おうたのれんしゅう

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おうたのれんしゅう

 幼稚園に通っているAさんの娘さんは活発で明るい女の子だが、最近元気がない。  心配したAさんが「何かあったの?」と尋ねると、娘さんは俯いた格好で、  「おうたのれんしゅうがいやなの」  と、答えた。  Aさんはそれを聞いて━━娘には申し訳ないが━━何だそんなことかと安堵した。  恐らく、幼稚園で合唱の練習をしているのだろう。娘さんは少々人見知りする性質なので、人前で歌うのが恥ずかしいに違いない。  (こういう時、親としてどんなアドバイスをしてあげればいいのかしら?)  安易に大丈夫と言うのは、娘に余計なプレッシャーを与えかねない。  Aさんは少し悩んだ末、とりあえず娘さんが練習している『歌』が何なのか聞いてみることにした。  「そうなの。※※ちゃんは、どんなお歌の練習をしているのかな?」  「・・・」  娘さんは暗い顔をしたまま、ポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。  Aさんは、それを広げて読む。そこに書かれていたのは━━  「読んでいる途中で怒りで紙を破り捨ててしまったので細部までは憶えていませんが、そこに書かれていたのはホストを讃える歌でした。※※くんてっぺん取れとか、※※※(ホスト店名)最高とか、そんなクソみたいな歌詞の羅列でした」  Aさんは絵に描いたような温厚な主婦であるが、怒りのあまり言葉使いがとても荒くなっていた。  しかし、それも無理からぬ話である。  娘さんのクラスを受け持っている保育士の女が、自分の担当ホストの誕生日イベントのために、園児を使ったコール(マイクパフォーマンスみたいなもの)の動画を撮ろうとしたのだから。  『幼稚園児がコールする動画とか、絶対バズると思ったんです』  Aさんを始め、キレた保護者の方々に詰められた際、保育士の女はそう答えたという。  現在、女は保護者と園、そして何も知らなかったと主張する当該のホストクラブにまで訴えられ、散々な状況なのだそうだ。  「バズり狙いということは、もしかして歌を録画するだけではなく、動画サイトにアップするつもりだったとか・・・?」  「そうですよ!」  Aさんは机をバンッと叩いた。その剣幕に、思わず仰け反ってしまう。  「ウチの子がきっかけで気付いていなかったらいったいどうなっていたことか・・・。危うく、一生消えないデジタルタトゥーを刻まれてしまうところでしたよ!」  練習させられていた『歌』の異常性に気付いていたのはAさんの娘さんだけで、他の子は何の疑問も持っていなかったそうだ。年齢が年齢なだけに、無理からぬ話であろう。しかし、それにしても━━  「娘さん、よく気がつけましたよね?」  そう尋ねると、それまで鼻息荒くしていたAさんは、急にシュンとした表情になった。  「え? どうしたんですか?」  「・・・その、あの、お恥ずかしい話なんですが、実は、娘が気付いた原因というかきっかけは、私にあるんです・・・」  ※※くんはご存知ですよね?とAさんは急に聞いてきた。  私は芸能関係はさっぱりなので知らないと答えると、5分くらいかけてその※※くんのことをじっくりと説明された。  話をざっくり要約すると、※※くんは主に2.5次元の舞台で活躍している最近流行りの役者とアイドルのハイブリッドみたいなタレントさんで、Aさんはその※※くんの大ファンなのだそうだ。  「私が※※くんの動画を見て応援している様子が、歌の練習をしている時の保育士の女の様子と同じに見えたらしくて・・・」  怖かったから、と娘さんは答えたそうだ。  「私、流石にショックで・・・。娘から見た私って、ホス狂と変わらないのかと思うと・・・」  私は何と言ってよいか分からず黙り込んだ。  それから、Aさんは結構長い間、頭を抱え込んでいた。                   <了>
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