第七章【癇癪】二月二十八日

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第七章【癇癪】二月二十八日

◆  茶室から出ると、直弼の肩にぼんやりと黒い影が浮かんでいた。 「また鬼虚(おにこ)が憑いてるぞ。この屋敷には簡単な結界を張っているのに、どれだけ恨まれてるんだ」  冬哉は呆れたようにいった。  直弼の肩にある黒い影が、昨日話していた鬼虚と呼ばれるものらしい。 「厳しい弾圧を強いているからな。しばらくは仕方がない」  直弼は苦笑した。 「後ろを向いてくれ、散らしてやる。神域じゃないから、簡易な処置になるけど」  冬哉がいうと、直弼は素直に後ろを向いた。  それから冬哉は人差し指と中指を立てて、短い詠唱をした。その後で冬哉は自分の指に、ふっと息を吹きかけた。  途端に、直弼の周囲にあった鬼虚は霧散した。 「いつもすまないな」 「近いうちに、また神社に来た方がいい」 「そうだな、時間を作ろう」  直弼はそういって目を伏せた。 ◇ 「なぜ別の世界から来たと思ったんだ?」  彦根藩邸を出た後、冬哉は不思議そうにいった。  自分の転移術に自信があれば、疑いが持てなくても当然である。 「妖将官(ようしょうかん)という職業に、あまりにも聞き馴染みがなかったから」 「そういえば昨日、そんな話もしたな」  できれば昨日のことは少しも思い出してほしくなかったが、今更なにをいっても無駄である。  私は話を帰るべく、気になっていたことを口にした。 「気のせいじゃないと思うんだけど。冬哉の肩に、鬼虚がついてるよね」  冬哉はそれに気付いていたらしく「ああ」と、なんでもないようにいった。 「神社で散らさなかったからな。直弼さんの鬼虚が、うつってきたんだ。でも放っておいても、一日もすれば消えると思う」  考えてみれば、どこでも鬼虚を散らせるのなら、直弼がわざわざ平河神社に来る必要もないのだろう。 「自分に憑いた鬼虚を散らすことはできないの?」 「できないこともないけど、効果は薄い。基本的に自分自身にできるのは、予防だけだ」 「私が術を教えてもらったら、それを散らすことはできるかな」 「できると思う。術を覚えたいなら本を貸そうか。うちには直弼さんがくれた本がたくさんあるから」  ボォン。  私がうなずくと同時に、鐘の音が響いた。  正午を知らせる時の鐘である。  この時代は明け六つ、昼九つ、暮れ六つの時の鐘が鳴る。その鐘は、江戸城を囲む九ヶ所で鳴っている。 「この鐘、妙な響きが混ざっていると思わないか。おそらくだけど、見鬼にしか気付けないものだと思う」  冬哉はぽつりといった。  いわれてみると、鐘の音以外に異音が聞こえるように思えた。  そもそも私が転移してすぐ聞いた奇妙な音は、この音だったのだろう。 「鐘の音以外にも、なんだか不安になるような、そんな音がする」  冬哉は「そうか。わかるか」と、ほっとした表情を見せた。  その表情をみて、本当に見鬼が少ないのだろうと思わされた。 「少し前から感じていたんだが、勘違いかも知れないとも思っていた」  自分の感覚を共有できる人は、きっとどの世界にも多くはないのだろう。 「最近この時の鐘を聞くと、妙な胸騒ぎがするんだ。なにかよくない力が動いているような、誰かの妙な術が発動しているような、そんな気配がするんだ。そうだとすれば、たぶん下法(げほう)の類だとは思うけど」 「下法?」 「禁止されている術のことだ。俺は髪を代償にして、転移術を発動させたが、基本的に代償が必要な術は、下法と呼ばれてる」  冬哉はそういって、切りっぱなしの自分の髪をつまんだ。  つまり私は禁止されている転移術で、この時代に来たわけである。  