拓人っていうんだけど。お前の名前は?」 「……乃愛…宮野乃愛」 これが七瀬と宮野の出会いだった。 宮野は周りが学校に行っていないとか親が居ないとか言われていたが、行動からもそれは見て取れた。直ぐに何かを落としたり、動きが少し鈍臭かった。 だが、七瀬はそんな宮野に付き合い、自然と二人で一緒に居ることになった。移動教室などで遅れたとしても、教師が七瀬と宮野を咎める事は無かった。それは宮野の何かしらの事情を知っているからだろう。 「七瀬くん。ごめんね、また移動教室遅れちゃって」 「慣れてないなら仕方無いだろ。ていうか、七瀬で良い。呼び捨てで良い。同い年だし男同士なんだから」 「……うん。七瀬、ありがとう」 「じゃあ、俺はお前じゃなくて乃愛って呼ぶわ」 そう言うと宮野は嬉しそうな笑顔を見せた。その表情は誰が見ても可愛いと思えるような表情だった。 少し色素の薄いサラサラとした髪も、陶器のような白い肌も、薄い桃色の唇も、本当に可愛い見た目だと、あまり外見に興味が無い七瀬ですら思った。 それは他の生徒達も同じだったらしい。遠巻きだったクラスメイト達が宮野と話したそうにしている様子を見て、何かきっかけがあれば良いのにと宮野には言わずとも内心思っていた。 そのきっかけは突然現れる。 中学一年の体育の授業。体力測定の時だった。鈍臭い宮野は大丈夫かと心配したが、五十メートル走の時にそのきっかけが訪れる。 教師の笛の音と共に走り出した宮野は、見た目や普段の様子から想像つかない位に足が速かった。 周りのスポーツが得意そうな男子生徒をするりと抜かし、一着でゴールした宮野の元に駆け寄る。 「乃愛、大丈夫か?」 肩で息をしている宮野の元に七瀬が行くと、興奮気味の男子生徒達が宮野と七瀬の元に走り寄ってきた。 「宮野めちゃくちゃ足はえー!」 「絶対転んだりするかと思って冷や冷やしてたんだよ」 「運動得意なの?」 これがきっかけと言わずに何がきっかけになるだろう。チャンスだと思い、宮野の肩を抱き寄せ周りの男子生徒と話した。 「お前らも普通に乃愛って呼べば?確かに鈍臭い所あるけど、普通に一緒に居たら楽しいぞ?」 「そうなの?ていうか七瀬、お前も足速いよな」 「乃愛も七瀬も正直ヤバい奴だと思ってたけど、案外話やすいのな」 「まあ、俺も乃愛も第一印象は最悪だったからな」 砕けたように言うと、周りが爆笑する。ずっと気を使って言えなかったのだろう。 何故そんなに足が速いのかと周りが聞くと、笑顔で宮野は散歩するのが好きだったからだと答えた。宮野はふざけるタイプではない。 だからこそ周りはツボに入る。どんな散歩してたらそんなに足が速くなるんだと、クラスメイト達と笑い合った。 次に行われた握力テストで、宮野への期待が高まる。小さな手で一生懸命測定器を握った宮野の数値を全員で確認した。 「七瀬、乃愛の握力なんぼ?」 「右が十八で左が十六」 「嘘だよ!そんなに弱い訳ないもん!その測定器壊れてるよ!」 自分はもっと出来るんだと言い張る宮野。そんな宮野を見て周りの男子生徒が可愛い可愛いと持て囃した。 「嘘じゃねえって。俺は四十超えたし。乃愛の数値は俺が記載しておくから」 「え!?やめて七瀬、恥ずかしいからやめて!」 体育館中が爆笑で包み込まれる。 可愛くて鈍臭いのに足が速い弄りがいのある宮野と、それを支えるように話す美形の七瀬がクラスの人気者になるのに早々時間はかからなかった。 「七瀬ー乃愛ーおはよ!」 「おはよ」 「お前ら何してんの?」 「小テストに向けて教科書読んでおけって」 「そういう事を当日に言うなよな。乃愛もそう思うだろ?」 「う、うん。ドッキリみたいで嫌だよね」 宮野の発言はどこかズレている。こいつは天然なのかバカなのかと呆れる七瀬を見て、クラス中は常に笑顔で包まれていた。 徐々に学校生活に慣れていくと、宮野が最初は苦戦していた移動教室もスムーズに出来るようになっていった。 部活には入らずに勉強をする自分と同じく、宮野も部活には入らなかった。 一番手がかかると思われていた宮野が居るクラスが、イジメ等も無く一番平和なクラスになった事は、教師達からしてみると驚きの事実だったらしい。 それが七瀬くんのお陰だと教師に褒められてから、七瀬は宮野を喜ばせてあげたいと思うようになった。 小学校に上手く通えなかったのであれば、中学で挽回すれば良いのだ。体育祭や学校祭で宮野を目立たせれば自然と盛り上がる。 それに宮野に沢山の友達が出来る。本来宮野は沢山の人に愛されるべき存在なんだと、テスト勉強をしながらそんな事を考えていた。 中学初めての学力テスト。余りテストに良い思い出が無い七瀬だったが、勉強自体は好きな為帰宅してからは毎日夕飯まで勉強をしていた。 両親との接触は出来るだけ控え、その穴を埋めるべく勉強をした。 小学校とはレベルが違う中学のテスト。