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五章 冬の再会
何事も無く三日間が過ぎた。
過ぎてしまった。
久遠寺はキッチンの冷蔵庫を漁りに行き、赤黒い文字で壁に『二日目』と書かれているのを見てから大人しくなり、黙って部屋の隅で酒を飲み続けた。
どんどんどんどんどんッ!!
三日目の朝。ドアを荒っぽく叩く音。心臓が飛び跳ねる。
『竹内さん!! 竹内さん居ますか!!』
恵太郎さんの声だ。
『蓮くんと凛ちゃんが帰ってきました!! 無事です!!』
竹内はソファーから飛び出し、部屋の鍵を開ける。
「お、おにいぢゃあ・・・!!」
「こわかっ・・・、こわかったあ・・・!!」
三人は抱き合い、大声を上げて泣き始めた。怖い、悲しい、僅かな怒り。強い感情に晒された私は気分が悪くなり、思わず紫月さんに凭れ掛かる。紫月さんは黙って、手を握ってくれた。
警察を呼んだ。
「ちょっと!! 子供が戻ってきたんなら事件の犯人なんてどうでもいいでしょ!! 私、あのブスに顔を叩かれたの!! 傷害よ傷害!! 早く捕まえてよ!!」
警察は久遠寺に呆れ果てている。九条さんの遺体は回収された。私達はこれから、事情聴取などで忙しくなる。荷物をまとめて玄関に行き、振り返る。
「もう来ちゃ駄目だよ」
紫月さんはつらそうに笑って、そう言った。
結局、事件は迷宮入り。
九条グループの令嬢が殺されたと、一時期大いに騒がれた。大学でもその話題で持ち切り。竹内は大学を辞めた。泉さんとも疎遠になった。優君だけは親しくしてくれるが、私はなんとなくそれがつらい。久遠寺は九条家であったことを武勇伝のように語り、それが両親の耳に入り、流石に咎められたらしい。今では私達に全く近寄らない。部員数が足りなくなった文芸サークルは廃部になった。
現実なんてそんなもの。
ここは映画やドラマ、漫画や小説の世界ではないのだから。
「文香ちゃん、どうしたん?」
「なんでもない」
「まッたそれかいなあ。どうせ紫月さんのことやろ」
「なんでもない言うとるやろ!」
「会いに行ったらええがなあ。冬期休暇利用して。お母ちゃんお金出したる」
「あーもう!! うっさい!! もう十九歳やねんから必要以上にベタベタすんな!!」
「必要やったらベタベタしてええんやろお? かーわーいーいー!」
「ちょ、もう、おとん、なんとかしてえな!」
血の繋がらない父が苦笑する。
「そんなこと言われてもなあ。お父ちゃんはお父ちゃん歴三年くらいやから、あと十七年は文香の面倒見たろうおもてんねん」
「嫁を止めろや!! 殺人事件があった場所に娘行かすんか!!」
「いやいや、行かすんやなくて、ほんまは行きたいんやろ? もう十八超えてんねんから自己責任で行ったらええねん」
「面倒見る言うたり自己責任言うたり・・・!!」
「文香、完璧に生きてたら人生しんどいよ。お父ちゃんみたいに、クラゲみたいに生きるくらいで丁度ええねんで」
「せやでえ文香ちゃん。今までキチキチに働いてきた分、ふわふわしたらええねんでえ」
駄目だこいつら。
「行けばいいんでしょ!! 行けば!!」
私の進学のために関西から関東に引っ越すような連中なのだ。暖簾に腕押し。糠に釘。馬の耳に念仏。
結局私は、最低限の荷物を持って紫月さんが暮らす島の近くの港町まで来てしまった。時刻は早朝。船着き場に時刻表のようなものは無い。
「あの、すみません」
漁の帰りだろうか。少し疲れたような厳つい顔をしているおにいさんに声をかける。
「ん? どうしたの?」
見た目に反して声は優しく、明るい。
「九条家に行きたいのですが、」
「ああ、はいはい。奉公のお嬢ちゃんね」
なにか勘違いをされている。
「あっち、一番隅っこ、今は船無いけど、その内迎えが来るよ」
「ありがとうございます。あの、奉公のお嬢ちゃんて、もしかして有名なんですか?」
「そりゃあね、そりゃあ。今年の夏に切り裂き魔の被害があった家だもん。あそこ働き手が船頭の博文以外、皆死んじゃって、誰も寄り付かないよ。そこに若い女の子が来るっていうんだから噂にもなるよ」
「働き手が皆死んだ!?」
紫月さんの、父親も?
