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2.恋
「ナナハちゃんって変わってるよね」
中学生にもなると、クラスメイトの多くの髪の中に青い色が目立つようになっていた。ただ、青い色が常に伸び続ける子はまだまれで、恋が消えるとともに元の色を取り戻すために、青と黒がまだらに伸びた状態の髪色の子も多い。
そんな中にあってナナハの髪は真っ黒なままだった。それは一度として恋を感じたことがないことの証明でもあった。
「好きな子いないの? 本当に? 一度もできたことないの?」
「なんか可哀想、ナナハちゃん」
大きなお世話だ、とナナハは思っていた。恋なんてしなくたって全然生きていける。実際、ナナハのように恋をしないまま大人になる人がいないわけじゃない。
「別によくない? 大人の中には真っ黒な髪のままの人もいる。おかしなことじゃなくない?」
言い返したナナハをクラスメイトたちは珍しい生き物を見るような目で見つめてから、ふふっと笑いあった。
「ナナハちゃん、確かにそういう人もいるけど、少ないみたいだよ」
「そうそう。真っ黒に見えてもただ染めてるだけってこともあるみたいだし」
「そういうのなんかかっこ悪いよねえ。恋してること隠そうとしてるってことでしょ」
ひとりが唇の端を吊り上げて言うと、他の少女たちも同調した。
「隠せないものを隠すなんておかしいよね」
「ね。まるで恥ずかしいことしてるみたいで、なんか気分悪い」
「……私はそういうんじゃないから」
ナナハはつっけんどんに言って彼女たちの輪から走り出る。蔑むような彼女たちの目がただただ煩わしかった。
いらいらしながら歩いていたナナハを呼び止めたのは、アオイだった。
「どした? 今からドジョウ絞めてきます! みたいな顔してるけど」
相変わらず言葉選びがおかしい。ナナハは脱力しながら彼を見返した。
「なんかやっぱ女子とは合わないわ〜ってなってただけ。恋がどうとか、そんなことばっかりなんだもん」
「ああ、でも仕方なくないか? ネモフィラ咲き始めた子、増えたし」
言いながらアオイは自身の後ろ頭に指を触れる。
「ネモフィラか」
黒髪にまざる青い髪。その存在をナナハは忌み嫌っているけれど、ネモフィラという通称だけは悪くないと思っている。
恋の芽吹きと共に咲く青い花。
恋の訪れと同時に青い髪の毛が伸びると思うと気持ち悪いけれど、花が咲く、と考えれば清らかなもののような気もする。まあ、ただ名前がそうだというだけで、実際には花ではないのだけれど。
ため息をつくナナハの目線の先、隣のクラスの女子が通り過ぎていく。
その彼女の二つに結んだ髪の片側に青い色が紛れ込んでいるのを見て、ナナハは目を細める。
両想い同士ならそれは、お互いの想いの証。
片思いなら……それは、目印。
私は、恋をしています、というのろし。
彼女にとってあの青はどちらなのだろう。
「どんな感じなんだろうね。ネモフィラ咲かせるのって」
「咲かせたいの?」
アオイにおっとりと問い返される。その彼の髪もまた真っ黒だ。彼の髪色を確認し、ナナハは安堵する。
「まさか。面倒くさいよ」
言いながら昇降口に向かい、靴箱から靴を取り出す。叩きつけるようにたたきへ放り出すと、アオイが苦笑した。
「ナナハはさ、潔癖過ぎるんじゃないかな。悪くないよ、きっと。恋だって」
「そういうアオイだって面倒だって思ってるくせに」
「僕は面倒というか……うーん、みんながしているからするとか、そう言うのが嫌なんだ。恋するタイミングは自分で決めたいよ」
恋するタイミング。
真っ先に思ったのは、アオイらしいな、ということだった。
同い年の他の子たちと比べて、アオイは自分軸がしっかりしている。色白で線が細くて、外見だけは頼りなげだけれど、凛とした性格ゆえか、大人びた雰囲気を感じさせる。
そのアオイが言うのだ。恋するタイミングは自分で決めたい、と。
私もそうしよう、とナナハは心の内で拳を握る。みんなに言われて恋をする必要なんてない。自分で必要になったらすればいい。
安堵しながら靴に足を突っ込んだとき、おおい、と聞きなれた声が聞こえてきた。
「何だよ、アオイ、なにも言わずに行くなって」
「ごめん」
靴箱の陰から顔を出したのはシュンだ。色素の薄い髪を乱暴にかきあげながら走ってきた彼はアオイの肩に腕を回す。
「ナナハ、どした? えらく景気悪い顔してんな」
「ナナハは恋について悩んでるんだって」
アオイがさらりと暴露する。ちょっと、とナナハはアオイに向かって拳を振り上げる。
「変な言い方しないでよ。私にはネモフィラは咲いてない」
「わかってるわかってる。そんな頭押し付けてこないで」
真っ黒な髪をアオイに向かって突き出すと、くすくすと笑いながらアオイがのけぞった。が、そこでふっと目線を横にずらす。
「シュン、どした? なんか元気ないけど」
アオイの声にナナハもシュンを見る。シュンはアオイの肩に片腕を回していたが、ぱっと笑顔の温度を上げた。
「全然! 元気なくなんてないし。それよりさ、今日の宿題、やばくね? 俺、解ける自信ないわ〜」
行こうぜ、と言いながらアオイの肩から腕を解き、先に立って歩き出すシュンの後ろについて歩を踏み出しながら、ナナハは息を止めた。
シュンの右耳の後ろに青い色が見えた。他の髪で覆うように撫でつけられていたけれど、鮮やかな青は隠しきれなかった。
ネモフィラが伸びようとしていた。
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