3.裏切り

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3.裏切り

 自宅に帰ってからも、ナナハは落ち着かない気持ちでいっぱいだった。  別にシュンの髪にネモフィラがあろうとなかろうと、どうでもいいといえばいい。けれどなんだか裏切られたような気がしていた。  アオイは言った。自分のタイミングで恋をしたい、と。それくらい淡泊で、その淡泊なアオイ同様、シュンも恋に興味なんてまるでなさそうな顔をしていた。だからこそナナハも安心して彼らといられたのに。  これは裏切りだ。  翌日からナナハはシュンと口を利かなくなった。アオイとはいつも通りに会話をするけれど、シュンが近づくとその場から走って逃げた。 「ナナハ」  けれどそうして避け始めて二日、眉を顰めたシュンによって帰り際、ナナハは呼び止められた。無視しようとしたが、シュンは容赦なくナナハの腕を引っ掴み、体育館裏へと連行された。 「お前、なんで俺を避けるの」 「別に」 「避けてるよな。嘘つくなよ」  シュンはアオイと比べて短気だ。肩を掴まれて、ナナハの怒りの導火線にも火が点いた。 「結局さあ、シュンもそうでしょ。私やアオイと遊んでてもさあ、他の人のこと考えてるんでしょ」 「……は?」  わけがわからないという顔でシュンが眉間にしわを寄せる。その顔を見ていたら腹が立ってたまらず、ナナハは遮二無二手を伸ばし、シュンの髪を引っ掴んだ。  青い、ネモフィラを。 「これ! 咲いてるじゃん! 隠しきれてないっての!」  ふっとシュンの顔に朱が差した。その顔だけで充分だった。掴んだときと同じ乱暴な仕草で髪から手を離したナナハを、シュンは苦しげに見つめていたが、ややあってため息をついた。 「見つかっちゃったか。けど、俺、お前らといるとき、他のことなんて考えてない」 「嘘!」 「嘘じゃない! だって、俺、俺が好きなのはさあ!」  体育館裏にシュンの声が響く。彼は自身のネモフィラを右手で握りしめて掠れた声で告げた。 「アオイ、なんだ」  どんな顔をしていいかわからなかった。口を開けたナナハからシュンは気まずげに目を逸らす。 「なんか変だなって思ったのは最近なんだ。アオイ、さ、告白されたんだよ。同じクラスのユウカに。アオイは断ってたけど……そのとき思っちゃったんだよ。このまま一緒にいるとこういうことはきっと何度もあるんだろうなって。今回は断ったけど、OKする日も来るのかなって。そう思ったら怖くなって」  大柄なシュンが身を縮める。心細げな彼を見ていたら、さすがに怒り続けることもできず、ナナハはシュンの肩に手を置いた。 「確かにアオイは、恋は自分でタイミング決めるとか言ってたね」 「そうなんだ。そのタイミングがいつ来るのか、わからなくて怖い。なあ、ナナハ、俺、どうしよう」  呻いてシュンはその場にしゃがみ込んでしまう。梅雨が始まったばかりだというのに、じりじりと一匹だけ鳴いている蝉の声を聞きながら、ナナハは頭を抱えた。  勝手にネモフィラ畑の住人になった彼に憤りは確かに覚えている。けれども子どものころから一緒に遊んできたシュンがしおれているのを見るのも忍びなかった。 「告白、したら?」 「無理! だってアオイにはネモフィラ咲いてないんだもん。俺の気持ちを知ったら、100%距離置かれる」 「アオイはそういうことしないでしょ、多分」  そうだ。アオイは感情と理性を切り離しておけるタイプだ。シュンの恋心くらいで動揺なんてしない。  しないけど。 「だとしても俺の心臓が持たない」  シュンがうなだれると、柔らかそうな髪の毛が彼の顔を隠した。淡い茶色の髪の中に紛れた青い一房の髪に、目が吸い寄せられる。  ……シュンは本当にアオイが好きなのだ。 「伝えてあげようか。シュンの気持ち」  ナナハがそう言うと、シュンはぱっと顔を上げた。 「いいの?!」 「いいよ。そのうえで今まで通り接してくれるよう私からも頼んでみるよ。普通に接してたらそのうちシュンの恋も消えるよ。で、元通り」  ふっとシュンの顔が曇る。 「それで、いいのかな」 「いいもなにも、アオイにはその気持ちないんだもん。アオイのそばにいたいならそうするしかないでしょ」  畳みかけると、シュンは大きな手で口許を覆いながら、ぎこちなく頷いた。 「そう、そうだよな。恋人になれなくたって……一緒には、いられるよな。元通りになれば」 「そうだよ」  シュンに力強く頷き、ナナハはシュンの顔を覗き込んだ。 「大丈夫。私に任せて」
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