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道路上で脱皮しかけた蝉が見える。ハタタカは一生懸命走った。
『ゲンゴロの言った通りなのだ…!』
下男は振り向くと、慌ててハタタカの方に戻ってきた。蝉が羽を伸ばす。
「あっ、イヤーマフ!」
ゲンゴロが、ハタタカの耳に自分のマフをかけて塞ぐ。
直後、蝉が鳴いた。
「ゲンゴロ⁈」
下男は、ハタタカの足元に倒れた。耳から黒い血が溢れ出す。
「…!」
蝉は何度も鳴き、合間にモソモソと体の向きを変えていく。あの居酒屋の方向だ。
『地面で脱皮して、まっすぐ飛んでくるやつ…!』
ハタタカは走った。蝉と居酒屋の直線上に入れるよう、めいいっぱい杖を伸ばす。雷を杖の先に集中させよう、少しでも触れれば…!
蝉が、一直線に飛ぶ。
バチン‼︎ と、大きな音がして、蝉は灰になった。
蝉を生み出したのは、若い音楽家だった。ハタタカに、携帯からなにか重々しい音楽を流して聞かせた。
「下品な音楽にうつつを抜かすやつらは、私の本物の音楽を聴くべきだ痛い!」
ハタタカは音楽家に小さく雷を流し、魔物を作り出すカケラを壊した。
「なんて乱暴な勇者だ!」
「貴方こそ乱暴なのだ!」
ハタタカは叫んだ。叫んで、涙が出た。
こんなくだらない理由で、みんなが耳を痛めて、ゲンゴロの歌も聴けなくなったことが、悔しかった。
ゲンゴロは、路肩に座り込んでいた。百年ものの不死身の身体は、治りが遅くてまだ目眩がする。仕方なくそのまま、ベソをかきながら戻ってきた勇者ハタタカの話を聞いた。
「んな、しょうもねぇことで泣くなよ」
「…だって…」
「人殺しの歌なんざ、聴いても仕方ねえだろ」
「違うのだ!」
若き勇者の大声は、元殺し屋の脳天を貫いた。
「私は、ゲンゴロの故郷の歌が聴きたいのだあぁ!」
古の勇者は、痛みに頭を抱えた。
『俺はまた…故郷を消すところだったのか』
※※※
ヒアは待っていた、しっかり録画機器を準備して。
まだ目眩は残っていたが、弾き語ることはできた。
あの花は かつて見た花
あの空は かつて見た空
あの花や空を
教えてくれた故郷が
今もおもかげの中に
だから花の向こうに
だから空の向こうに
わたしは故郷を 懐かしむ 懐かしむ
ハタタカは、酔っ払ったゲンゴロが何故いつも、この曲を最後にするのか、わかった気がした。
彼の故郷カルカナデは、百年前に滅んだ。今は本当に、おもかげの中にしかないのだ。
この雨は かつて降った雨
この風は かつて吹いた風
あの雨や風に
耐えしのんた故郷が
今もおもかげの中に
だから雨の向こうに
だから風の向こうに
わたしは故郷を 懐かしむ 懐かしむ
「ふええ」
「なんで勇者様が泣くんだぃ」
※※※
ヒアの家をおいとました(「他の歌を思い出したらまた歌ってください」と名刺を渡された)後も、若き勇者はメソメソしていた。
「いいかげん泣きやめよ」
「止まんないのだぁ…」
「ガキぁこれだから」
ゲンゴロは、優しい声で歌い始めた。
ねっねとてんてん さーらーっぱー
つーとんてんてん なーたーっちゃー
たんとろてんとん めんてんのん
らったらてんとん れんねんとん
ハタタカは泣き止んだ。
「なんなのだ、それ?」
「子守唄さ」
「変な歌なのだぁ、どういう意味なのだ?」
「意味なんかねぇさ。赤子も『おっコレは何だ?』って驚きのあまり泣き止むって寸法よ。こんなでっかいガキにも効くたぁ思わねかったけどな」
若き勇者は赤面し、古の勇者は久しぶりに満面の笑みを浮かべた。
(了)
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