イエスタデイ

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「七瀬!七瀬!」 放課後、トイレの帰りにクラスメイトの一人が血相を変えて走ってきた。 何だ。何があったんだ。思わず身構えると、そのクラスメイトは顔を真っ青にして震えながら言った。 「乃愛が、呼吸出来なくなって倒れた」 「は?」 「ほら、乃愛ってAVとか見ないだろ?ふざけて見せたんだよ。そしたら急に様子が変わって……」 「乃愛どこにいる?!」 全速力で走って教室まで戻った。そして宮野の姿に絶句する。ヒューヒューと喉が詰まったように、必死に息をしている。目から涙がボロボロと流れている。 「乃愛!」 「七瀬……俺らこうなると思わなかったんだよ、ふざけて少し服脱がしたりして、こいつが持ってたAV見せただけなんだよ……」 「言ってる場合か!誰でもいいから先生呼んでこい!乃愛?苦しいのか?大丈夫か?」 何が宮野をこうさせたのかは分からない。だが、今にも息が止まりそうな位の呼吸の仕方に七瀬の手も震えた。 「な、なせ……くすり、とって……っ」 「どこにある?リュックの中か?」 宮野のリュックを開けると、おぞましい程の量の薬が入っていた。どれが正しい薬なのか分からず、リュックのまま差し出すと宮野が1つの液体タイプの薬を手に取った。そしてその薬を震えた手で開け飲み干し、完全に意識を失う。 「乃愛……?乃愛!」 「七瀬くん!救急車来たから!宮野くんの傍から離れて!あなた達も今日は帰りなさい!」 焦る教師と焦るクラスメイト。何が何だか分からない自分。呆然と緊急隊員に運ばれていく宮野のその姿を見送った。 親が居ない事、学校に通えて居なかった事。この薬が関係しているのだろうか。一人の緊急隊員が自分の肩を叩いた。 「大丈夫。お友達は必ず無事だから」 その夜、七瀬の携帯に宮野の携帯から無事の知らせが届いた。だが、その知らせから一気に世界が反転した。 当たり前のように宮野が居た筈の教室に、空席が一つ出来た。隣で笑っていた宮野は保健室登校という形で通学する事になった。 担任からはプリント等は七瀬くんが持って行ってあげて欲しいと言われたが、当然の事だと毎日朝と放課後に保健室に通った。 そんな様子に最初は心配していたクラスメイトが変わっていく。 「なあ、乃愛と七瀬って付き合ってんの?」 「毎日通う必要ある?」 「乃愛可愛いし、七瀬も頼られて満更でも無いんじゃね?」 思い切り怒鳴りつけ、ぶん殴りたくなる衝動を抑えるのに必死だった。お前らが余計な事をしたからだぞと言ってやりたい。宮野への謝罪も無しに、馬鹿みたいに大声で笑うクラスメイトには嫌気が差した。 だが、七瀬にも我慢の限界があった。宮野の為にプリントを持って行こうと保健室に向かおうとすると、帰り支度をしていたクラスメイトから七瀬と呼ばれた。 「……何?」 「また可愛い乃愛ちゃんの所に行くのか?」 爆笑するクラスメイトの中心に立っていた、宮野の服を脱がしAVを見せたという男の胸ぐらを掴む。手はだしてはいけない。もし殴ったら全て自分が悪くなる。だから、敢えて言葉でクラスメイトに対抗した。 「お前ら毎日楽しそうにしてるけど、本気で大切にしたいと思う友達は出来た事ねえのかよ」 「あ?」 「まあそうだよな。一人のクラスメイトが死にそうになっても笑っていられる神経の図太さなら、そんな友達願ったところで出来ないよな」 挑発するように言うと一人の男子生徒に思い切り突き飛ばされる。七瀬が床に倒れると同時に、髪の毛を掴みニヤニヤとした笑みを浮かべた。 「こっちはさ、七瀬を心配してやってんだよ。乃愛の飲んでる薬の量見ただろ?いかれてんだよあいつ」 「ズレた発言とかしてたし、何かしら引っかかる可能性はあるんじゃねえの?」 「今じゃ学生でも簡単にクスリは手に入れること出来るし、乃愛の見た目ならその辺のゲイのおっさん釣る位出来るだろ」 クラスメイトは吐き捨てるように七瀬にそう言い、七瀬の顔を傷が付かない程度の絶妙な力加減で床に叩きつけた。歯を食いしばった七瀬が地を這うような声で言う。 「絶対そんな事、乃愛の前で言うなよ…代わりに俺には何言っても何してもいい」 「分かった。その言葉通りにさせて貰うわ。せいぜい可愛くて仕方ない乃愛ちゃんを、抱きしめてあげたらいいと思うぜ」 その言葉にハッとして立ち上がると、教室の前に宮野が立っていた。