喝采

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 俺には歌だけだった。  頭も良くない、運動神経もポンコツ。容姿もそこそこ。ライブで体力を使うからと、必死に筋トレをしても中々筋肉はつかなかった。話もそんなに面白くない。他のバンドメンバーの方が人気がある。  けど、俺には歌える場所さえあれば、何でもよかった。歌っている時だけ、俺という人間は、藤堂 解(とうどう さとる)は生きている。  ここでひとつ事実を述べよう。  突然だが、俺は死んだ。 「さとる〜、また散らかしてんの。ホント解は俺がいないとダメだね〜」 勿論、生命体としてはきちんと活動している。要は、心が死んだのだ。 「空気の入れ替えしま〜す。今日も良い天気だよ〜」 この人ん家をうろうろしている男はバンドメンバーでギター担当 橋本 尊(はしもと みこと)だ。さらさらとした金髪に、優しげな甘いマスク。高身長で、ほどよく筋肉もついている。モテる為に生まれてきたと言っても過言ではない。実際死ぬほどモテる。  そんな男が、今や屍の世話をしている。哀れだ。さっさと帰れ。 「ねぇ、解。カップラーメンばっかり食べてたら栄養偏るって、俺に散々言ってた奴誰だっけ」 テーブルの上に積み上げられたカップラーメンのゴミを速やかに回収していく尊。たぶん、こいつはゴミ処理場でもスターになるのだろうな。 「そいつは死んだ」 「歌えなくなったなら、また歌えるように努力したら良いんじゃないの」 この会話何回目だろう。いい加減諦めて欲しい。 敷き布団と同化している俺の元に、ふわりと尊の香水の香りが近づいた。奴が俺のぽよぽよになった腹をぺちぺち叩く。波打つ贅肉が不快だ。やめなさい、それは程よい太鼓ではないぞ。 「簡単に言うな。全部試した。でも、歌えなかった」 「なら、もう一度全部試せば良い」 ぺちぺち。 「はあ? またあの地獄を味わえって?」 「そう。歌えるようになるまで、ずっと」 ぺちぺち。 「お前、悪魔かよ。……他のバンド誘われてるんだろ。早くそっち行けよ。お前のギターの腕なら、どこでだってやっていけるだろ」 「解が隣にいないと、やだ」 ぺちぺち。 「おまっ、くそっ! いい加減腹叩くのやめろ!」 「お〜! 大きな声出たじゃんっ。その調子で歌ってみよっか!」 「うるせぇええ!! 帰れぇええ!!! イケメンは滅べぇええ!!」 「最後の俺、関係なくない?」 「無自覚イケメン呪われろっ!!」 尊を追い出そうと体当たりで身体を押すが、こいつはびくともしない。筋肉!! 筋肉の力すごいっっ!!!  逆に、何故か包み込むように抱き締められてしまった。暴れてみるが、筋肉の力で押さえ込まれてしまう。憎い、筋肉。 「そろそろ聴きたいなぁ、解の歌声。俺、好きなんだ。大好き」 「……俺だって……」 俺だって歌いてぇよ。 という言葉は、胸が痛すぎて出なかった。ていうか、物理的に胸部圧迫されて痛いんだが。離せ、こら。 「もういいよ」  ある日、俺は歌えなくなった。 人気絶頂の4人組バンド『ラ・クール』 あるテレビの音楽番組に出演させていただいたことで、人気に火がつき、瞬く間にトップバンドのレールに乗り上げた。よくある話だ。ボーカルの俺は歌しか脳のない男だが、ギターの尊は華があり、ベースの翼(つばさ)はトークが上手くて、リーダーでドラムの信(しん)は皆をうまくまとめてくれていた。 皆良い奴等だったから、余計に苦しかった。 何の前触れもなく、俺の世界から歌が消えた。何かの病気か、精神的ストレスか。毎日身体の検査をしたけれど、原因はわからなかった。箸の持ち方を忘れたかのように、歌い方を忘れた。 最初は、なんとかなる、いずれ治ると楽観的だった周囲の人たちも、全く好転しない俺の様子にどんどん失望していった。ぽっと出のバンドなんて、活動していなければすぐに飽きられる。ボーカルの喉の不調により、無期限の活動休止。最悪の事態だった。 