冬(円歌編)

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冬(円歌編)

 志望校に合格した。葵ももちろん一緒に。たくさん書き留めていた受験後にやりたいことリストを引っ張り出して来て、意気揚々と私は予定を立て始めた。  まずは卒業旅行と大学の合格祝いを兼ねて葵と温泉旅行に行くことになった。葵と一緒に暮らすための引っ越しの作業も大詰めで、寧音と晴琉とは別日に制服を着るのが最後だからと遊園地でWデートをする予定もあり、春休みは忙しくもたくさんの楽しみが待ち受けていた。 「――円歌、着いたよ」  電車に揺られ辿り着いた温泉街。いつもより早く起きて家を出発した私は眠気に誘われ葵の肩を借りて眠りこけていた。私がいつも安心して眠っていられるのは、こうやって葵がちゃんと起こしてくれるから。  どちらからともなく当たり前のように手を繋いで歩く。私たちは手を繋ぐ時に指を絡めるようなことはしなかった。恋人という関係になる前からそうやって繋いできたから、今更変えるのはなんか私たちらしくないような気がしていた。変化と言えば、手を繋ぐとお互い着けているペアリングの存在を感じるようになったくらいだ。  宿泊する旅館へ向かうまでの道中に観光をする。まだ寝起きで頭の回っていない私は葵の手に引かれてただ足を動かしているだけに過ぎなかった。そんな私のことを理解している葵は話しかけることもなく、お互い黙ったまま歩みを進めて行く。無言の時間は苦ではなくて、こうして手を繋いで歩いているだけで、ささやかな幸せを感じていた。 「……熟年夫婦みたい」 「もう?早くない?」 「じゃあはしゃいでみる?」  繋いだ手をゆらゆらと前後に振ってみる。そして気持ちだけスキップのようなステップで歩いてみる。 「んー……腕白な子どもと手を繋ぐ親の気持ち」 「葵もするんだよ」 「えぇ?もう大人なんだからさぁ……あ、ほら円歌。あそこ抹茶のお店みたいだよ」  葵は恥ずかしがって一緒にはしゃいでくれなくて、抹茶が好きな私の気を反らそうとする。仕方がないから乗ってあげた。まぁ実際行きたいのだけれど。 「美味しい!」 「良かったねぇ」  葵はほうじ茶をゆっくりと飲みながら、抹茶バフェをパクパクと頬張る私を眺めていた。これでは熟年夫婦でも親子でもなくて、孫と祖母のよう。  お茶屋さんで過ごした後は自然と触れ合った。何だかご利益がありそうな滝を見て、木漏れ日を浴びながら散歩をして。ようやく恋人らしい時間が訪れたのは夕方。旅館に到着して部屋に案内された後のことだった。 「ちょっと葵?……早くない?」  荷物を置いて窓から景色を見て部屋を見て回った。ネットで見た通り綺麗な景色と和の趣のある部屋だった。温泉も期待通りだと良いね、なんて話ながらふすまを開けたらそこはベッドルームで、間もなく葵に押し倒されていた。   「だってどうせ夜だと疲れたとか言って寝るでしょ」 「えー。でも結構歩き回ったし一回温泉入りたくない?」  葵が大浴場が苦手だというから、部屋に温泉が付いている部屋にしていた。 「確かに……ごめんがっついて」 「ゆっくり浸かりたいからお風呂で襲わないでよ?」 「……そんなことしないよ」 「ほんとぉ?」 「しないってば。ほら行くよー」  葵に手を引かれ温泉に入った。私の言うことを聞いた葵は大人しくしていたからゆっくりと浸かることが出来た。しかしせっかく着替えた浴衣は温泉から出てすぐに葵によって乱されてしまう。 「……そんなに我慢してたの?」 「うん。だって久しぶりじゃん」  当たり前でしょって顔をして葵はたくさんキスをくれる。この時だけは、指を絡めて手を繋がれるのが好きだった。久しぶりだからか、葵はいつもより何だか興奮して見えて、触れる手は早急で、少し荒っぽくて。真面目な葵の普段見られない姿に胸が高鳴ってしまう。きっと私だけしか見られない姿を、葵は晒してくれている。 「なんか円歌嬉しそうだね……強引にされる方が好きなの?」 「違う……強引な葵も好きなの」 「あぁもう。何それ」 「だから葵の好きにして?」 「ねぇ、煽らないでよ……止まれなくなる」  葵の瞳はより一層の欲情を含んでいた。荒々しく肌を這う指とは裏腹に触れる唇は優しくて――。 〈ぐぎゅるる〉 「え?」  私のものではない大きなお腹の音が鳴った。葵の動きは止まり、私の上で脱力してのしかかってくる。 