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秋(晴琉編)
塾に通って自習室にも通い詰めて、成績は順調に伸びていた。それでも寧音の志望校のレベルには程遠くて焦っていた私は、ここ最近ずっと毎日のように悪夢を見るようになっていた。
――恋人であるはずの寧音が、私ではなく志希先輩に抱き締められている。その姿は仲の良い姉妹のようではなくて、まるで恋人同士のようだった。先輩は「ごめんね、晴琉ちゃん。もう妹として見られなくなっちゃった」と告げて、そして寧音の頬に手を添えて、顔を近づけて――。
「――晴琉ちゃん、ねぇ晴琉ちゃん起きて」
「……寧音?」
目の前には心配そうに私を見ている寧音がいた。良かった、夢だった。だけど心は不安でいっぱいになっていた。寧音の腕を引いてそのまま床へ押し倒した。
「え?は、晴琉ちゃん待って!」
いつもは落ち着いている寧音が珍しく慌てて制止しようとしている。でも今の私は『待て』なんて聞けなかった。寧音が欲しい――。
「晴琉!!」
服に手を掛けようとして、聞き慣れた声にようやく手が止まった。あれ?なんで円歌の声が……声がする方へ顔を上げると、そこには驚いた顔をした円歌と、葵の姿があった。
「……顔洗ってきていいですか……」
*
「何やってんの」
「……ごめん」
洗面所で葵からタオルを受け取って濡れた顔を拭いた。葵は相当呆れていた。それはそうだ、親友たちの前で危うく恋人を襲うところだった。
たまには4人で集まりたいよね、という話になって、今日は寧音の家のリビングで一緒に勉強をしていた。夜は悪夢にうなされていたせいか昼だというのに普段は現れない眠気に襲われて、ソファにもたれかかって寝ていたことを思い出していた。葵が言うにはすごくうなされていたから、寧音が心配して起こしてくれたらしい。起こされた私は二人のことをすっかり忘れて寧音を押し倒してしまったのである。
「何かあった?」
「……最近ずっと嫌な夢見てて」
「もしかして受験でナーバスになってる?」
「かもね……あー最悪。寧音に迷惑かけたくなかったのに……」
洗面所で座り込んで落ち込んだ。寧音のことはリビングで円歌が見てくれている。見間違いじゃなければ寧音はショックを受けているようだった。あぁどうしよう。今寧音に嫌われたら、もう受験どころじゃなくなってしまう。
「晴琉、大丈夫?」
円歌が洗面所にやって来て心配そうにこちらを窺っていた。親友たちにも心配をかけてしまって情けない。
「……私は大丈夫だけど……寧音は?」
「大丈夫だと思う。晴琉と二人で話したいって」
「……わかった」
「じゃあ私と葵は先帰るね」
「うん、ごめん二人とも」
二人を見送って、深呼吸をしてから寧音の待つリビングへ戻った。
「……寧音?」
「晴琉ちゃん、私の部屋来て」
無表情の寧音に手を引かれるがまま部屋へ連れて行かれて、ベッドに座らされる。寧音は私に跨って、腕を首に回した。あぁ何だか懐かしい体勢。
「あれは一体どういうこと?」
「えっと……ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃ分からないよ」
「そ、そうだよね……」
「……溜まってたの?」
「え⁉あ、違う……いや違わないけど……その、そういうことじゃなくて……」
「すごくうなされてたけど……何かあった?」
言いよどむ私を見て寧音の顔が段々と悲しい表情になっていく。たぶん正直に伝えた方が良いのだとは思うけど。
「あー……でも……嫌な気持ちになると思うけど……」
「隠される方が嫌。教えて?」
「あの……最近同じ夢を見るんだけど……」
「うん」
「その、寧音が、志希先輩に取られちゃう夢……」
「志希ちゃんに?」
「う、うん……」
「……そんなことある訳ないじゃない」
「で、でもさ!先輩大学行ってもっと大人っぽくなっちゃってさ、モデルにもなってもっと綺麗になってるし……ね、寧音?」
気付けば寧音の目が据わっていた。まずい、余計なことまで言った。静かだけど今までにないくらいの怒りを寧音から感じて背筋が凍った。
「……ちょっと待ってて」