「あそこの親父さんも可哀想にねえ。なんか跡取りの娘さんが死んじまったってんで随分と一族に責められたそうじゃない? イカれた殺人鬼に襲われるなんてどうしようもないでしょうに。親父さん目が見えないんでしょ? どうしろっていうのさ、可哀想にねえ」
親父さん、という言葉に違和感を覚えてしまう。四十代なので親父さんで間違いはないが。それにしても、私の知らない情報ばかり飛び出してきて、少し混乱してしまった。
念のため『ダイヴ』してみる。
(こんな辺鄙な土地で働くなんて、この子、根性あるなあ・・・)
ちょっとお喋りなだけで、善意で動いてくれているようだ。
「おにいさん、お話をありがとうございます」
「おうよ。頑張ってね」
おにいさんに言われた通り、一番隅っこで待つ。暫くすると、小動物のリスを思わせる可愛らしい女の子が大きな荷物を持ってやってきた。
「あれ・・・?」
「こんにちは」
「こんにちは。お屋敷の人ですか?」
「いえ、お屋敷の人の、友人です」
「まあ! 私、藤野梨花です。よろしくお願いします」
「水無瀬文香です。よろしくお願いします」
「とっても背が高いですねえ」
「あは、ありがとうございます」
結構話し上手だ。藤野さんと雑談していると、見覚えのある船が、見覚えのある船頭と共にやってきた。
「あれ!? 貴方、確か・・・」
「お久しぶりです」
「もしかして旦那様に会いに来たんですか?」
「はい」
「困ったな、船に乗せないように言われているんですが・・・」
「野宿しますよ。凍死しますよ」
「い、いやあ・・・」
「・・・この娘がどうなってもいいのか!!」
「えぇ!?」
私は藤野さんの肩に手を置いた。
「人質だぞ!!」
「きゃ、きゃー?」
「やだなあ、もう。僕がお叱りを受けないように旦那様に言ってくださいよ?」
「ありがとうございます」
「そちらが藤野さん?」
「はい。藤野です」
「二人共、船にどうぞ。落ちないように気を付けてくださいね」
懐かしい船に乗る。
「あの、水無瀬さん」
「文香でいいですよ」
「私も梨花でいいですよ。さっき、旦那様のお友達って聞こえましたけど・・・」
「気のせいですね」
「え、ええー・・・?」
船が島に着く。出迎えたのは厳しそうな老婆だ。
「なんです貴方は」
開口一番そう言われる。
「紫月さんのお友達の、水無瀬文香です」
「お帰りください」
「少しだけお話をさせてください。紫月さんが『帰れ』と言えばすぐに帰りますから」
「・・・フン、まあいいわ」
排水溝に絡まった髪の毛を見るような目だ。
「そちらは藤野さん?」
「はい! 藤野梨花です! よろしくお願いします!」
「こちらにどうぞ」
「はい!」
屋敷に案内される。落ち着いた色合いなのに豪華な内装。胸が高鳴る。『ダイヴ』しなくて聞こえてくる、梨花さんの緊張と、老婆の私への嫌悪のようなもの。
「旦那様。新しいメイドをお連れしました」
「そうか」
紫月さんは、以前と全く変わらない姿だった。
「それから、ご友人をお連れしました」
「私にそんなものは居ない」
「旦那様が『帰れ』と言えば帰るそうですよ。わたくしはメイドの教育があるので失礼します。さ、藤野さん、行きますよ」
「はいっ」
老婆は盲目の主人を残して、友人を自称する私と二人きりにして、談話室を去っていった。私が強盗や殺人鬼だったらどうするつもりなのだろう。紫月さんのことなどどうでもいいと言わんばかりの態度に僅かに苛立つ。
「誰かな? 金の無心なら他を当たってくれ」
私には一度も見せなかった、冷たい表情。
・・・も、格好良い。
会えないうちに紫月さんに相当ヤラれてしまったらしい。
緊張で張り付く喉を広げるため、精一杯、空気を吸う。
「し、紫月さん・・・」
信じられない、という顔をして紫月さんがソファーから立ち上がった。
「あの、文香です。水無瀬文香です」
「な、あ・・・」
「突然押し掛けて申し訳ありません。でも、連絡したら断られると思って、というか連絡先も知らないまま別れてしまったし・・・」
紫月さんは今にも泣き出しそうな顔をした。
「・・・部屋においで」
「はい」
白杖をついて紫月さんが歩く後ろを着いて行く。
「寒いだろう? 暖房をつけるよ」
そう言って、なにもないテーブルの上を探る。リモコンは棚の上にあった。
