19人が本棚に入れています
本棚に追加
春(寧音編)
「ええええ!!」
放課後に職員室に訪れたら、いつも静かなこの場所に似合わない大きな声が聞こえた。どこかで聞いたことがある声だと思って声がする方を見たら、そこにいたのは「うるさい」と叱りつける先生と絶望した顔で立っている後輩の朱里ちゃんだった。朱里ちゃんは私に気が付くと目を輝かせて近づいて来た。小柄な朱里ちゃんの俊敏な動きを見ているとまるでハムスターを見ているようでかわいらしかった。
「寧音先輩!暇ですか⁉」
「ううん、忙しい」
「え゛……うぅ……そこを何とか……」
私の返事を聞いて朱里ちゃんの小さい体が余計に小さく見えた。本当は急ぎの用事なんてないのだけれど、この子は反応が面白いから。事情を聴くと体を左右に揺らして不貞腐れたように話をしてくれた。
「何かあったの?」
「何かー、あの担任がー、抜き打ちテストして来たんですよー。それでめちゃくちゃ点数悪くて―、この課題終わるまで部活したらダメって言うんですよ!ひどくないですか⁉」
「そうなの。じゃあ頑張ってね」
「え!いや、ちょっと待ってくださいよ~。かわいい後輩を助けてくださいよ~」
朱里ちゃんは立ち去ろうとした私の腕にしがみついて来た。
「私の練習量減ったらチームに影響出ちゃいますよ?きっと晴琉先輩も困りますよ?」
そろそろ助けてあげようかと思っていたのに。とっておきの切り札を出したかのように、朱里ちゃんはしたり顔で私に告げる。
「……素直にお願い出来ない子の言うことは聞きたくないかな」
「じゃあちゃんとお願いしますから~……助けてください!お願いします!」
「はぁ……このことは葵ちゃんに言っておくからね」
「え⁉なんで葵先輩なんですか⁉」
「晴琉ちゃんよりちゃんと叱ってくれそうだから」
「えー……晴琉先輩なら恐くなかったのに……」
「ほら早く教室行こう?時間かけたくないでしょう?」
「はーい」
適当に葵ちゃんの名前を出してみたのだけれど。意外と葵ちゃんはちゃんと先輩をしていたみたい。
「――あ!そうだ!寧音先輩に朗報なんですけど、私他校のバスケ部の先輩と良い感じなんですよぉ」
移動した教室で朱里ちゃんに勉強を教えてあげていたら、唐突に恋の話が始まった。
「何が朗報なの?」
「え?だって晴琉先輩取られるんじゃないかって思ってたんじゃないんですか?」
「んー……そうだったっけ」
「あ、そんなこと言ってー。だから安心してくださいね。先輩たちのことはもう応援してますので」
「そう。ありがとう」
「それよりどんな人なの?とか聞いてくれないんですかぁ?」
「……興味ないかな」
「あ、ひどい!」
「それより早くこれ、終わらせてくれる?そろそろ帰りたいのだけれど」
「はーい」
聞き分けの良い朱里ちゃんはその後ちゃんと勉強と向き合って課題を解き終わった。
「よくできました。じゃあ私は帰るね」
「はい!寧音先輩ありがとうございました!これで部活に戻れます~。先輩教えるの上手ですね。将来は先生とか?」
「将来……ね」
まだ自分の将来のことなんて何も思い描けていなくて。でも、どんな未来を選んだとしても、傍にあって欲しいと思うものがあった。
「……練習見に行っていい?」
「あ、来ます?じゃあ行きましょー」
*
「晴琉先輩すみませーん!遅れました!」
「何してんの朱里、新入部員入ったばっかりなのに」
「ごめんなさい!でもお土産持ってきました!じゃあランニングして来ます!」
「お土産?……あ、寧音!どうしたの?」
朱里ちゃんはお土産と呈して私を晴琉ちゃんの方へ押し出すとそのまま走り出した。
「ちょっと顔見たくなっただけ……もう帰るから」
「そっか。来てくれてありがとう。気を付けて帰ってね!」
「うん。またね、晴琉ちゃん……練習頑張ってね」
「うん!」
今目の前にある笑顔がこの先もずっと、私の傍にあって欲しいと願った。
最初のコメントを投稿しよう!