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薬局を出てくる時の宮野は毎回虚ろな目をしている。その顔を敢えて立ってこの目で見る事が、自分への戒めでもあった。だが、宮野は自分の姿を見る度に目を輝かせる。
「七瀬!」
「乃愛お疲れ。LINE気付いてないだろうと思って迎えに来た」
「七瀬、毎月毎月本当にありがとう」
「俺が好きでやってるだけだから気にすんな。ほら、さっさと乗れ」
可愛くて可愛くて仕方がない。大学に入学してから色々な生徒と関わる内に余計そう思うようになった。
顔も可愛い上に、料理も出来て純粋な宮野は自分が守る。宮野を幸せに出来るような相手を自分が見つけたい。乃愛飯とかいうグループLINEが出来てからもそう思う気持ちが大きくなった。
「喉乾いただろ?乃愛が好きそうなの見つけたから買っといた。」
「飲んでいい?」
「当たり前だろ。乃愛の為に買ったんだからな」
飲み物一つなんてタダみたいな物だ。だが、そんな小さな幸せを噛み締めるように口にする宮野が愛おしくて仕方がない。他人にこんな感情を抱くのは初めての事だった。
「病院はいつも通り?」
「うん。先月と同じ。違うところ探す方が難しいかも。間違い探しみたいになっちゃう。」
「そんなネガティブな間違い探しは嫌だな」
少し天然な宮野の発言はさて置き、自分のスマホの通知が鳴った。同じバイト先の東雲隼人からのLINEだった。
『宮野さんが好きそうな物を買ったので早く会いたいです』
ポジティブで馬鹿だが性格の良さだけは誰にも負けないような男だ。こいつなら宮野を幸せと思える人間にしてくれるのだろうか。
一パーセントも無いような可能性に賭けて、七瀬と宮野と共通の友人の綾瀬蘭と撮った三人の写真を送った。可愛いのが乃愛だと、雑貨を夢中になって見ている宮野の後ろで東雲にLINEを送った。
すると直ぐに返事が返ってくる。
『直ぐに会わせて下さい!』
可愛い宮野の顔に惚れたのか、ただ会いたいのかは分からないが宮野と東雲を自分を通して会わせた。だが医学部で学ぶ宮野と、バスケをし鍛えている東雲は自分の想像を遥かに超える相性の良さだった。
仲良くなったのは良い事だと思ったが、毎日LINEをする程になるとは思わなかった。それに一緒に出かけたり、病院に東雲が付き添うなんて事は想像もしていなかった。ましてや宮野から東雲に泊まっていってと頼む日が来るなど予想が出来るはずも無かった。
嬉しい気持ちになる筈なのに気持ちにモヤがかかる。そんな時に決まった宮野の大学院への進級が、七瀬の心を揺らがせた。
自分と東雲のバイト先に呼んでお祝いすると東雲が言い出したのだ。七瀬自身もお祝いはしたかった為予め準備をし、宮野を呼んだ。接客をしながら個室を片付け、待たせている宮野を呼ぼうとした時だった。
「隼人!」
満面の笑顔で宮野は東雲の名前を呼んだ。反射的に隠れるようにキッチンに逃げ込んだ。その笑顔は自分が何年もかけて引き出した宮野の一番の笑顔だった。自分にだけ向けられていた筈の笑顔。それを出会って数ヶ月の東雲に出し惜しみなく向けていた。
心の中にあったモヤがどんどん広がっていく。楽しそうに二人で薬品がウーバーイーツだとか話している間も、そのモヤが消える事は無かった。
何故、宮野が幸せなのにこんなに自分は苦しいのだろうか。
いつも通り宮野を家に送り届け、宮野の為にと思って勧めた訪問看護で宮野が自分に初めての感情をぶつけてきた。
『健康で働きながら大学に通っている七瀬に、自分の気持ちなんて分からないよ!』
その通りだ。自分が宮野の体も心もめちゃくちゃにしたのだから怒られて当然なのだ。だが、内心それを完全に受け止めることは出来なかった。
身の丈にあったワンルームの自宅のリビングで煙草を吸いながら、宮野を想った。
思うのではなく、想ったのだ。
可愛らしい顔、優秀な成績、美味しい料理、純粋な優しい性格。そんな宮野の事を頭の中で思い浮かべると、宮野は目に涙を浮かべながら自分の体に抱き着いてきた。
『七瀬……っ』
見た事も無い宮野の華奢な体を自分が抱き締めている。
『っあ、んんっ……きもち、い……』
足を広げて自分の事を受け止めながら、ビクビクと体を痙攣させる。
『すきだよ……っ、七瀬がすきっ』
宮野の唇にキスをすると宮野は顔を赤くしながら、自分の想像の中で自分に好きだと言った。
絶対に宮野がしない表情を自分は無意識の内に想像してしまった。そこで漸く気持ちにかかっていたモヤの正体に気がついた。
雨上がりの虹のような眩しい宮野の笑顔を思い浮かべ、想像してしまった宮野とのセックスをかき消そうとした。
空になった煙草の箱を握り潰す。もう手遅れな事を分かっているからこそ目から涙が零れた。
「乃愛……好きだ…好き、好きなんだ……」
一度自覚してしまった気持ちに嘘は付けない。いつからだ。いつから自分は宮野を想っていたのだろうか。記憶を逡巡させると、そこには小さな丸まった体の幼い宮野が存在した。
─────俺、七瀬拓人っていうんだけど。お前の名前は?
「乃愛、……みや、の、……の、あ……」
出会った時から既に、とっくに心は奪われていた。だが自分は知っている。宮野が東雲に好意を寄せている事も、東雲が宮野に好意を寄せている事も。
震える手で煙草をつけ、煙を吸うが不味くて吸えたものじゃなかった。
これから東雲と宮野が付き合うのは時間の問題だろう。そうなると、宮野の可愛らしい顔は全て東雲の物になる。あの華奢な体を抱き締めるのも、柔らかそうな唇にキスをするのも、自分が知る事は無い宮野の喘ぐ姿も。
心のどこかで宮野は自分の物だと達観していたのだろう。そして、自分の恋人にすると勝手に決めつけていたのだろう。自分が宮野を好きになる権利など、ある訳がないのに。
自分自身に嫌気が差し、ポケットを探ると一枚の紙が出てきた。確か大学で女子生徒に貰ったLINEのIDだ。
絶対にこんな事をしても幸せにはなれない。だが、穴の空いた気持ちを手っ取り早く埋めたかった。
女子生徒に連絡先を貰う事は昔からよくあったが、全て処分していた。それは宮野が隣に居たから必要が無かっただけの話だ。
LINEのID検索で女子生徒を友達追加し、そのまま通話をかけると女子生徒が通話に出た。
「あー。俺。教育学部の七瀬なんだけど、すげえ寂しくなってさ。人肌恋しいんだよね。だから俺の家で二人っきりで過ごさない?」
戸惑いながらも恥じらう女子生徒の名前すら知らない。それにこんな事をしている自分を宮野が知ったらどう思うだろうか。払拭したくてもしきれない宮野の存在を初めて忘れたいと思った。
「俺の言ってる意味が分かるなら、今から住所送るから来てくれない?」
後悔する。辞めておけ。誰も幸せにならない。傷つくだけだ。全て分かっているのに自分は行動をしてしまった。
十年間想い続けた相手への恋心に気付いた時、そこで失恋は確定していた。
苛立ちと溢れる想いを止めることは出来ず、家に来た名前も知らない女子生徒と体を重ねてしまった。
今まで大切に積み上げてきた七瀬の全てを崩し、壊してしまった瞬間だった。
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