笑いながら帰路についたクラスメイト達。だが、そんなことはどうでも良かった。 「乃愛……聞いてたのか?」 宮野は小さく首を縦に振る。俯いたままの宮野に近づくと、宮野は泣いていた。大きな目からボロボロと大きな涙が溢れて止まらない。 「ななせ……ごめんね。自分のせいで、七瀬が酷いことされてたなんて、知らなかった…」 「乃愛は何も悪くない。保健室に戻ろう。俺なら大丈夫だから。こうなったのも初めての事じゃない。小学校でも同じようなことがあった。だけど、今は乃愛が居る。だから大丈夫だ」 こんなに純粋で、性格が良くて、友達想いの宮野が学校に通えなくなった事に怒りを覚える。結局クラスメイトは自分達が都合が悪くなると、こうして簡単に弱者を貶めるのだ。 保健室のベッドに宮野を寝かせる。すると、宮野が七瀬の手を握った。 「学校、一緒の所には行けないね。南高、行きたかったな」 「……俺だって乃愛と一緒に行きたかった。それに俺一人で南高は無理だ。乃愛と勉強してたからずっと成績が良かっただけだ」 「七瀬なら大丈夫だよ。だから、頑張って」 天才である宮野は、出る杭は打たれる如くあっさりと潰された。その事実が七瀬の心を傷つけた。 受験という名目で焦りを感じる三年、宮野の体調が崩れる度に七瀬の成績も転がる様に落ちて行った。 行けた所で資格を取れる私立が限界。公立の南高なんて絶対に無理な成績だ。宮野は点数だけで言うと一位に変わりは無かったが、授業に出ていない分内申点という壁が邪魔をし成績が下がっていく。 落ちていく自分と宮野の成績は人生とも喩えられると思った。 こんな状態で出来ることは宮野の為にとプリントを届ける事だけだ。何時もより少し遅くなってしまったが、放課後にプリントを持って歩く。 この時に、七瀬の人生が変わる事が起きた 「宮野くん本当に可哀想ですよね…」 職員室から聞こえてきた宮野の名前に足を止めた。この時に足を止めなければ七瀬の人生は違ったのかもしれない。 だが、運命というしがらみが七瀬を縛り付けるようにそこに立ち止まらせたのだ。 「あまり目立ちたくないって思いながらも言えなかったんでしょう?七瀬くんに」 思いもしなかった自分の名前に七瀬の体が固まった。何故自分の名前が出てくるのかと、教師の話し声に聞き耳を立てる。 「宮野くんはずっと七瀬くんと二人で居たかったらしいからな」 「それを七瀬くんがあんなに目立たせるから…」 「精神科に通うまで追い詰めるような事するのもどうかと思うわよ。宮野くん程の優秀な生徒見たこと無いもの」 精神科。そう聞いて宮野のリュックに入っていたおぞましい量の薬を思い出す。プリントを持つ手が震える。これ以上聞くなと警報が鳴るが、足が竦んで動けない。 「七瀬くんが居なかったら宮野くんは南高なんて余裕だったのになあ」 「こうなったら高校の進学も無理だろう。元々親御さんも居ないのに」 「七瀬くんのせいであんなに薬を飲むことになるなら、宮野くんに距離を置くように私から言うべきだった」 『七瀬くんのせいで』その言葉が頭の中で反響した。 てっきり自分は、クラスメイト達からの嫌がらせのせいで宮野が体調を崩したのかと思っていた。あの件がきっかけで宮野がおかしくなったと思っていた。 だが、それは自分の都合のいい解釈だった。 自分が余計な事をしたせいで、宮野を精神科に通わせる事になってしまったのだ。 フラフラとした体で水飲み場に行き、その場に倒れ込んだ。そして普段涙を流すことない自分の目から、止まること無く涙が溢れ出てきた。放課後の誰も居ない場所でしゃっくりを上げながら涙を流し続けた。 全て自分のせいだった。宮野を壊してしまったのも、宮野の将来を閉ざしてしまったのも全部自分だったのだ。 暫く涙を流した後に、プリントを持って保健室に行く。ベッドを覗くと血の気のない顔色で眠っている宮野が居た。そんな宮野の頬をそっと撫でる。 そこで自分の人生において、誓いを立てた。 「乃愛…俺がずっと側にいる。何があっても、乃愛に嫌われても……絶対に俺が乃愛が幸せになるまで傍にいる。絶対、約束する。」 自分が泣いている場合では無い。涙を制服の裾で拭い、七瀬が眠っている宮野の横で覚悟を決めた瞬間だった。
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