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三章 事件発生
問題は翌日に起こった。
「皆! 今朝のニュース見た!?」
九条さんが朝食の席で興奮して言う。
「切り裂きジャックが出たのよ!」
『え!?』
声が重なった。
「被害者は胸部から下腹部までの内臓を綺麗に抜き取られて、顔はグチャグチャ。被害者の特定を急いでるってニュースになってたよ!」
「誠。食事の席でそういう話はやめなさい」
「あっ、お、叔父様、ごめんなさい・・・」
「皆さん、暫くは屋敷の外に出ない方が良い。身の安全のためにね」
「そうですねえ!! 蓮と凛の希望だった海水浴は済ませましたし、お屋敷でゆっくりさせてもらいますね!!」
「竹内先輩、皆でアイディアを出し合って、同じテーマで小説を一本書きませんか? 短編から中編くらいの長さにして、書いた小説を皆で読み合いましょうよ!」
「おっ!! いいねえ!! ベストセラー作家である優さんの技術もジャンジャンバリバリ盗んじゃおう!!」
「ええ? 盗むほどあるかなあ・・・」
「えーっ! 私、優さんのお話、是非読みたいですぅ!」
そういうことになった。朝食後、談話室に集まり、竹内が代表してノートに万年筆を走らせる。
「まず主人公を決めるかあ!! 僕の主人公って魅力がないんだよねえ・・・。桃子君と誠君は女性しか書けないし・・・」
「では女性でいきましょう。楽しくやる方がいいですよ」
「さッすが優さん!! では主人公は女性、っと。年齢は二十代から三十代くらいが扱いやすいですかね??」
「そうですね。二十四、二十六、二十八歳が読者には受けが良いですね」
「わっ、なんとなくわかります」
「偶数ってなんとなくパキッとしてていいですよね」
「はいはーい! 私から提案でーす! ミステリ小説にしませんか? ミステリ小説は純文学に近いので、私の技術も発揮できますよお?」
「おお!! いいねえ!! では、ジャンルはミステリ、っと!! 文香君もなにか発言したまえ!!」
「そうだよ? なんか言いなよ?」
「んじゃ、狂言回し。幼馴染とか先輩後輩とか恋人とか、犬猿の仲やけど腐れ縁とか、主人公自体が狂言回しってのもアリやな」
「は? なんで狂言回し?」
「ストーリーを進める重大な役割やからや。決めとかんとなんも進まんで」
「ふーん。あっそ」
「竹内さん、主人公が狂言回しというのは面白いですよ。探偵の主人公などが当て嵌まります。出来すぎた人間でも、ポンコツな人間でも、それだけで魅力的に見えるかと」
「おーっ!! では優さんの言う通りにしますか!!」
「うーん、しかし竹内先輩に出来すぎた人間を書くのは無理では? 自分より賢い人間を書くのは難しいですから・・・」
「桃子君!! 失礼の極みだが全くその通りだ!! ポンコツにするしかないかあ!!」
「ポンコツにしなくても、上手く立ち回らせる方法がありますよ。『特殊能力』を持たせるんです」
優君の言葉に、視線が集まる。
「例えば、未来予知ができるとか、他人のこころが読めるとか、透明になれるとか。そうやって有益な情報を集めていくんです。特殊能力には条件を付けて、それを上手く利用して読者を焦らす。未来予知なら確定された結果に辿り着くまでのワクワク感、こころが読めるならヒューマンドラマ作品としても幅を広げやすく、透明になるなら人に見つからないよう捜査資料を集めるスリルも味わえる。・・・と、こんな感じで、どうですか?」
「すっごーい! さっすが優さん! 素敵ぃー!」
久遠寺が手を叩き合わせた。
「私も良いと思う!」
「賛成」
「おっ!! 文香君はどうかね!?」
「いいんじゃないすか?」
「満場一致だあ!! では特殊能力をどうするかだねえ!!」
ヒューマンドラマを描く方向性で決まったので、主人公の特殊能力は『他人のこころを読める』になった。なんという皮肉だろうか。特殊能力の制限について色々話し合うが、なかなか良い案が浮かばない。私は色ボケ久遠寺の漏れ出すこころの声からさっさと解放されたくて、口を開いた。
「常に人のこころの声が聞こえていたら犯人が誰かすぐにわかりますから、限定的、かつ、主人公にデメリットがあるようにしませんか?」
私に注目が集まる。
「相手のこころを読むことを『ダイヴ』って名付けるのはどうでしょう。で、使用するデメリットですが、一つ。『ダイヴ中』は外部の刺激に反応できなくなること。二つ。『ダイヴ中』は無防備になること。三つ。『ダイヴ』する深度や時間も関係するが、酷い吐き気や強い頭痛がすること。・・・で、どうですかね?」
「・・・いいね、いいね文香君!! それ採用!!」
「ダイヴ、ですか。小説のタイトルにもいいですね」
「ではまとめ!! 主人公は女性、二十六歳、人のこころを読める『ダイヴ』という特殊能力あり。テーマはミステリ!! 現代に蘇った切り裂きジャックの謎を追え!!」
「あーっ、竹内先輩、勝手に決めちゃってえ」
「いいじゃないかいいじゃないか!! 何度か町に遊びに行くついでに、その辺の聞き込みも近隣住民にしようじゃないか!!」
「もう、叔父様が気を付けなさいって言ったのに」
「じゃあ九条さん、行かないの?」
「いやねえ泉さん、行くわよ」
一時間ほどの会議が終わりに近付いている。私は静かに胸を撫で下ろした。
(あーっ! つまんないつまんない! こいつら私より『下』のくせに、なーにイキがってんだか。ゴミみたいな小説書いて気持ち良くなってんじゃねえよクソ雑魚がよ。ま、優さんとの親密度が上がったから、そこだけは感謝してあげてもいいかな? この久遠寺椿様が、と、く、べ、つ、に、ねー? だからさっさと死ね! ムカつく!)