「……お腹空いた」  ここの旅館の晩御飯はビュッフェ形式で、たくさん食べたいからお昼はあまり食べないでおこうか、なんて話を葵としていたけれど、誘惑に負けた私は抹茶パフェを食べたし、その後も食べ歩きをしていた。葵は律義にほうじ茶しか飲んでいなかったから、それはもうお腹が空いているだろうけれど……。 「もう開いてるし、行こ」 「え?嘘でしょ?」  ご飯を食べるには少し早い時間だった。ただビュッフェの開始時間ではあったから、人が少ないうちに行くのは正解だと思う。思うけど……今の私は中途半端に触れられた状態で、もどかしくて仕方がない。 「ほら起きて?」  葵の頭は完全に食欲に支配されてしまったようだった。今もお腹の音は鳴り続いている。私から再びベッドへ誘うには雰囲気がなくて、諦めて乱れた浴衣を整えた。 「美味しい!」 「……良かったね」  何とか気持ちを落ち着かせて向かったビュッフェ。目の前の葵は幸せそうに食べている。自業自得だけれどあまりお腹が空いていなかったから、好きな物を少量ずつ盛り付けたかわいらしいオードブルのようなプレートが出来上がった。まぁ甘い物は別腹だから、デザートはたくさん食べられて何だかんだお腹は満たされた。葵はちょっと見栄えが悪いくらいたくさんお皿に盛りつけていた。普段だったら晴琉がこういうことをして、食い意地を張るなと叱るのが葵の役割なのに。余程お腹が空いていたらしい。  食事を終えて部屋に戻る時に大浴場の案内を見かけて入ってみたくなったけれど、やはり葵は苦手だからと断られたから一人で入ることにした。ゆっくりと浸かりながら今夜のことを考える。まだ夜は長い。夕方の続き……期待してもいいよね? 「――嘘でしょ……」  大浴場から部屋に戻るとやけに静かで嫌な予感がした。ベッドルームへ行くとそこには静かに寝息を立てている葵がいた。  いつも私が先に寝て、起こしてもらうことが圧倒的に多いから、葵の寝顔を見る機会は少ない。いつもだったら喜んで寝顔を眺めていただろう。でも今は、勝手に期待してしまった私には酷な状況だった。  私は行きの電車で寝ていたけれど、葵はたぶん寝過ごさないように起きていてくれていたから眠かったのだと思う。今はお腹一杯美味しい物を食べて、心地良く寝ていることだろう。寝かせてあげたい気持ちが芽生えて、でも悶々としていた私は起こさないようにゆっくりとキスをした。一回キスしたらもう諦めて寝ようと思ったのに。 「ん……」  キスに反応して漏れた葵の声を聞いたら、身体はゾクゾクと反応してしまって、もっと葵が欲しくなった。起こしてしまうからダメだって思うのに止められなくて、葵の唇に、頬に、首に、触れるだけのキスをした。寝ている間のキスなら私も葵にされたことがあるのを知っているから、きっと許してくれるだろうと都合よく考えていた。  今まで葵に“ちゃんと”触れたことはなかった。私は葵に触れられてばかりで、これで良いのかなと思って一度聞いてみたことがある。恥ずかしいから大丈夫だと断られて、触れる方が好きだと言うから、葵が良いなら良いと思ってずっと触れてこなかった。でも目の前には少し浴衣のはだけた状態の無防備な葵が寝ている……お腹撫でるくらいなら――。 「何してるの?」 「ひゃあっ!」    浴衣に伸ばした手は葵の声で引っ込み、驚いて悲鳴をあげてしまった。葵の目はほとんど開いておらず、たぶんまだちゃんと目は覚めていない。 「……何してるの」 「ご、ごめん」 「寝込み襲うなんて……悪い子だね」 「……ちょっとちゅーしただけだもん」 「んー?」 「え、待ってよ葵、寝ちゃうの?」 「んー……」  葵はまた目を閉じてしまっていて、返事もすぐに適当になって、私の話を聞いているのかも微妙だった。 「ねぇ葵、起こしてごめん。でも私もう……」 「ん?……円歌?……え⁉」  葵が再び目を開けたのは、私が葵のお腹の上に乗ったことに気付いたから。そして驚きの声をあげたのは……私が浴衣を脱いでいたから。 「ま、円歌⁉何して……」 「だって……葵に触れて欲しい……」 「待って……頭追い付かない……てかそのブラ何。えっちすぎない?」 「葵ちゃんはむっつりだからこういうの好きだと思うって」 「……それ寧音でしょ。まったく」 「好きじゃなかった?」 「いや、その……とても良いです」 「そっか。良かった」 「あぁもう……目、完全に覚めたから。覚悟してよね」  そうしてようやく私の期待していた時間が訪れた。
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