第六章【延長線上】二月二十八日

1/1
前へ
/16ページ
次へ

第六章【延長線上】二月二十八日

◆  翌朝「はい、おはようございます」という、初老の男性と思われる元気な声で目覚めた。  その直後、私が眠っていた部屋には、まぶたを透けるほどの陽光が差してきた。 「冬哉、ちょっと。客間に、女の子が寝ているぞ」  その声は、隣の部屋で眠っている冬哉に向けられた言葉のようだった。 部屋が隣といえども襖一枚で仕切られているだけなので、防音性は皆無である。 「宮司(ぐうじ)か。おはよう」 冬哉も寝起きらしく、その声はかなり掠れていた。 「昨日、来るかも知れないっていってた客人だよ。杏里さんだ」  私はガンガンと痛む頭を抑えながら、隣の部屋に移動して、宮司さんに挨拶をした。 「私はこの神社の宮司です。いやぁ、客人が来るとは聞いていたのですが。なぜか男性だと思い込んでいたので、驚きました」  宮司さんはそういうと、なぜか頬を赤らめた。  それから私たちは、彼の家で朝食をご馳走になった。 冬哉が宮司の家で食事をすることは、時々あるらしく宮司の家族は私たちを歓迎してくれた。家にはたくさんの子どもがおり、家の内外で子どものはしゃぐ声が響いていた。  冬哉は一人で住んでいるといえど、近くにこういう場所があることに、私はなんだかほっとした。 ◇  朝食後、私たちは彦根藩邸へと向かった。  昨晩の記憶はしっかりと存在しており、私は冬哉に返せぬ恩を受けたと感じていた。そしてあれほどの失態をさらした後では、なにをどう取り繕っても無駄であるとも思っていた。  彦根藩邸へと向かう途中でふと日が陰ったかと思うと、上空には大きなカラスのような何かが飛行していた。  私がそれを見上げると、冬哉も空を見つめた。 「天狗だよ」  冬哉は当然のようにいった。  この世界には当たり前に天狗が存在するらしい。もしくは私のいた世界にも、天狗はいたのかも知れない。  なんだかずっと見ていたくなるような、そんな姿だった。  彦根藩邸に到着すると、主膳(しゅぜん)が私たちを藩邸内の茶室へと案内してくれた。 「ここがどこよりも、落ち着いて話せる。茶室の周辺は、主膳が見張ってくれているから安心だ」  直弼はそういうと、私たちにお茶を振る舞ってくれた。 「さて。なにから聞いたものか」  直弼はそういって苦笑した。  昨日は感じることのできなかった、彼の緊張が伝わってくる。  自分はどのように暗殺されたのか、もしくは暗殺されずに寿命をまっとうできたのか。そんな質問を未来の者にするには、緊張して当然なのだろう。  そもそも昨日に関しては、私を歓迎することだけを目的としていて、私情は一切挟まぬようにしてくれていたのだろう。 「先に確認したいことがあるんですけど、いいでしょうか」 「はい、もちろんです」  直弼はいった。 「私はこの世界の延長線上にある未来から、やってきたと思います。でも、ほんの少しですが、似て非なる世界の未来からきた可能性もあると思っているんです。一応、その確認をしたいんです」 「似て非なる世界か。そういうこともあるのか」  直弼は冬哉を見つめた。 「未来の者を転移術で呼び出したわけだが、別の世界というものが存在するなら、その可能性はあると思う。杏里さんのいうように、その可能性は低いとは思うけど」  私はおそらく、この世界の延長線上の未来からやってきた。  しかしそれを疑わしく思った理由は、聞き慣れない妖将官(ようしょうかん)という職業の存在だった。後世に語られない歴史も存在するとは思う。しかし私はそのことが、妙にひっかかったのだった。 「私の知る歴史と、この時代に大きな齟齬がないかを確かめさせて下さい」 「わかった。そうしましょう」 「直弼さんが大老(たいろう)になったのは、今から二年前。安政五年であっていますか」 「あっています。私は先代の将軍、家定(いえさだ)様に命じられて、今から二年前に大老に就任しました」 「日米修好通商条約に調印したのは、その年の六月十九日」 「その通りです」  直弼はいった。