ずっとこの調子なので、うんざりだ。
「文香様」
執事にそう呼ばれて、私は慌ててソファーから立ち上がり、振り返る。
「旦那様がお呼びです。旦那様のお部屋にご案内します」
「わかりました。今行きます」
おい勘弁してくれ。怪しまれるだろうが。
「あらっ? 女性嫌いの叔父様が女性である文ちゃんを部屋に招くなんて・・・」
「えっ? 紫月さん、女性嫌いなんですか?」
「ええ。重度のね。叔父様、背が高いし顔立ちも整っているし、教養もあるし、なによりお金があるからね。目が見えないことをいいことに『わたくしがお世話しますー』って言って強引に迫ってくる女が、昔は沢山居たらしいよ。それで女性不信になって、女性嫌悪になっちゃったの。身内には優しいけどね」
「水無瀬さん、なんかしたの?」
久遠寺に言われて、戸惑う。
「晩酌、あ、いや、お酒の相手に少しお喋りしただけやで」
お洒落に酒を飲んでいるのに『晩酌』というのはおっさん臭すぎると反省し、訂正する。
「ふーん。どうだか」
「久遠寺さん、自分が相手にされてないからって文香ちゃんに当たらない方がいいよ? みっともないから」
「なっ・・・!?」
図星だったらしい。泉さんに指摘された久遠寺は顔を真っ赤にして黙り込む。
「文ちゃん、口下手だけど優しいし面白いから、叔父様も気に入ったのかもね」
「そりゃ光栄の極み」
「あははっ! そういうとこね! じゃ、叔父様のことよろしくね」
私は談話室を出て、執事に案内され、紫月さんの部屋に向かった。
「では、わたくしは失礼します」
「えっ」
執事はドアをノックせず去っていく。仕方なく、私が重厚なドアをノックした。こんこんこん。三回。返答は無い。暫く待っているとドアが開いて、至近距離に紫月さんが現れた。
「文香さん?」
「はい」
「呼び出して悪いね。中にどうぞ」
「はい」
部屋の中には最低限の家具しか置かれていない。家具は全て背が高い。紫月さんは身長が高いので特別に作った物だろうか。
「適当に掛けてくれ」
「はい。失礼します」
私は下座に当たるソファーに座った。紫月さんは小さな冷蔵庫から瓶を二つ取り出し、立派な食器棚からグラスを二つ取り出し、琥珀色の液体を注ぐ。
本当に目が見えていないのか?