「あの、もしかしてこれですか?」
私はリモコンを手に取り、紫月さんの手を包んで渡す。
「・・・これだ。悪いね」
ボタンを操作する指は淀みなく綺麗なのに、何故、リモコンの位置はわからなかったのか。以前はするすると移動していたのに、何故、ずっと白杖をついているのか。私は嫌な予感がした。
「文香さん、もうここには来ちゃ駄目だと言っただろう」
「帰れと言うなら帰ります。でも、どうしても、もう一度だけでいいから、紫月さんに会いたかったんです」
「言えるわけないだろう。帰れだなんて・・・」
紫月さんの手が空気を掻き分ける。その手を掴み、コートの上から肩に添わせる。
「いつまで、ここに?」
「冬期休暇いっぱいは。来年の一月二日までですね」
「正月も帰らないのかい?」
「紫月さんが許してくれるなら。親が会いに行け会いに行けって煩くて。だから両親のことなら心配要りませんよ」
「ハハ、そうか・・・」
悲しそうに笑っている。
そんな顔が見たいんじゃない。
私はコートを脱ぐ。
「こら、寒いんだから着ていなさい」
脱いだコートを紫月さんに羽織らせて、コートの上から抱きしめた。
「・・・お見通し、かな」
「かもね」
「『あの一件』の責任は私にあると、言われてね。日常茶飯事だからもういいんだよ」
「私がそれで納得すると思うんですか?」
「頼むから、なにもしないでくれ。私の立場が悪くなるだけだ」
「子供じゃないんだからわかりますよ。だからこうやって温めてるんです」
からんころん、と杖が転がった。冷たい腕が抱きしめ返してくる。
「久し振りに、生きている心地がする・・・」
うっとりとそう言われたら、もう紫月さんのことしか考えられない。
「部屋が温まるまで時間がかかりそうですね。ベッドに入りましょうよ」
「き、君はそうやってすぐ私を揶揄う・・・」
「真面目に言ってるんですけど。寒くて凍えそうです」
「・・・わかったよ」
私は長袖の肌着になって、紫月さんが横になるベッドに潜りこんだ。
「幸恵さんに会っただろう?」
「厳しそうなおばあさん、ですか?」
「そう。メイド長ということになっている。彼女は、私の義母なんだ。妻の母親。だから私のことが嫌いなんだよ」
なにも言えなくて、紫月さんの手を温めるためにさする。
「食事が冷めていたり、物が移動していたり、少し、嫌味を言われるだけだよ。他の一族に比べたら優しい部類だ」
「優しくないでしょ」
「いいんだよ、文香さん。君が来てくれた。それだけでもう報われた気持ちだ」
「春休みも来ていいですよね?」
「・・・駄目だよ」
「わかりました。三月中旬から四月上旬です」
「言うことを聞かないな」
「駄目?」
はう、と紫月さんは息を吸い込んだ。
「好きですよ、紫月さん」
「・・・私も好きだよ、文香さん」
胸の中に紫月さんを抱きしめる。幼子が母親にするように頭を擦り寄せて、甘えた声でくすぐったく笑う。この人はこんなこともできるのか。
どれくらいそうしていたのだろうか。
気付くと部屋は暗くなっていた。二人共眠っていたらしい。部屋は暖かい。どんどんどん、とドアを乱暴にノックする音が響いている。
「紫月さん」
「んー・・・」
矢で心臓を射抜かれたような衝撃を受けた。可愛いからやめろ。
「食事の時間か・・・」
寝癖がついたままの髪で紫月さんが寝室を出ていく。そしてすぐに戻ってきた。機嫌は良さそうだ。
「文香さん、食事の時間だよ」
「はい」
私は肌着の上に余所行きを着る。二人で食堂に行くと、幸恵さんと梨花さんがせっせと料理を運んでいた。
「水無瀬さんでしたね。食事をどうぞ」
「ありがとうございます」
席に案内され、座る。私の食事からは湯気が出ている。紫月さんの食事を見る。ちゃんと温かいものが出されているようだ。静かな食事が始まった。
「旦那様、水無瀬様はいつまで滞在なさるのです?」
「一月二日」
「そうですか。水無瀬様、ゆっくりと寛いでください」
「いえ、なにかお手伝いを、」
「失礼ですが余計なお世話ですので」
「・・・そうですか」
遮るように言われてしまった。
「あとで部屋に案内してやってくれ」
「はい」
食事を終え、一度紫月さんの部屋まで荷物を取りに行き、滞在する部屋を与えられる。
「水無瀬様」
「はい」
