上半身裸の男の死体

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上半身裸の男の死体

「あっ……、えっ!」  それは人の足だった。  慌ててカーペットをはぐ。  がれき(元僕の家具)の上に、人間がうつぶせに倒れていた。  顔は見えないが、成人男性のようだ。  上半身が裸で、背中も肩も素肌が見えている。 「あ、あのう!?」  返事がない。手首の脈を取ろうとして、彼の腕をつかんだ。  冷たい。  死んでいる。 「なんで!? これ誰!? なんで死んでるの!? なんで裸!? うわああーっ!?」  いよいよ僕のパニックが極まった。  そして、たまらずにぽいと放りだした手首の先。壁に文字が書いてあるのが、暗い中でもうっすらと見えた。 『マドアケルナ シヌ』  文字は、血文字だ。  よく見ると死体は頭から出血していた。これを指で書いて絶命したのか。  窓開けるな、死ぬ? ……  とはいえ、窓はおろかドアすらこの暗い縦穴にはない。  いや、一つあるとすると、あのカーテンで塞がれた天窓のことだろうか。  今のところ、開けようがないけれど。  でも、あれを開けたら死ぬ? どうして?  あの天窓の上には何らかの危険があり、僕(ら)がここに落とされたのは、それを逃れるためだということか?  しかしいつまでもここにいれば、いずれ飢え死にするだけだ。  体力があって動けるうちに、なんとかしなくては。  なんとか気持ちが落ち着いてきた。  そうすると、たちまち気になったことがある。  ……そもそもこの男、なんで死んでいるんだろう。  僕が殺したとは思えない。    窓を開けるなというメッセージと、彼の傷跡から考えるに、彼は、  なにかの足場を使ってあそこまで上り、そしてなにかを見た――危険ななにかを。  カーテンは目張りに貼られているが、ちょっぴり隙間を空けて外を覗くことくらいは可能だろう。  そして目撃したものによる驚きのせいで、転落した……  最後に、残った力を振り絞って、血文字をしたためた。そうではないのか?  しかしどうやって、天井までたどり着いたのだろう。  ここにあるのは、僕の冷蔵庫、テーブル、椅子、棚…… 「もしかして、これらを組み合わせて、足場にしたのか……?」  もちろん、安定性はあまり見込めない。  それで足を踏み外して六メートルもの高さから落ちれば、ちょうど下に棚やテーブルの角があれば、打ちどころが悪ければ死んでしまうだろう。  この部屋がもう少し明るければ、血痕のついた家具が見つかるのかもしれない。  しかし、彼の死因がどうあれ、この状況からの突破口はあの天窓しか見当たらない。  僕は意を決して、冷蔵庫をつかんだ。 「くっ……重っ……」  冷蔵庫や棚を引っ張り起こし、部屋の中央で直立させるのではなく、コンクリートの壁に立てかけた。  そうして縦に積んでいく。  幸いこの縦穴はあまり面積は広くないので、壁沿いに上っても、天窓まではどうにか届きそうだった。  下から、冷蔵庫、食器棚、本棚、椅子、と積んでいくと、やはりぐらつきはするものの、その上に乗れば天上に手が届く高さになった。  その時、都合のいいことに、布テープが落ちているのを見つけた。  というか、これも僕のものだ。食器棚の隅に入れておいたものが落ちたらしい。  僕はその白い布テープで、多少頼りないものの、重ねた家具同士の接点を補強した。  そして、再び上っていく。  今度は、先ほどよりは危なげない。  登頂し、伸ばした手の先に、ついに、カーテンが触れた。  布地を少しつまんでみる。  そのカーテンは、白地だがレースではなく、目が細かく柔らかくて、ポリエステルか綿のようだ。  それに真四角の一枚布ではなく、二枚ほどの材質の違う布を貼り合わせてあるようで、妙な凹凸やしわがある。 「あれ……? これ、シャツか……?」  それはどうやら、カーテンではなかった。  白いTシャツと白いネルシャツを、無理矢理布テープで天窓に貼りつけてあるらしかった。  使われているのは、その白い色からして、さっき僕が使った布テープらしい。  そして、触ってみて分かったのだが、二枚のシャツはひどく湿っている――というか濡れている。  天窓の隙間から、雨漏りでもしているのか?  しかも状況から見て、これはさっきの裸の男の服じゃないのか?  彼は、なんのためにわざわざこんなことを?  せめてあの男の顔でも見ておけば、もう少しなにか思い出せたのかもしれないが、どのみち今は必要ないだろう。  驚いて足を滑らせないように気をつけつつ、この向こうになにがあるのかを見るだけだ。  あらかじめ覚悟を決めておけば、そんなに難しいことではない。  そして、問題なさそうなら、天窓を抜けて、ここから脱出する。  逆に、あまりに危険なものが窓の向こうにあるのなら、ひとまず再び下に降りよう。  しかし、そんなに危なっかしいものが天窓一枚向こうにあるなんて、想像がつかないけれど。 「ま、とにかく……やるか。見るだけだ、見るだけ」  ごくりと喉が鳴る。  覚悟を決めた。  彼はおそらく、この向こうにあるなにかを見て、死ぬとまで言った。  慎重にやるぞ。  見るだけでいいんだ。ただ、見るだけ。無理はしない。  シャツを止めている布テープを、ちょっぴりずつはがした。  水気が染み渡っていて、粘着力が落ちている。  その向こうでは、シャツだけでなく、窓も窓枠に布テープで目張りされていた。  それでもこんなに染みるのなら、よほど雨漏りがひどいのだろうか。
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