その後で冬哉は思い出したように「そういえば」と顔を上げた。 「直弼さんを襲うのは水戸浪士なんだよな。鐘のことも気になるし、杏里さんがよければ、寄りたい場所がある」  不都合はないので、私は即座に了承した。 「太郎坊(たろうぼう)神社に寄りたいんだ」 ◆  太郎坊神社は、彦根藩邸から二・五キロほど離れた場所に存在していた。  冬哉が「ここ」といった先には、長い石段があった。  体育の授業以外では体を動かす機会はほとんどなく、体育の授業もすでに私の生活は消えていた。そのため私は、久しぶりに自分の体を酷使していた。  冬哉はそんな私を「がんばれ、がんばれ」と、愉快そうにみていた。  長い石段を登ると、広い境内があった。  そしてそこには、参道を掃いている二十代半ばと思われる男性がいた。冬哉とは違い、ひと目で神職とわかる姿である。 「松成(まつなり)。久しぶりだな」  冬哉がいうと、松成と呼ばれた男性は顔を上げた。すっきりとした顔立ちのせいか、どこか品の漂う人に思えた。 「冬哉か。なぜ、そんな頭をしているんだ」  松成は不思議そうに冬哉の髪を見つめた。この時代において、短髪はめずらしいのだろう。 「ちょっとな。切った」 「どうせ井伊直弼にそそのかされて、妙な術でも使ったのだろ」 「どうかね」  冬哉はとぼけてみせたが、ほとんど正解である。 「ところで、そちらのお嬢さんは? お前が客人を連れているなんてめずらしいな」 「杏里さん。見鬼なんだ。数日ほど、一緒に過ごすことになった」 「はじめまして」  私は松成に頭を下げた。 「はじめまして、浮島(うきしま)松成(まつなり)と申します。私は冬哉の、義兄のようなものです」  松成はとても爽やかに微笑んでくれた。 「義兄ではないだろ」  冬哉はすかさずいった。 「義兄といえば分かりやすいだろ。実際に数年ほどは、ここで暮らしていたわけだしな」  冬哉は「それはそうだが」といった後で、なにかに気付いたように視線を移した。 「トウヤ! トウヤだ!」  冬哉の視線の先には、冬哉の名を呼ぶタヌキがいた。冬毛のせいか、通常のタヌキよりも大きく見える。 「あれは妖怪?」  私はいった。 「あれは、ただのタヌキだ。でも人語を話せるから、ほとんど妖怪みたいなものかも知れない」  冬哉はそういうと「日があるうちに起きてるなんて、めずらしいな」と、タヌキの方へと歩いていった。 「杏里さんはなにか、訳ありの見鬼なんですか?」  松成は遠慮がちに私に聞いた。 「そうですね、そんな感じです。松成さんは、冬哉とは仲がいいんですか?」 「私はそう思っていますが、冬哉に関してはどうなんでしょうね」  松成は苦笑した。 「冬哉が、この神社に捨てられていたという話は聞きましたか?」  初耳である。 「いえ。捨て子だとは聞いていましたが、どこに捨てられていたとか、そういう話は聞いていませんでした」 「そうなんですね。冬哉は生まれてすぐに、この神社に捨てられていたんです。それから子どものいない老夫婦に引き取られたんですが、冬哉が三才になる頃、再びここに捨てられたんです。なんでも癇癪(かんしゃく)がひどくて、自分たちの手には負えないからということでした」  とんでもなくひどい話である。 「見鬼は癇癪がひどいといいますから、老夫婦も大変だったのでしょう。でも赤子の時点で、見鬼とわかっていたなら、冬哉はよその夫婦に預けられることもなかったかも知れません」 「そうなんですか?」 「浮島家は代々見鬼の家系ではあるんですが、私も兄弟たちも、見鬼というよりは、見鬼もどき程度の力しかないんです」  冬哉の髪には言及したが、鬼虚に言及しないのはそのせいなのかと、私は合点した。 