冬哉も「よく知ってるな」と関心してくれた。  大学の二次試験では日本史と地理を選択していたので、最近まで必死で勉強していた。それがこうして役に立つのだから、わからないものである。 「その数日後、調印を不服とした水戸(みと)藩主(はんしゅ)徳川(とくがわ)斉昭(なりあき)らが江戸城に不時登城(ふじとじょう)し、謹慎などの処分を受けたと記憶しています。これに間違いはないでしょうか」  江戸城は登城日が決められている。それ以外の日に登城することは禁止されており、処分の対象であった。 「事実です。間違いありません」  不時登城した徳川斉昭という人物は、名君であると同時に、寺院の仏像や釣り鐘を大砲の材料にするなど、なかなかすごいことをしていた人物である。そのため、不時登城以前にも謹慎などの処分を受けていたことがある。 「そして斉昭らが不時登城をした翌日、私は徳川(とくがわ)家茂(いえもち)様を将軍(しょうぐん)継嗣(けいし)とすることを公表しました」  先代の徳川(とくがわ)家定(いえさだ)には子どもがおらず、当時は将軍継嗣問題という政争があった。血統を重んじて家茂を推す南紀派(なんきは)と、大事に対応できる将軍を立てるべきと慶喜(よしのぶ)を推す一橋派が対立していた。直弼は南紀派であり、斉昭は一橋派であった。ちなみに慶喜は斉昭の実子である。  結果として将軍継嗣問題は、南紀派が勝利したわけである。 「先代の家定様は慶喜嫌いで、早々に内示は出ていたんだろ。大奥の方でも、家茂様を推す声が大きかったとか」  冬哉がいうと、直弼は苦笑した。 「家茂様はお若いし、器量がいいからな」  いつの時代においても、若くて器量のいい者は人気が出るらしい。 「家茂様は今、おいくつでしたか」  かなり若かったはずである。 「十五なられました」  つまり彼は十三才で将軍職に就いたわけである。大奥が十三才を将軍にと騒いだのは、国民性だったりするのだろうか。 「日米修好通商条約の調印も、一橋派に()められたって聞いたけど。実際のところは、どうなんだ」  冬哉はいった。 「()められたとは思っていない。しかし結果的には交渉に向かわせた二人が、一橋派だったので左遷した。彼らは私の言葉を誤って受け取り、調印してしまったと主張していました」  日米修好通商条約に調印した二人が一橋派で、さらには左遷されていることは記憶していなかった。二次試験にその辺が出題されていなくてよかったと、変な汗がでた。 「不勉強で申し訳ないのですが、そこまでは知りませんでした。でも、私が知っている歴史と大きな齟齬はありません。日米修好通商条約を締結してからほどなく、戊午(ぼご)密勅(みっちょく)……えっと孝明(こうめい)天皇の勅書(ちょくしょ)が水戸藩に送付されたと記憶しています。そして今の弾圧に至っているというのが、私の学んだ歴史です」  戊午の密勅とは、幕府が朝廷の許可なく日米修好通商条約に調印したことを不服として、朝廷が幕政改革(ばくせいかいかく)を指示した勅書(ちょくしょ)、つまりは(ふみ)を、直接水戸藩に渡した事件である。  朝廷が幕府を無視して水戸藩に勅書を渡したことで、幕府の信頼は失墜することになった。  そのため幕府は戊午の密勅に関わった者たちを粛清していった。それが安政の大獄(たいごく)を本格化させることになった。この時代においては、戊午(ぼご)の大獄と呼ばれていたはずである。その粛清対象は公家(くげ)にも及んでいたが、その多くは水戸藩の者だった。 「おっしゃる通りです。現在は、大規模な弾圧をしております。この国は幕府を中心に一つになるべきなのだと、私は思っております。国内が一つになっていない状態では、異国の者にいいようにされてしまいますから」  異国を前にして、国内で争っている場合ではない。幕府を中心に一つになるべきである。  それが直弼の主張であることは、充分に理解できる。しかし今の幕府にはその力がないと判断したのが、数年後の日本の姿だった。 「最近になって、水戸藩と薩摩藩を脱藩した浪士たちが、私の暗殺を(くわだ)てているという情報を得ました。