そして、歌を失った藤堂解に価値などない。わかりやすく自暴自棄になった俺は、頭を丸坊主にし、眉毛も全て剃り、食事を絶った。苦しんでお詫びに消えてなくなりたかった。俺はみんなの夢を摘んだ。みんなの職を奪った。これからの人生をダメにさせてしまった。何も償えない。歌がなければ生きていけない。 まさに、棺桶に片足を突っ込んだ時、悪魔に助けられてしまった。言わずもがな、尊である。 ずかずかと部屋に乗り込んで、匂いだけで腹の空くファーストフードをしこたま買ってきていた。久しぶりの食事にそんな重たいもの食えるかと、考えなくもないが、食欲を唆るには効果的だった。 尊は芋虫になってしまった俺に馬乗りになり、胸ぐらを掴んできた。視界いっぱいに美しい尊の顔面を押し付けられる。美の暴力だ。 「解、勝手に終わらせるな。楽になんてさせない。お前が死んだら俺も死ぬと思え。良いな? 道連れだぞ。解に人の命、奪える? 嘘だと思ったらやってみようか。地獄で会えるだけだから。俺が一度やると決めたら絶対やる男だって知ってるよね? 苦しくても、情けなくても、足掻いていけばいい。歌が好きなんでしょ? それしかないと思ってるんでしょ? だったら、取り返せ。俺は解の歌声が消されてから、一度も諦めてないよ」 あいつ、真顔で喋るの。一気に喋るの。めちゃくちゃこわかった。 きっと俺が勝手に息を引き取っても、尊が追いかけてきて地獄でも歌えって迫ってくるだろう。だったら、もう少し生きないと。こいつのファンに申し訳ない。 そうやって強制的に生かされて、飯を食えと与えられたら、食べる癖がついてしまった。1日の大半を布団の中で過ごすので、見事にむっちむちに太った。人生で初めての贅肉の重みを体感している。あったかいねぇ。  季節は巡り、ニート生活も板についてきた頃。 「あれ」 それまでゆるゆるだったパーカーが破ける寸前になっていた。俺の肉がついに服を突き抜けようとしていたのだ。由々しき事態である。仕方なく秋の色が濃くなった街に繰り出した。安さが売りの服屋で、初めて3Lというサイズの服を調達する。着心地最高。用が済んだら、さっさと帰る。人ごみを避けながら駅に向かっていると、聴き馴染みのあるフレーズが入ってきた。 「俺たちの曲……」 ギター一本での路上ライブ。ひとりの男が懸命に歌を響かせていた。 赤髪をツンツンと尖らせ、耳にはえげつないほどのピアスが輝いている。なんかわからんゴテゴテのドギツイTシャツに、原形が消え去りそうなほど破れたダメージジーンズ。サンダルから覗く足の爪は全部黒く塗られていた。 それなのに、抱えているギターは素朴な色合いだ。随分使い込まれていることがわかる。歌声も心穏やかになれる澄んだ音だ。混じり気がないから、癒される。心を掴まれる。 ロックを歌いそうなキツい見た目に反して、優しい音色の『ラ・クール』の曲を歌ってくれていた。ギターの腕はまあまあ、ちょい上手いくらいか。尊のギターに耳が慣れているから、音に対してのハードルが上がっているのだろう。素人にしては、この子も十分うまい。 ただ、惜しい。うーーーーーん、音痴! 必死に歌っているが、音階が離れている。違う、そこはそうじゃない。強弱が死んでるぞ、おい。何故今そこで高音出したんだ? 原曲ちゃんと聴いた? 練習した? 俺の声聴いた?? 言いたいことは山ほどあったが、なんやかんや最後まで聴いてしまった。この子には何かを惹きつける引力があるのだろう。歌い終わった後の彼は満足げに微笑んだ。 「俺は『ラ・クール』が好きで、藤堂さんの歌が好きで、ギター始めました! 全然売れてない時から好きで! 最近皆んなに藤堂さんの歌のすごさが広まって、自分のことみてぇに嬉しかった! だからっ……だから、無期限の活動休止は、すっげぇ悔しいです! でも、俺が『ラ・クール』を忘れさせない! 俺が歌い継いでいきたい!! いつか彼らが帰ってきてくれることを祈ってます! 今日は聴いてくださってありがとうございました! 