そう疑ってしまうほどにするすると動いている。私の前にグラスを一つ。そして私の左斜め前に座り、注いだグラスの中身を舐めるように飲んだ。
「君のはノンアルコールだよ」
「ありがとうございます」
梅の風味が香る、甘くてさっぱりした飲み物だ。
「美味しいです」
「それは良かった。二十歳になった君と酒を飲むのが楽しみだ」
「気が早いですね。私、貴方のこと好きだなんて一言も」
「好きでもない男に太腿を触らせるのかい?」
「揶揄っただけ、ですよ」
「では忠告だ。男を揶揄っちゃ駄目だよ」
「あの、私になにか用ですか?」
「話をしたい」
「なんの?」
「なんでもいいよ」
「・・・なんで髪を伸ばしてるんですか?」
なんでもいいから話題を見付けようと、取り敢えず目についたものについて言及した。
「ああ、これね」
紫月さんは一束手に持つ。四十過ぎの男の髪だというのに、乙女の髪のように青く光を反射していた。
「触手のようなものだよ。風向きがわかる」
「風向き・・・」
「それとね、目が見えない状態で首筋を刃物が行き来するのが怖いんだ。だから腰まで伸ばして自分で切っているんだよ」
「それで毛先が不揃いなんですね」
「恥ずかしい一面を知られてしまったな」
「・・・切りましょうか? 毛先」
紫月さんは弾けるように顔を上げた。
「私の家、母子家庭に加えて貧乏でしたから、母と二人で切り合いっこしてたんです。だから腕は確かですよ」
「・・・あとで、お願いしようかな」
「わかりました」
「君の髪を触りたい」
「整髪剤付けてるんで駄目です」
「・・・これは本当だな」
「鼻が利くんですね」
「耳もある程度ね。鼻の方がよく機能してる」
「指先も、ですか?」
紫月さんはにんまりと笑った。
「君は今、魔法にかかっているんだろうね」
妙なことを言う。
「一度しかない大学生活。初めての夏季休暇。仲間と共に訪れた豪華な屋敷で出会った、変わった男。たった二週間のできごとだ。短いからこそ、有限だからこそ、終わってしまうからこそ、尊く感じる。元の生活に戻れば私のことなんて忘れるだろう」
なんだこいつ。
「君が一人で生きていくのも、誰かの妻となり母となり生きていくのも、私はこの場所で祝福するよ。一方的に好意を寄せて、言動に移して、君に悪いことをした。申し訳ない」
一人で暴走して一人で無かったことにしやがって。
「・・・文香さん?」
私は立ち上がり、紫月さんの横に腰掛け直した。後ろ髪に手を回し、強引に唇をくっつける。
「な、なんてことを・・・!」
「別に構いませんけどね。気の迷いだった、お遊びだったってことにされても」
「そ、そうじゃない!」
『ダイヴ』しなくても聞こえてくる。
(なんて可愛いことを)
(駄目だ、自制しろ!)
(こんなの初めてだ。まるで溺れているみたいだ)
「溺れさせてあげましょうか」
紫月さんは、酷く困惑した。私は初めて、自分の力を悪用した。
「まっ、その、準備がっ」
「ああ、ゴムですか?」
「女の子がそんなこと口にしちゃいけないだろ!」
「九条さんから聞きましたよ。女性を嫌悪してるって」
「誠のヤツ・・・!」
顔を顰める紫月さんが可愛くて、私は笑ってしまう。
「うちの母親、変わってましてね。『文香ちゃん、初体験で失敗しないようにこれプレゼントするわ』って言って、ゴムを渡してきたことあるんです。『財布に入れておくように』って」
「え、ええ・・・?」
「ちょっと古いけど、まだ使えるんじゃないんですか? 使ったことないんで知りませんけど」
「し、しかし・・・」
「紫月さん、なにか欲しいものがある時は執事さんに頼むんですか?」
「そ、そうだが・・・」
「『若い女の子とえっちなことしたいからゴム買ってきて』って頼むんですか?」
「悪魔か君は・・・」
「選択肢を提示しているだけです」
「だっ、だ、駄目だ! 大学を卒業するまで駄目だ!」
紫月さんは私の両肩に手を乗せ、押す。
(自制しろ、俺! 自制しろ、俺!)
おや、意外。『私』は余所行きらしい。
「変な人。二十歳になったらだの、大学を卒業したらだの言うくせに、一人で生きていけだの、誰かの女になれだの。ぐちゃぐちゃにもほどがありますよ」
「部屋を、部屋を出てくれ」
「わかりました。紫月さん、心配しなくても次は冬季休暇に来ますよ。泊めてくれないならその辺で野宿して凍死してやりますからね」
私はソファーから立ち上がる。紫月さんは、困惑半分、嬉しさ半分といった表情で顔を真っ赤にしている。私はそのまま静かに部屋を出た。
夜。キッチンに行く。紫月さんはやはり酒を飲んでいた。
「・・・文香さん?」
「はい」
「夜更かしは美容の大敵ですよ」
昼間のことなどなかったかのように接してくる。
「取材に来ました。切り裂きジャックの」
紫月さんは盛大な溜息を吐いた。
「危ないことに首を突っ込んじゃいけませんよ」
「紫月さん以外には取材しません」
「・・・仕方ないですね。どうぞ」
「失礼します」