「冬哉は赤子の時、ここに捨てられたわけですが、発見があと数分も遅れていたら命はなかったと聞いています。生死の境を彷徨(さまよ)った者が、見鬼の才に目覚めるのは有名な話ですが、冬哉はおそらくそれだったのでしょう。冬哉が優れた見鬼とわかってからは、祖父は彼を養子にしたいといいました。しかし冬哉はそれを拒んで、数年後には丁稚奉公(でっちぼうこう)に出たんです。だから冬哉と私が一緒に住んでいたのは、ほんの数年だけでした」  丁稚奉公とは、商人などの家で下働きをする年少者を指す言葉である。つまり冬哉は幼くして働きに出たらしい。 「ここの養子にならなかったのは、なにか理由があるんでしょうか」  私はタヌキと遊ぶ冬哉の背を見つめながらいった。 「冬哉は聡い子どもだったので、私や私の兄弟に気を使ったんだと思います。冬哉は今、タヌキと遊んでいますが、杏里さんにはタヌキの声や気配がわかりましたか?」 「はい、冬哉の名前を呼んでいました」 「私には、その声が聞こえませんでした。タヌキの姿は見えますけども」  松成はどこか恥ずかしそうに微笑んだ。そんなことをいわせてしまったことが、なんだかひどく申し訳なかった。 「私も兄弟たちも、見鬼としての力はその程度なんです。だから私は今、祖父と目を共有して、見鬼の目に慣れるようにしているところです」 「目の共有? そんなことができるのか」  タヌキを撫で回した後で、冬哉はこちらに戻ってきた。 「互いの了承があれば、成り立つ術だ」  松成はそういうと、自分の手で右目を塞いた。開かれた左目は怪しげな光を含んでいた。 「へぇ、すごいな」  冬哉は素直に関心している様子だった。 「自分の視界と、お祖父(じい)さまの視界が混じって混乱することもあるがな。気長にやるさ。あれ。お前、妙な鬼虚が憑いてるな? 井伊直弼の鬼虚を祓ってるんだろ。それが憑いてるのか?」 冬哉は「まあ、ちょっとな」と、会話を流した。 「ところで、なんでじいさんの目なんだ。一恵(いっけい)は、じいさんと同等の見鬼だと聞いてるけど」  冬哉がいうと、松成の表情はかすかに曇った。 「父は今、投獄されている。そもそも父自身も、私と同じやり方で見鬼の目になったと聞いている」 「一恵が投獄って。なんで、そんなことになっているんだ」  文脈から察するに、一恵とは松成の父なのだろう。 「父は黒船来航以降、尊皇攘夷(そんのうじょうい)思想に取り憑かれてしまったことは聞いているだろ。私を長州(ちょうしゅう)藩に仕えろと言い出すほどには、幕府を嫌っていると」  長州藩は幕府を潰すために、当時は過激なことをしていた藩である。 「ずっと前に、じいさんから聞いた気がする。でも俺はここを出てから、一恵とはほとんど会っていないんだ」 「お前がここに顔を出すのも、一年に一度くらいのものだしな。父は幕府を批判する風刺画を多く書いていたから、投獄されたんだ。だから直弼の弾圧がはじまってからは、こうなることは覚悟していた」  松成はそういって目を伏せた。 「そういえば一恵も松成も、絵師としても活動しているんだったな」 「絵師の方が実入りがいい時期もあるからな。昨日も、大名行列の絵を依頼されたよ。風刺画があると瓦版(かわらばん)はよく売れるらしい」 桜田門外の変でも、多くの風刺画が描かれたと聞く。  それは井伊直弼を暗殺した水戸浪士たちを英雄のように描いた絵ばかりだったと聞いたことがある。 「俺も多くの風刺画を描いてきたし、そのうち投獄されるかも知れない」  松成は「それも仕方のないことだがな」と、失笑した。
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