鼻歌

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                      煌歴(こうれき)823年。その年は残暑が長引いていた。暑さに耐えられなかったのか、国民に慕われた高齢の国王が崩御された。  大陸の西の果てにある小さなこの国でも、次の王座をめぐって争いが起きるのでは、と多くの国民は懸念していた。  後を継ぐはずだった国王の息子は5年前に戦死している。その娘のセレーア姫は16歳になったばかり。  以前、国王が一度お倒れになったおり、公務の手助けをしたのが王家の親戚筋にあたるヴォスベル公爵だった。国王が回復された当時でも、お体の調子を心配されている(てい)で、ヴォスベル公爵は公務から退(しりぞ)かなかった。  今や、実権を握っているのはヴォスベル公爵の一家だ。  それゆえヴォスベル公爵が、セレーア姫が後を継ぐのをただ、黙って見守るようには思えない。  崩御された国王は晩年、公務を退かなかないヴォスベル公爵を咎めなかった。争いごとが国民のためにならないことを知っておられたのだ。  手のあいた国王は鼻歌まじりに城の花園の世話をしていたという。 「夜は空を見上げるもの  夜空に輝く月は私に微笑む  何もかもが月の気分次第  空を見上げなければ始まらない  よく肥えた月よ  私を連れてゆく」  お倒れになる前まで国王は働き詰めだったからか、かすかに聞こえてくる調子はずれの鼻歌は意味のわからないものだった。  なんの手立てもないままに国王が崩御された今、城に仕える者たちも、このままヴォスベル公爵の思い通りになるのでは、と危惧していた。 「セレーア様。またヴォスベル公爵が勝手に法を変えたらしいですよ」 「この間捕まった盗賊が、無罪放免されたらしいですよ。きっと、ヴォスベル公爵一家と関係ある者なんだわ」  侍女のフィッツィーも危惧するひとり。用のあるたびにセレーアに巷の話を報告していた。実権を握るヴォスベル公爵が好き勝手にすることが我慢ならない様子だった。  ある日、お茶の用意を頼まれたフィッツィーがセレーアの部屋に向かった。  ドアを開けるなり、 「聞いてくださいよ。トーマの店が繫盛しているからって、法外な税をヴォスベル公爵が──」  いつものフィッツィーの報告が始まったが、言葉に被せるように、セレーアが 「お客様ですよ」  と窘めた。それで、セレーアが座るテーブル席の向かいに腰掛けている客人がいることに気付く。こともあろうに、その客人はヴォスベル公爵だった。 「失礼いたしました」  深く一礼する。  白髪交じりのヴォスベル公爵が落ち窪んだ目でフィッツィーを見たが、 「それで、戴冠式のお話でしたよね」  と、フィッツィーが入ってくる前の話題にセレーアが戻した。 「ええ、そうです。いくら喪に服していると言え、準備をしなければ。聞けば、戴冠式の記録も残っていないとか。どのように、進めましょうか。ノーズタンウ寺院の予定もありますでしょうし」  気配をすっかり消して、部屋の隅に置いたワゴンでお茶を淹れているフィッツィーは、ヴォスベル公爵が戴冠式を進めている様子にピクリとする。 「日時を決めなければならないのはもちろんのこと、王冠のありどころも教えていただかないと。準備をしようにも……」  フィッツィーが淹れたお茶をトレイにのせて、セレーアたちのテーブルの傍に寄った。 「ええ。ご子息のサイズに合うように手を加えなければなりませんものね」  セレーアの相槌に、フィッツィーは思わずティーカップを、音をたててテーブルに置いた。  王冠をヴォスベル公爵の息子に? 王位を継ぐのはセレーア様ではないの?  フィッツィーはすぐに、セレーアに聞きたかったが、ヴォスベル公爵の落ち窪んだ目がフィッツィーを捉えていた。 「ヴォスベル公爵。