私は対面に座った。紫月さんは立ち上がり、私のために水を汲んでくれた。
「誠が言っていた通り、女性だけを狙う猟奇殺人鬼です。1888年の犯人と違うのは、女性の年齢と職業を選ばないことです」
嫌な話だ。
「2007年の切り裂きジャックの方が悪質ですね」
「ですね。犯行は必ず夜に行われている。暴行した痕跡は無く、遺体から推測するに医学に精通した者だろうと。私も容疑者の一人として警察に事情聴取されたことがありますよ」
「そんなむちゃくちゃな・・・」
「フフッ。ですよね。全盲であることから容疑者からは外されましたが、腹立たしいのに違いはない。被害者は、少なくて年に二、三人。最多は確か八人だったかな。それが二十年も続いている。現場に指紋が残されていたことも、警察犬が匂いに反応したこともあるのに、未だに逮捕に至らず。なにが目的なのかすらわからないのです」
「暴行された痕跡が無いんですもんね。そしてその言い方から推測するに、被害者達に接点や共通点が無い・・・」
「ご名答。しいて言うなら『夜道を一人で歩いていた女性』しかありません。ですから文香さん、絶対に、夜は屋敷の外に出ないでくださいよ」
「はい。わかりました」
ほう、と紫月さんは安堵の息を吐いた。
「しかし2007年のジャックは、切り取った内臓はなにに使い、どう処理したんでしょうかね?」
「思い付く理由はいくつかありますが、あまり話したくはありません」
「教えてください」
「・・・誰かに売ったか、コレクションとして飾っているか、調理して食べたか」
「うわ、なんにせよ碌な話じゃないですね」
「私が知っている話はこれで全てです」
「ありがとうございました」
「お礼が欲しいな」
「・・・なんでしょう」
「君と話せるなら、なんでも」
「本当になんでも?」
「本当になんでも」
「身長何cmですか?」
「198cmだよ」
「靴のサイズは?」
「30ぴったり」
「大きいですね・・・」
「私だけ突然変異でもしたかのように大きいんだ。そのせいで母は色々言われたみたいだ」
「私の母もそうです。不義の子じゃないかって」
「君と私は似ているね」
「うーん・・・。どうかなあ・・・」
「フフ、歳を重ねないと、わからないかもね」
「似ているって言うなら、人生相談に乗ってくださいよ」
「いいよ」
『ダイヴ』しなくても聞こえてくる。
(信頼してくれたのだろうか? 嬉しい・・・)
やっぱり金持ちって変人ばっかだな。
「自分を演じることに、疲れる時があるんです」
適当に言っているのではなく、真剣な悩みだ。
「私、舐められるのが嫌いなんです。だから人が寄り付かないようなファッションやメイクをしてる。自分に一番似合うヤツをね。これはお洒落じゃなくて、威嚇なんです。高すぎる背にもそういう意味では感謝してます。中途半端なのが一番舐められるから。でも本当は、シンプルな、大好きな水色のちょっと可愛いのが着たい。メイクも眉を整えて、ふんわりしたピンク色のリップだけ塗りたい。女の子らしいことしたいんです」
紫月さんは黙って聞いている。
「でもそんなことしたら『似合わない』って揶揄いに来るヤツが居るから、好きな気持ちを否定されたくないから、怯えて威嚇してるんです。だからなにを考えているかわからない不気味な『水無瀬文香』を演じてる。別にそれが嫌だって訳じゃないんですけど、たまに疲れちゃうんですよね。威嚇が通じない相手と接すると疲れちゃう。二十五歳児の竹内先輩も、先輩によく似た蓮くんと凛ちゃんも、曲がったことが嫌いで物怖じしない泉さんも、細かいことを気にしない九条さんも、優し過ぎる原田さん達も、紫月さんも・・・」
私は熱い息を吐き、水で口内を潤した。
「人生相談っていうより愚痴になっちゃった。ごめんなさい」
紫月さんは首を横に振り、笑った。
「隣においで」
「・・・はい」
大人しく、隣に座る。
「水色が好きなんだ?」
「そう。淡い水色が好き。白いレースもね。似合わないでしょう?」
「見えないよ」
「自虐が過ぎますよ」
「フフ、私も、君の前では何故か自然体で居られるよ。『見えない』なんてブラックジョークを言うと、今まで接してきた人達は苦笑していたからね。まあ、それが正しい反応ではある。揶揄って良いものでもない。叱ってくれたのは君が初めてだ」
「ようござんしたね」
「ハハハッ。私は神も運命も信じていないが、もしかするともしかするのかもしれないね」
「・・・魔法にかかっているのは、紫月さんの方かもね」
「フフッ。さあ、もう寝なさい」
「はい。おやすみなさい」
私は自室に戻り、睡眠薬を飲んで寝た。
幼いころの夢を見た。
酒瓶を持って暴れる父。
私は、頭を殴られて。そこで目が覚めた。
「・・・はあ。やな夢」
まるで『幸せになることを許さないぞ』と言うような、父の、あの、気持ち悪い目。
「・・・あほらし」
朝の準備を整えて、食堂に向かった。
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