秋(葵編)

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秋(葵編)

 街中で偶然恋人を見かけたと言うのに素直に喜べないのは、隣にいる人間が私ではないからだった。  円歌と付き合い始めた頃は嫉妬深い私を気遣った円歌が誰かと出掛ける時や誰かに会った時のことを律義に報告してくれていた。何か誤解をさせて傷つけたくないから、という理由で送られてくるメッセージに最初は嬉しさを感じていたけれど、段々と拘束している気持ちになって、円歌の自由を奪っているような感覚がして止めさせていた。エスカレートするかもしれない自分の気持ちを抑えたかったし、円歌のことを信じているからだった。  だからこそ円歌が誰かと出掛けていることを知らなかったとしても何でもないことだと受け入れなければいけないのに。いざ目撃するとやはりモヤモヤが心から生まれてしまっていた。  円歌の隣を歩いている人は、円歌のアルバイト先で一緒だった樹さんだった。今はもう受験の為にバイトは辞めてしまっているけれど、樹さんとは付き合いが続いているようだった。大学生の樹さんは学年が2つしか違わないというのに、ずっと大人のように感じる。私もあれくらい落ち着いた大人に成れたらいいのに。  二人を追いかけるのは気が引けて、離れていく二人を見送って大人しく家に帰った。それで終わりのはずだったのに。 「――葵。待って……」  後日。私は戸惑う円歌を固いフローリングの床に組み敷いていた。  事の始まりはあの日、円歌と樹さんが出歩いているのを見かけた日から一週間後のことだった。円歌の部屋で一緒に勉強していた時のこと。 「うん。美味しい」 「でしょ?この前ねぇ樹さんにオススメされて行った喫茶店に売ってたの!リピ確定でしょ~」  休憩をしていたら、どうしても飲んでみて欲しいと言われて普段飲まない紅茶を飲まされていた。本当に文句なく美味しかったけれど、“樹さんの”オススメと聞いてちょっと眉間にシワが寄る。 「喫茶店?」 「うん。樹さんはコーヒーも美味しいって言ってたよ。今度行こうね」 「……うん」  別に、樹さんのオススメは要らないんだけどな……。 「喫茶店だけ?」 「うん?」 「一緒に行ったの。喫茶店だけ?」 「うん。そうだよ?どうして?」  私の実に意地悪な質問を、円歌は本当に純粋な疑問として聞き返してくる。どうして私の質問が意地悪なのかって言うと、それは――。 「……葵?」 「嘘つき」  私が先週二人を見かけたのは、喫茶店じゃなくて、雑貨屋さんから出るところだった。私に突然固いフローリングの床に組み敷かれて、戸惑う円歌。 「葵。待って……何のこと?」 「喫茶店だけじゃないでしょ?」 「何言っ……あっ……」 「樹さんと、雑貨買いに行ってたでしょ?」 「え?な、んで……知って……あおぃ……やめっ」    円歌は耳を触られるのが苦手だ。上手くしゃべれなくなっているのは、私が耳にキスをしながら問い詰めているから。 「何で嘘ついたの?」 「そん、な、つもり……じゃ」 「他にも行ったの?……言えない場所とか?」 「ちが……う……ねぇ、お願い……やめて」  円歌のことは信じてる。嘘を付くつもりなんかないことも、きっと何か理由があるのも分かってる。それなのに。落ち着いた大人になりたいのに、私は意地悪ばかりしてしまう。円歌が痛いくらい力いっぱい私の腕を掴んで涙目で訴えてくるから、ようやく耳を触るのをやめてあげた。円歌は呼吸を整えて小さな声で話し始めた。 「プレゼント……」 「ん?何?」 「葵に、プレゼント買ってて……」 「え?最近くれたばっかりじゃん」  円歌が咄嗟に雑貨店に行った話題を避けたのはプレゼントの存在を知られたくなったからのようだ。でも、円歌たちを見かけるより前に私の誕生日があって、その時にお揃いのマグカップを貰っていた。 「そうだけど……お店で見てたらお揃いで欲しくなっちゃったんだもん」 「何買ったの?」 「……教えない」 「じゃあいつプレゼントしてくれるの?」 「……教えない」 「えー?何それ気になるじゃん……教えてよ」 「ねぇ!葵!」  懲りずに耳にキスをしたら睨まられて叱られた。涙目だから全然恐くないけれど。 「……笑わない?」 「うん?うん、わかった。笑わない」  笑ってしまうようなお揃いのものなんてある?見当もつかない。プレゼントを出すからどいてと言われて組み敷いていた円歌を解放してあげた。 「……これ」 「ん?……キーケース?」  円歌がプレゼントしてくれたのはお揃いのキーケースだった。 「一緒に暮らすのに……お揃いで欲しいなって思って……」 「あぁなるほど。ありがとう。嬉しいよ」  卒業したら一緒に暮らしたいって言ったのは夏のことで、まだ具体的なことはほとんど進んでいなかったというのに。円歌の中でちゃんと話が生きていたことが嬉しい。理想が現実になっていく感じ。 「気が早いと思った?」 「思わないよ。それで笑われると思ったの?」 「うん」 「葵のことそんなに意地悪だと思ってるの?」 「うん」  即答された。さっきまで涙目にさせられてた円歌の言葉には説得力がある。 「最近すぐに意地悪する……」 「ごめんって。でも円歌がかわいいのが悪いよ」 「反省してない。しばらくちゅーするの禁止!」 「え゛、なんで!ヤダよ!ただえさえ勉強ばっかりで会えてないのに!」  私の抗議を無視して円歌は勉強に戻ってしまった。 「ねぇ円歌ぁー……」 「勉強に関しては甘やかさないんでしょ?葵も勉強しなさい」 「えー……」  付き合いが長いから分かる。もう聞く耳を持たない姿勢に入ってる。諦めて肩を落とし、勉強へと戻った。 「――ふぅ……疲れた……」 「あぁもうこんな時間かぁ……そろそろ帰ろっかな」  何だかんだ集中して勉強できた。荷物をまとめて帰ろうとしたら、不意に円歌に腕を引っ張られた。途端にゼロになる距離。 「……ちゅーは禁止じゃなかったの?」 「葵からは禁止」  「えぇ?ずるい」  勝手にキスしてきて満足して、私から離れようとした円歌の腰に腕を回して、逃げられないように抱えた。 「……離してよ」 「円歌からちゅーしてくれたらね」 「……意地悪しないって言ったじゃん」 「ちょっとだけ。ね?そうしたらちゃんと反省するから」 「もぉ……」  結局はお互いにとことん甘いのだ。円歌からまたキスをもらう。こんな日々が卒業したら毎日続くのかと思うと期待に胸が膨らんだ。
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