そのため私は冬哉に頼んで、未来を知る者を転移術で呼び出してもらったのです。私が死んでは、この国は混乱に陥り、国内で戦争が起きます。私はそれを、どうしても避けたいのです」  直弼ははっきりとした口調でいった。 「杏里さんの生きた時代には、国内で戦争はありましたか?」  直弼は私に問うた。 「いえ。私の生きていた十七年間では、国内で戦争は起きていません」  第二次世界大戦が終戦したのは、現代日本から約八十年前のことである。  しかしその事実さえも、私にとっては遠い昔の話に思える。 「では杏里さんも、私たちと同様に、戦争を知らないのですね」  太平の世、この時代はそう呼ばれていた。  二百六十年もの間、平和が続いた時代。 それは私が思う以上に、すごいことなのかも知れなかった。 「そうですね。知りません」 「戦争とは、どんなものだと考えますか」  殺し合いとか、そういう安直な言葉しか浮かばなかった。  しかし直弼が求めている回答は、そういう類のものではないのだろう。  私が言葉に窮していると、直弼は再び口を開いた。 「では、平和や安寧とは、どういうことだと考えていますか」  平和とか安寧なんて言葉を聞くと、私はこの世にはいない母の顔を思い出す。 「同じ人と、同じ場所で、安心して食事ができることでしょうか」  私がいうと、直弼は深くうなずいた。 「それができなくなるのが、戦争であると考えます。どれだけ私が恨まれようとも、戦争を防げている今、この国はまだ平和の中にあります。戦争だけは、どうしても避けたいのです」  この時代、つまりは二百六十年の太平の世が終えた時代を、日本の夜明けと形容する。しかし井伊直弼を前にした今、日本は本当に夜の中にあったのだろうかと考えてしまう。 「私が知っている、井伊直弼の最期を話します」  私の言葉に、直弼と冬哉のまとう空気が変わったことが感じられた。 「安政七年、三月三日。大老、井伊直弼は桜田門近くで水戸浪士たちに襲撃されて、命を落とします」  私は一息にいった。  言葉を発した私自身の手も、ひんやりと冷たくなった。 「ここからは私の見解ですが、おそらくその暗殺を阻止することはできません」  理由を問うように、二人は私に強い視線を向けた。 「私はこの世界の延長線上にある未来からきたと断定していいと思います。つまり私は、井伊直弼が暗殺された未来からきています。だからこそ、井伊直弼の暗殺は阻止できないと思います」  私の言葉を咀嚼するべく、二人は沈黙した。  井伊直弼の暗殺は阻止できない。 これは私が、早々に結論付けたものである。  しかし井伊直弼を死なせずに済む方法が、一つだけ存在する。  私がそれを口にして、歴史が変わる可能性がどれほどあるのかわからない。  それでも私は、彼に死んで欲しくないと思っていた。昨日の食事で、今までの会話で、力になりたいと思ってしまっていた。  だからこそ、その方法を口に出さずにはいられなかった。 「でも、直弼さんが死なず、歴史も変えない方法が一つだけあります。歴史に、井伊直弼が死んだと誤認させて下さい」  私がいうと、二人はしばし沈黙した。 「つまり身代わりを立てろという話か」  冬哉の言葉に私はうなずいた。 「たしかに直弼さんの顔を知る者は少ない。充分に、実現可能な話だと思う」  冬哉はいった。 「井伊直弼は大名行列の駕籠から引っ張り出されて、そして殺されました。駕籠に入っている人物が井伊直弼でなくても、その場にいた人間は井伊直弼が殺されたと認識すると思います。でも、駕籠に乗る人物は、首を斬られて死ぬことになります」  それから私は、桜田門外の変について知っているすべてのことを二人に話した。  私の話を聞いた後で、直弼は長く息を吐いた。 「詳細を教えてくださり、ありがとうございます。当日の動きについては、これから慎重に考えます」  直弼はそういって、私に頭を下げた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加