王冠ですけれど、私も何処にあるのか知らないのです。祖父からは何も聞いていないものですから」  落ち窪んだ目が見開かれる。 「なんと。セレーア様も知るところではなかったのですか」  フィッツィーは胸をなでおろした。これで、戴冠式は延期されるかも。その間に、セレーア様にしっかり王位を継いでもらうように説得しなければ。  フィッツィーは延期されることを期待してワゴンのところにさがる。が、 「では、王冠を新調するのはいかがでしょうか」  忌々しいヴォスベル公爵の提案だった。  フィッツィーは固まって、セレーアの返事を待った。 「そのほうが早いかもしれませんね」 「どうして、王冠を新調することをお認めになられたのですか?」  ヴォスベル公爵が帰られたあとのセレーアの部屋だ。  王位はセレーアが継ぐと疑わなかったフィッツィーは裏切られた心地だった。  セレーアは微笑むばかりでフィッツィーの疑問には答えなかった。  年が明け、戴冠式の日がきた。真っ暗な夜空に、煌煌と満月が輝いていた。  関係者たちがノーズタンウ寺院に集まる。  古くから続く寺院はこの国の戴冠式を幾度と見守っていた。前国王の戴冠式は65年前に行われた。だから関係者であろうとも、戴冠式を実際に見たことがある人は少なかった。  それに夜中に戴冠式が行われるのが、この国の伝統だと、始めて知ったものも多かった。  尖った三角屋根の寺院の中は、吹き抜けのように天井が高い。天井の一番高い位置に丸いステンドグラスの窓がある。  聖職者が信仰する像に祈りを捧げ、新調された王冠をヴォスベル公爵の息子の頭に載せようとしたとき、天井の丸いステンドグラスから月明かりが差し込んだ。  色とりどりのステンドグラスの光が寺院の端にいたセレーアの頭部に集まる。  寺院内でどよめきが起こる。 「神に愛されし者」 「まさに、あの光がこの国の王冠」  前回の戴冠式を思い出した年老いた参加者2人が、口々に叫んだ。  ヴォスベル公爵が立ち上がる。 「黙れ! 月光が王冠など、たわけたことを申すな!!」  その叫びに、参加者らは見向きもしない。  新調された王冠など、偽物にしか見えない。参加者らには月光に照らされたセレーアこそが真の後継者であるとしか見えなかったのだ。  翌日の夕方になってやっと、フィッツィーはセレーアと話せた。  王位を継いだセレーアは今日一日、ヴォスベル公爵の権限を縮小し、さらに慣れない公務で忙しかったのだ。 「セレーア様は寺院のステンドグラスから入る月明りが本当の王冠だって、ご存知だったのですか?」  セレーアは、またニッコリと微笑む。  その笑顔は知っていた、ということなのだろう。フィッツィーは、疑問に思った。 「記録もなく、王様から言付けも文もなく、どうやって王冠のことをお知りになったのですか?」 「あらフィッツィー。それは、あなたも良く知っているわよ」  思わぬセレーアの返事に、フィッツィーは首を傾げた。 「お祖父様はいつも鼻歌を歌っていらっしゃったじゃない」  フィッツィーの頭の中に、前国王の訳の分からぬ調子はずれの歌が思い浮かんだ。 「あの歌が何か?」  目をしばたいているフィッツィーの様子を可笑しそうに見たセレーア。 「あの歌で、教えてくれていたのよ。戴冠式は満月の日にせよ。月の光が私を導いてくれるって」 「ええ?」  あの鼻歌にそんな意味が? だから、前国王は繰り返し歌っておられたのか。それも、歌詞の意味が孫娘にしか分からないようになっていたなんて、フィッツィーはただただ驚くばかりだ。  ヴォスベル公爵がこのまま黙っているかは、今は分からない。けれど何はともあれ、王位はセレーアに。争いごとが嫌いな前国王の鼻歌のおかげで、無事に引き継げたのが、この国らしいと言えばこの国らしかった。
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