返却された時、五教科の合計が四百八十点とかなりの高得点だった為、個人的に満足した。 そして学年では一位だろうと勝手に思っていた。 何が虐めに発展するか分からないと、順位は各々担任に聞きに行くというシステムだった。分かりきった事だが、念の為七瀬も順位を聞きに行った。 「次は、七瀬か。お前レベル高いな。相当勉強しただろう?」 「まあ。そうですね」 「うん、この点数で二位なんて中々今年はレベルが高いな。教師歴の中でトップだ」 ……は?二位? この教師は何を言っているんだ。自分が二位な訳無いだろう。だが、嬉々としている教師の様子から本当に自分より上の人間が一人だけ居るらしい。呆然としていると、教師がきょとんとした顔をする。 「あんなに仲良いのに聞いてないのか?」 「何がですか?」 「い、いや。聞いてないなら別にそれでいい。七瀬、この点数を三年維持出来たらそれなりの高校に通えるぞ。頑張れ」 あんなに仲良いのに──── その言葉で浮かんだ人物にまさかと思った。走って教室に行くと、自分を待っている宮野が席に座っていた。 「七瀬!」 最初はあまり表情が無かった宮野が、自分を見る度に嬉しそうにするのは何時からだろう。だが、今はそれよりも宮野に聞きたい事があった。 「乃愛。今回のテストの点数と順位教えて」 そう言うと宮野は笑ってテスト用紙を自分に見せた。国語数学理科社会英語。五教科全て満点だった。驚きのあまりに言葉は出なかった。だが直ぐに我に返り、宮野に詰め寄るように問う。 「乃愛はどうやって勉強してるんだ?」 「うーん。教科書見ながら自分なりにノート作ってるよ。後は復習と予習を毎日してる」 「そのノート、俺に見せて欲しい」 「え?全然いいよ?」 宮野から手渡されたノートを受け取り、ペラペラと捲りながら初めての経験をした。どんなに大金を積もうが、どんなに努力しようが届かない位のレベルのノート。 本当の天才をこの目で初めて見た。 悔しさが全く無い訳ではないが、宮野のレベルまで自分が行くことが出来れば何処の高校にも行けると確信した。だからこそ、宮野の肩を掴んで懇願するように約束をした。 「乃愛、一緒に将来H大学に行こう」 「七瀬?」 「乃愛と一緒に勉強がしたい。それに高校もトップの所に行きたい。乃愛と一緒に南高に通いたい」 北海道で一番レベルの高い大学や高校の名前を出しても、宮野が驚いたりする様子は無かった。寧ろ逆に嬉しそうに笑い、小さな手のひらで自分の手を握りながら頷いた。 「自分も七瀬と同じ高校行きたい!南高行っても一緒に居てくれる?」 「当たり前だろ。でも体育祭とか学祭は乃愛も楽しめよ。」 「そうだね。でも、自分は七瀬が居てくれればそれでいいよ?」 「もっと望めよ。今度の体育祭、リレーあるだろ?アンカー乃愛がやったらいい。俺がバトン渡すから思いっきり走れ」 宮野にノートを返す時、折角の機会だからと七瀬は自分のメールアドレスと電話番号を宮野のノートの端に書いて渡した。 「一緒に勉強するだろ?」 「う、うん!七瀬、ごめんね。自分携帯持ってなくて……おばあちゃんは買った方が良いって言ってるんだけど、あったら便利?」 「便利以外の言葉が見つからない位便利だぞ」 「でも、機種とか分からなくて……おばあちゃんはとにかく最新の物が良いって言うんだけど、そうなの?」 「あー。機種はな。料金プランは色々あるから、買うならちゃんと話し合って買えよ」 「一番最初に、七瀬のアドレスを登録したいな」 ノートを抱き締めながら宮野が笑う。可愛い顔でふんわりと純粋無垢な笑顔を見せる。そんな宮野の頭を撫でると、宮野に対して今までに無い感情が芽生えてきた。 絶対に、宮野の学校生活を自分が充実させようと強く強く思った。 体育祭では宮野がアンカーを担当し、クラス一位になった。七瀬がバトンを渡した時は二位で、一位とだいぶ距離があったのにも関わらず宮野か追い抜かして一位になった。その活躍ぶりに学校中が歓声を上げて盛り上がった。 学校祭では男子生徒全員でダンスを踊った。そのセンターを宮野にやらせた。 うさぎが跳ねるようにぴょこぴょこ踊る姿が可愛いと、男子生徒達が乃愛とコールを打ちながらブレードを振っていた。 色々な行事がある度に、宮野は『七瀬が居たらそれでいいのに』と、遠慮していたが宮野の存在はもう学校では欠かせない物になっていた。 何度もテストがあったがその度に満点を取る宮野は、やはり天才だと思った。自分は常に二位だ。宮野が居る限り二位だが、それはそれでいいと思った。 携帯電話もかけ放題プランに変更し、毎日携帯で宮野と話しながら勉強をした。休日は図書館に行って、宮野から勉強を教わった。 そんな学校生活を二年間送っていたからこそ、あんな事件が起こると思わなかった。
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