君野 丞(きみの じょう)でした!」 俺たちのファンが聞いたら、確実にボコられているだろう。 音痴のくせに。素人のくせに。何様なのだと。 でも、俺は心掴まれたよ。こいつなら俺の代わりになってくれるんじゃないか。そう思った。 客があらかた去っていった頃、俺も彼のギターケースに小銭を投げ入れた。彼を目の前にすると、なるほど迫力がある。『ラ・クール』のボーカルに収まれば、バンドには華が増すだろう。もっと売れるかもしれない。 「あの、君」 「あ?」 え、こわ。 後片付けをしていた君野くんは、こちらをギロリと睨んできた。ごめんね、早く帰りたいよね。引き留めてごめんね。 だが、俺は死んでいるので何も恐れるものなどないのだ。失うものがない俺は強い。 「君は音痴であることを理解してる?」 「は?」 「音、すごく外してたよね。恥ずかしくないの」 「てめえ、誰だよ」 「俺だったら楽譜の音階と自分の出す音が合うまで練習するけどね」 「え、まさか……」 君野くんがぱちぱちと瞬きをする。 ふっ、そうさ。気づいてしまったか。そう、俺だよ。俺が君の憧れている藤堂解さ。びっくりしちゃって声も出ないのかな? せいぜいドヤ顔をしてみせると、君野くんは思いっきり顔を顰めた。 「評論家気取りかよ、おっさん。クソダセェ。迷惑だから帰れよ。二度と来んな」 えぇええええええっっ?!?!?! 気づいてない?! まさか、俺が藤堂解だって理解出来ていない?! そんなことがあるのか?! あ、でもでも、現役の頃より確実に20キロは太ったし、髪もやっと伸びてきたけど短髪だし、頑張ってコンタクトしてたけど、今中学から使ってるメガネかけてるし、わからないかね?!?! 俺だってわからないか! あーーーー、そうですかっ!!!  わからせてやりてぇ。 お前が目をキラキラさせて語った男は俺なのだと。歌声を忘れないでいてくれた君野くんに伝えてあげたい。君を喜ばせたい。 ああ、歌いてぇ。 しかし、もう俺は歌に選ばれない。 「いきなり音痴とか言って悪かったよ。俺も『ラ・クール』のファンなんだ」 「ふーん、誰推し?」 「え? あ、推し、は、箱推しかな」 「わかる」 すぐ同意来たな。びっくりした。 それまで警戒心丸出しだった君野くんの態度があからさまに軟化した。オタ友作りたかっただけなのかな。 「藤堂さんのことも好きだけど、バンドメンバーの雰囲気も合わせて好きっつーか」 「あ〜、皆優しいもんな」 「そうそう! メンバーに愛されてる藤堂さん、可愛いんだよな」 「……え? そう?」 「なんでおっさんが照れてんだよ、キメェ」 いきなり言葉のパンチかましてくるじゃんか。ていうか、俺ってメンバーに愛されてるの? そんなことあったかな、普通じゃないか? 「藤堂さんが皆から愛されてるって気づいてないところとか、すげぇ愛しいよ」 どっくん、と。何故か心臓を締め付けられた。俺ってそんな風に見られてるのか。愛されてるとか、いとしいとか、急に恥ずかしいんですけど。 よし、こうなったら、意地でも藤堂解だとバレないようにしよう。その方が面白いし、肩の力が抜ける。 「君野くん、明日もここで歌う?」 「ああ、同じ時間に場所の許可とってるぞ」 「じゃあ、その後に時間ある? ボイトレしよっか」 「は? おっさん、ボイトレとか出来んの? 何者?」 「まあ、趣味でちょっとね」 「……なんでそこまでしてくれんの。『ラ・クール』のファンだから?」 「え? 君野くんの歌に惚れたから。じゃ、また明日ね」 「あ、う、あ、おお」 久しぶりに面白いことになりそうだ。 俺は少しスキップしそうな足どりで駅の改札を目指した。 君野くんがずっと俺の背中を見つめているとも知らずに。  なんて、浮かれて帰宅してみれば、不機嫌な尊が仁王立ちで待っていた。美人は怒るとこわい。 「え、なに」 「おかえり、解。どこ行ってたの」 「おお、ただいま。服買いに行ってた」 メンヘラ彼女みたいな質問にも律儀に答えてやる俺、えらすぎるな。