寧音は部屋を出て行ってしまった。すごく冷たい声。やばい。誕生日プレゼントを忘れた時は腕を縛られたのに、今度は何をされるのか。
すぐに戻って来た寧音の手にはスマホがあって、誰かに電話をかけているようだった。寧音はベッドにスマホを置いて、再び私に跨った。少しして電話が繋がる音がした。
『寧音?どしたの?……んー?寧音?おーい』
スマホのスピーカーから志希先輩の声がした。電話をかけた相手は先輩だった。どうして?寧音は黙ったまま私にぴったりと抱き着いてしまって表情も分からない。頭の中でハテナマークがたくさん浮かび上がる。どうしたらいいか分からない私は、次の寧音の行動でパニックに陥ることになる。
「晴琉ちゃん好き。大好き」
『「は?」』
ベッドの上でしか聞いたことがない甘い声で愛を囁かれて、先輩と同じタイミングで間抜けな声が出た。先輩の前で何を言ってるの⁉
「ちょっ!!先輩!すみませんっ!切って!通話!お願いなんで!!」
ベッドの上に置いてある寧音のスマホに手を伸ばしたけどもう少しのところで届かなくて、先輩に懇願するしかなかった。手を伸ばして体勢が崩れた私は寧音に押し倒されてしまった。
『よく分からないけどお幸せに~』
先輩は何かを察したのかすぐに通話が切れる音がした。ひとまず安心して寧音の方を見たけど、さっきあんなに甘い声を出した人と同じとは思えないくらい寧音の目は据わっていた。
「寧音⁉何やってんの⁉」
「二人に思い知らせてあげようと思って。私が晴琉ちゃんのこと好きだって……これでもまだ私が志希ちゃんになびくと思うの?」
「いや別に、毎日夢で見てたから不安になっちゃったけど、本当にそう思ってる訳じゃなくて……こんなやり方しなくても……」
「だって晴琉ちゃん、志希ちゃんのこと綺麗って……」
寧音は最後にはもう不貞腐れた子どものようになっていた。そうだった。久しぶりで忘れていたけど寧音は志希先輩のこととなると途端に“姉”に嫉妬する“妹”になってしまうのだった。
「ごめんね、でも別に先輩のこと――」
「もういい。ヤダ。もう“お姉ちゃん”の話しないで」
寧音らしくない噛みつくような荒々しいキスが降りかかった。実際ちょっと噛みつかれて痛かった。長いくて深いキスを終えると最後に私の首元にしっかりと痕を付けて、寧音は満足そうに私から離れた。寧音が体を起こしたから、私も起き上がって、そして再び抱き締め合う。
「ごめんね。痛かった?」
「大丈夫……ごめん寧音、あのね、本当は……勉強、あんまり上手くいってなくて、それで不安になって……変な夢見るようになったんだ……」
私またも改めて十分に思い知らされたから。寧音が私のことを好きだってことを。だからちゃんと伝えようと思った。
「……それって合格出来なかったら私が離れると思ってるってこと?」
「え?」
「成績が不安なら、合格しない夢を見るんじゃない?私も見たことあるもの」
「あー……」
確かに、言われてみれば……。
「私が追い込んでたんだね……ごめんね、気付いてあげられなくて」
「寧音は悪くないよ!私が勝手に不安になって……ごめん、寧音に迷惑かけたくなかったのに……」
「迷惑なんてかかってないよ……もっと頼ってくれていいのに……私じゃ頼りない?」
「そんなことない。でも勉強で寧音に甘えるのは良くないと思う。ちゃんと自分でどうにかするから……」
「そう……あまり無理し過ぎないでね?」
「うん。ありがとう……あのさぁ、さっきの、もう一回聞きたいんだけど……」
「さっきの?」
「うん……そうしたら勉強もっと頑張れるから……お願い」
「さっきの……思い出せないから、晴琉ちゃんが言って?」
絶対に分かっている顔を寧音はしていた。私の恋人はずるい。ちゃんと思い出してもらえるように、寧音の耳元で囁いた。
「好きだよ寧音」
「……足りない」
「大好き」
「うん、私も好き。晴琉ちゃん大好き」
あれだけ不安に思っていた心はすっかり満たされていた。何を不安に思っていたのだろうと思うくらいに。大丈夫、今までと同じだ。全力でぶつかって行けばいい。結果がどうであれ私に出来ることはただ、私らしく全力を尽くすことだけだ。
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