「貴方は本当にあの人のお友達なんですか?」
「はい。そうです」
幸恵さんは顔を曇らせた。
「わたくしの名前は斎藤幸恵です。幸恵とお呼びください」
「わかりました。幸恵さん」
「・・・貴方、本当にあの人のお友達なんですね?」
「え、ええ。何故何度も聞くのですか?」
幸恵さんは溜息を吐くと、エプロンを脱ぎ、シャツのボタンを外し始める。突然の出来事に私は呆然とするしかなかった。
「な、なにを」
そして再び言葉を失う。
幸恵さんの背中は切り傷と痣だらけだった。切り傷は真っ赤な赤からどす黒い瘡蓋まで。痣は真新しい青いモノから、黄色に変色した古いモノまで。
「あの人から受けた傷です」
「そ、そんな、紫月さんがそんなこと」
幸恵さんが服を着る。
「決して怒らせてはいけません。あの人は一族の中でも要注意人物なのです。夜になるとまるで人が変わったように凶暴になります。それと、藤野梨花さん。彼女も餌食になりかねませんから、どうか、貴方が優しくしてあげてください」
私は迷わず『ダイヴ』した。
(この子は本当に友人? それとも恋人? どちらにせよ、被害はわたくしで食い止めないといけない・・・。紫月さんの食い物にしてはいけないわ・・・)
嘘を、吐いていない。
「失礼します」
幸恵さんは、行ってしまった。
確かめ、なくては。
私はキッチンに行く、紫月さんは酒を飲んでいた。
「来ると思った」
柔らかく微笑んでいる。
「紫月さん」
「なんだい?」
「幸恵さんと仲が悪いんですよね?」
「彼女になにか言われたか?」
「少しだけ、失礼なことを」
『ダイヴ』する。
(文香さんにまで・・・。なんとかしなくては・・・)
この反応ではわからない。
「中世の主人と奴隷みたいに、鞭で打ったりしちゃ駄目ですよ」
再び『ダイヴ』する。
(恐ろしいことを言うな。そんなに失礼なことを言われたのか? 細心の注意を払って、現場をおさえて注意しなくては。場合によっては手をあげることも必要か・・・)
怪しい、けど、確定には至らない。
「紫月さん、今夜は一緒に寝ましょうね」
「えっ・・・」
「嫌ですか? プライベートな時間にお邪魔することには変わりありませんから、無理にとは、」
「是非お願いします」
「あ、はい・・・」
「今日の酒は格別に美味いな」
「来年になったら私も飲めます」
「楽しみだよ」
「・・・あの、少し、嫌な話をしてもいいですか?」
「どうぞ」
「前に居た執事さんは、何故、」
「自殺だ」
紫月さんが酒に口をつける。
「私以上に責められてね。別段悲しいとは思わなかったな」
言葉が出ない。
「しかし、文香さん。両親に私の話をしたのかい?」
「したっていうか・・・」
「うん?」
「私の両親は過干渉なんですよ。『溜息ばかり吐いてる』って言われて、話すしかなかったんです。私、母親に嘘を吐けないので」
「溜息? フフ、そうか」
「なに喜んでんですか」
「ごめんね」
「諦めようとしたんですよ、何度も。年の差もあるし、目のこともあるし。私は医学生で勉強に励まないといけないし。それに、九条家と生粋の貧乏人の私とじゃ全然釣り合わないし。ただ遊ばれただけなのかも自分に言い聞かせようとした。でも、馬鹿だから会いに来ちゃった」
「眩しいくらい真っ直ぐだね、君は。若さのせいもあるのかな」
「ただ馬鹿なだけです」
「まだ未成年、か・・・」
「大学卒業まで待つの? 私、医学生だからあと五年かかりますよ?」
紫月さんは唇を噛み締めた。
「あのねえ、君・・・」
「二十歳にすればいいのに。それなら来年の冬だ」
「誕生日はいつだ?」
「十一月八日」
「・・・大人の男を揶揄うんじゃない」
「紫月さんだけだよ」
紫月さんは理知的でとても穏やかだ。一族から『要注意人物』として取り扱われる要素はどこにもない。
「もう寝ましょう」
「そうだね」
くい、と酒を飲み干し、紫月さんが立ち上がる。二人で紫月さんの自室に行き、寝る前の準備を済ませてベッドに横になる。
「天にも昇る気持ちだ」
「紫月さん、身体冷えやすいんですね」
「君は温かいな」
「ちょっと鍛えて筋肉あるからかも」
「フフッ、おやすみ、文香さん」
「おやすみなさい、紫月さん」
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