すかさず布団と同化する術を発動する。尊はまだ唇を尖らせて拗ねていた。 「夕飯、何食べたい?」 「お前、自分ん家帰れよ」 「すき焼き食べる?」 「たべる」 「うん、待ってて。今作るねっ」 途端に口角を上げて微笑むから、こいつの情緒がこわい。ちなみに、尊は料理もオールジャンル上手い。和食、洋食、中華、スイーツなんでもござれだ。おかげで俺も太るわけよ。 尊がキッチンに向かうと同時に、俺は『ラ・クール』の曲の楽譜を引っ張り出した。手始めに、自分で作詞作曲した曲でも、君野くんにマスターさせよう。この曲はライブでも定番曲だから、覚えておいて損はない。 「あ〜」 湧いてくる。突然曲のインスピレーションが降りてきた。まっさらな五線紙に次々と音がハマっていく。歌が聴こえる。 君野くんの歌への純粋な気持ち。真っ赤に燃える髪。焦がれても届かない存在。 気がついたら無我夢中で手を動かしていた。脳に流れる音を楽譜におこし、実際にピアノで弾いてみて確認する。その作業の繰り返し。歌詞が舞い降りてきて、曲にしてくれと急かしてくる。今すぐ全部抱き締めてやるから呼吸をさせてくれ。 歌えなくなってから、曲作りも出来なくなっていた。音楽に見放されたと思っていたのに、戻ってきてくれた。例え、歌えない俺に価値はなくとも、誰かに歌を託すことは出来る。 「あ、尊」 「うん」 ふと気がついたら、隣に尊が座っていた。薄暗い部屋の中、ふたりきり。 「明日スタジオ借りる」 尊の美しい瞳が希望に輝く。 「そう。俺も行く」 「お前は来なくて良い」 「俺のギター欲しくないの?」 「どっからその自信来るんだよ」 「解の新曲、俺が弾くよ」 「んー、明日はそっちじゃない。ちょっとボイトレやってやりたい奴がいて。そいつのレッスン」 「へ、誰それ」 一段と部屋が暗くなった気がした。電気をつけようと立ち上がりかけたが、尊に腕を引っ張られ尻餅をついた。また始まったよ。尊の真顔タイム。 「俺のこと捨てるの」 「うぜぇよ、そういうの。今、俺の代わりにすげえボーカル見つけたから、そんなに心配するなって。『ラ・クール』は復活する。お前たちの未来は守るから」 「なにそれ……解、全然わかってない。それで俺たちが喜ぶと思った? 俺も、翼も、信も、解じゃないとダメだから解散してないんだよ。解の歌じゃないと満足出来ないから待ってるんだよ!」 「だから、もう俺は待っても帰れねぇって言ってんだよっ!!!」 尊の顔がぐにゃりと歪んだ。違う、俺が泣いてるんだ。はらはらと滑り落ちる涙。泣き顔を見られたくなくて俯くと、筋肉に抱き締められた。かき集めるみたいに必死に腕の中に仕舞われる。 「……解……さとる、さとる……俺の全部あげるから、自分を諦めないでよ……頼むよ……」 絞り出すようにこぼされる声が痛かった。頑なに頷かない俺に、尊が縋ってくる。ただ、涙が尊の肩口を濡らす。 「ごめん、尊」 「……明日俺も絶対行くから」 「ええ……お前が来たら大事になるじゃん」 「解をポッと出の男に渡せない」 「お前ってホントめんどくせぇなぁ。来ても良いけど、俺が藤堂解だってバラすなよ?」 「わかった。でも、なんで?」 「その方が面白いから」 「はぁ、もういい。すき焼き食べよ?」 「おお」 尊は最後に俺の涙を拭うと、こどもにするように頭を撫でてきた。やめろと、振り払ってもニコニコしている。やっぱりこいつは、ちょっとこわい。 「片付けて待ってて」 「ん」 解に背を向け立ち上がると、尊は一瞬にして笑顔を消した。キッチンに入り、深くため息を吐く。 「解にまた変な虫がついた。せっかく、俺だけの解にしようと頑張ってるのに。早く俺だけに依存してくれないかなぁ。そしたら、めいいっぱい可愛がってあげるのに」 ぐつぐつと煮えたぎるすき焼きを見下ろす尊。 「解の二番目で良いよ。一番は歌にあげるから、でも、二番目は絶対譲らない」
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